第九章 土の下の女神

「ここを出た(のち)何処(いづこ)へ向かうつもりだ?」
 俺の問いに、泊瀬(はつせ)海石(いくり)もすぐには答えなかった。
「分からない。俺は宮処(みやこ)の内しか知らないし……」
 やっと答えた泊瀬の口は重く、その顔には不安の色が暗く(かげ)を落としていた。そんな泊瀬の心の内を察してか、花夜(かや)殊更(ことさら)に明るい声を出す。
「案ずることはありませんよ。できる限り人目につかない野山の道を選んで行けば、きっと霧狭司国(むさしのくに)を出られます。私達は山道(やまじ)を歩くことには慣れていますから」
「あぁ、そうだな……」
 (うなづ)きながらも、泊瀬の顔に笑みが戻ることはなかった。
 その時、それまで無言で歩いていた海石(いくり)がぴたりとその足を止めた。
「どうしたんだ、海石姫」
 泊瀬の問いに、海石は(うつむ)いたまま、ひどく思い()めた声で(いら)えを返した。
「このまま此処(ここ)を出て、我々が事も無く(のが)れられるとは思えません。おそらくは八乙女(やをとめ)の長・魂依姫(タマヨリヒメ)霊力(ちから)により、我らの居所は容易(たやす)く突き止められてしまうことでしょう」
 淡々と語る海石に、花夜は思わず声を上げた。
「海石姫、(あきら)めてはいけません……」
 だがそこで花夜は口を(つぐ)んだ。見つめる先、手火(たひ)(かそ)けき灯りに照らされた海石の(まなこ)に、(あきら)めの色などまるで浮かんではいなかった。
「全ての罪は私が(かぶ)ります。ですので皆様はどうか、何も知らずに私の(くわだ)てに乗せられていた、ということにしてくださいませ」
「何を言い出すんだ、海石姫!そんなこと、できるわけがないだろう!」
「いいえ、此度(こたび)ばかりは聞き入れていただきます。あなた様は我ら射魔(いるま)にとって……いえ、この霧狭司国(むさしのくに)にとっても必要な御方。このような所で(うしな)うわけには参りません。それに……」
 海石は胸先(むなさき)に手を当て、静かな決意を秘めた眼差しで言葉を続ける。
「私も、(いたづら)に殺されるつもりはありません。元は八乙女である私の裁きともなれば、必ずあの婦女(をみな)が現れるはず……。私はこの身と引き換えに、あの婦女への(あた)を晴らすつもりです」
「駄目だ、海石姫!そんなこと、きっと夏磯姫(なつそひめ)は望んでいない!」
「……分かっておりますわ。あの(かた)は自らの仇討ちなど望む(かた)ではありません。ですからこれは私自身の望みなのです。本当は泊瀬様に力をお貸ししようと決めたのも、あの婦女(をみな)鎮守神(ちんじゅがみ)様に(さば)いていただきたかったからなのですわ」
 海石の表情は揺らがない。だが、その瞳からは胸の底に秘めていた悲しみが(あふ)れたかのように、一滴(ひとしずく)(なみだ)(こぼ)れ落ちた。
「夏磯姫は私にとってかけがえのない友人でした。誰よりも清らかで、優しくて……あの(かた)より魂依姫(タマヨリヒメ)相応(ふさわ)しい巫女などこの国にはおりませんわ。その夏磯姫が亡くなったと言うのに……あの婦女(をみな)が今なお生きていて、その上夏磯姫が()くはずだった魂依姫の座にまで就いていることを、私はどうしても許すことができないのです」
「魂依姫に……就くはずだった巫女……?」
 花夜がはっとしたようにその言葉を繰り返す。同時に俺も思い出していた。宮処の(いち)で聞いた噂を……。
 ――何でも去年(こぞ)の春に(さき)魂依姫(タマヨリヒメ)と、その後継(あとつぎ)と目されていた八乙女の御一人が相次いで亡くなられたのも、敵対する氏族の(はかりごと)だと(もっぱ)らの噂だしね。全く、嫌な世の中だよ……。
 戸惑いの表情を浮かべる花夜(かや)に気づいたのか、泊瀬(はつせ)(くわ)しく()き明かすために口を(ひら)く。
「夏磯姫というのは、この国で葦立(あだち)氏に次いで権力(ちから)を持つ多麻(たま)(うじ)の姫で、海石姫と同じく八乙女として大宮に(つか)えていたんだ。巫女としても人間(ひと)としても優れていると名高い姫で、そのままであれば次の代の魂依姫(タマヨリヒメ)となるはずだった」
「……けれど、その前にあの方はお亡くなりになりました。殺されたのですわ。自らの(うがら)の姫を魂依姫に据えんとする葦立氏の(はかりごと)によって」
「え……」
 驚きの表情を浮かべる花夜に、泊瀬はゆるく(かぶり)を振る。
「葦立氏が(じか)に手を下したという(あかし)は何も無い。夏磯姫は大宮の池で亡くなられていたんだ。自ら入水(じゅすい)したものと表向きには言われている」
「いいえ、葦立氏の仕業(しわざ)です!夏磯姫はご存知だったのですわ。(さき)の魂依姫を死に至らしめたのが葦立の巫女姫だということを。それを私にも言わず一人で問い(ただ)しに行かれて……そのまま、あのようなことに……っ」
「葦立の……巫女姫……」
 穏やかならざるものを感じたのか、花夜は(ひとみ)を揺らしてその言葉を繰り返した。
「ええ。私が殺したいほどに憎んでいるのはその葦立の巫女姫なのです。あの姫は元より巫女としてふさわしい婦女(をみな)ではありませんでしたわ。大宮に上がった初めから、葦立氏の権力(ちから)を後ろ盾に采女(うねめ)たちを次々と仲間に引き入れ、他の八乙女たちを失脚させんと(かげ)で動いていたのです。四年(よとせ)前には夏磯姫によってその(たくら)みを(あば)かれ、一度(ひとたび)(とお)(くに)に任を(うつ)されたのですが……二年(ふたとせ)前に再び大宮に戻って来たのですわ」
四年(よとせ)前……(とお)(くに)(うつ)された……?その姫の名は、何と(おっしゃ)るのですか?」
 (ふる)える声で、花夜はその名を問う。その(さま)(いぶか)りながらも、海石は名を告げた。俺たちにとっても忘れられぬその名を。
「……葦立雲箇(あだちのうるか)。葦立の姫にして、今はこの国の魂依姫ですわ」
花夜が小さく息を()んだ、その時だった。
 ふいに辺りに奇妙な“音”が響き渡った。まるで水の中で聴く音のように奇妙な(ふる)えを(ともな)それ(・・)人間(ひと)の言葉であると気づくには、わずかの時を要した。
(けが)らわしき罪人(つみびと)に、我が名を軽々しく口にされる(いわ)れはありません』
「誰だ……ッ!?」
 泊瀬が松明(たいまつ)を振り回し、声の主を探す。石に囲まれた細い(みち)の先で、刹那(せつな)手火(たひ)(あか)りを()ね返し光るものがあった。
 それは、行く手を(さえぎ)るかのように道の幅いっぱいに(わだかま)り身をくねらせる、水の(からだ)を持つ(ヘミ)。それが何であるのか、即座に皆が理解した。
水霊(ミヅチ)!?では、八乙女の誰かが精霊(すたま)()び出したのでしょうか!?」
 花夜が張り()めた面持(おもも)ちで俺の衣袖(ころもで)(にぎ)ってくる。俺はその手を取り、わずかに(ふる)える指先を包み込むように握り()めた。
「ああ。しかも(タマ)()(しば)られている。身も心も全てが()び出した者によって操られているようだ。花夜、いつでも(たたか)える用意をしておけ」
 その時、海石(いくり)が水霊の方へ向け、ふらりと一歩(ひとあし)()み出した。
「その声……水霊(ミヅチ)を介しても私には分かります。そのどこまでも冷たい声は……(たが)えようも無く、葦立雲箇(あだちのうるか)!」
「よせ!迂闊(うかつ)に近づくな!」
 泊瀬が咄嗟(とっさ)にその手を(つか)んで止める。だが海石は振り返りもせずに、ただ水霊(ミヅチ)だけをじっと見つめていた。
「……許しませんわ。私から夏磯(なつそ)姫を奪った婦女(をみな)。夏磯姫から何もかもを奪った婦女(をみな)……!」
 だが水霊は海石の言葉や怒りの眼差しなど意にも介さず、淡々と一方的な言葉を投げかけてくる。
罪人(つみびと)たちよ、速やかにそこを出なさい。そこは神域。(おか)すべからざる神聖な場です』
「……俺たちが此処(ここ)にいることは既にお見通しってことか」
 泊瀬が(うな)るように(つぶや)く。
「こうなれば今はこの水霊(ミヅチ)を倒して外へ出るしかあるまい。此処(ここ)に留まっていてはみすみす捕まるのを待つようなものだ」
 俺の言葉に花夜も頷く。
「そうですね。そして一時(いっとき)も速くこの場を離れましょう」
 俺は再び大刀(たち)の姿に変化すべく(まなこ)を閉じ意識を集中しようとした。だが、相手はその(すき)を与えてはくれなかった。
如何(いか)なる(たくら)みをしようと無駄(むだ)なことです。私はあなた方を()がすつもりはありません』
 それはわずかの迷いも感じさせない、妙に(りん)とした、けれどそれゆえ寒気を(おぼ)えるほどに冷たく聞こえる声だった。
『我は水波女神(ミヅハノメノカミ)が一の巫女・雲箇(うるか)瀬織津比売(セオリツヒメ)速開津比売(ハヤアキツヒメ)気吹戸主(イフキトヌシ)速流離比売(ハヤサスラヒメ)祓戸之大神(ハラエドノオオカミ)等に所聞食(きこしめせ)(かしこ)(まを)。神域を(おか)せし諸々(もろもろ)禍事(マガコト)罪穢(ツミケガレ)(はら)(たま)い清め(たま)えと』
 (よど)みなく流れるように、しかも(した)をもつれさせぬのが不思議なほどの速さで(とな)えられるその(ことば)に、海石が顔色を変える。
「これは……“(ハラエ)祈詞(ノリト)”!」
 (ことば)に続き鋭い拍手(かしわで)の音が二度、水霊(ミヅチ)の躯を(つた)古墳(ふるつか)の内に響き渡った。直後、俺たちの身体(からだ)が目には()えぬ何かに(はら)われ、くらりと(かし)ぐ。
 それは風でもなければ精霊(すたま)でもない。だが俺たちの身は明らかに、古墳(ふるつか)の外へ外へと押し流されていた。何か()えざる手のようなものに払われ、押され、引かれ、その場に立ち止まっていることができない。
「何だ、これは……っ!」
 何とかその場に留まろうと足を()()めながら泊瀬が叫ぶ。
「これは、祈道(キドウ)神業(カムワザ)の一つです!(はらえ)(つかさど)る神々が我々を(あだ)なすものと判じ、神域から(はら)(のぞ)こうとしているのですわ!」
 必死に(あらが)おうとするがまるで()き目は無く、俺たちの身体は強い風に()えかね吹き飛ばされるかのように、あるいは流れの速い瀬に足をとられ流されていくかのように、(すさ)まじい勢いで古墳(ふるつか)の外へと運ばれていった。
「きゃあっ!」
 地の上に荒々しく投げ出され、花夜が悲鳴を上げる。古墳(ふるつか)の周りには未だ()(たま)(みづ)浅沼(あさぬま)のように広がっていた。(ひじ)飛沫(しぶき)がはね、皆の(きぬ)が土の色に()まる。
「痛……っ、皆、無事(ぶじ)か……?」
 (うめ)きながら起き上がった泊瀬が、次の刹那(せつな)、その顔を強張(こわば)らせる。
 その目の先には、幾人(いくたり)もの兵士(いくさびと)たちを従え、輿(こし)の上から冷たくこちらを見下ろす一人の巫女の姿があった。
「やはり泊瀬親王(はつせのみこ)様でいらっしゃいましたか。病と(うかが)っておりましたが、随分(ずいぶん)とお元気そうですね」
 相も変わらず何の感情も感じさせないその声の主は、その高き(くらい)相応(ふさわ)しく(きら)びやかな衣裳(きぬも)に身を包んでいた。
 上衣の上には下の(きぬ)をうっすらと()かした生絹(すずし)背子(からぎぬ)を重ね、耳には(くがね)空玉(うつろだま)耳飾(みみかざり)、袖の下からわずかに(のぞ)く手首には鮑珠(あわびたま)珊瑚(さんご)手纏(たまき)、首には艶々(つやつや)と照り輝く翡翠(ひすい)勾玉(まがたま)頸飾(くびかざり)五色(ごしき)琉璃玉(るりたま)頸飾(くびかざり)(つら)ね、(こうべ)には身動(みじろ)するたびにちりちりと揺れる(くがね)の垂飾りを左右に配した(かがふり)をつけている。だがその顔は四年(よとせ)前に見たものとまるで変わらず、まるで人形のような無表情だった。
魂依姫(タマヨリヒメ)雲箇(うるか)……。何故もう此処(ここ)に……」
思わず泊瀬(はつせ)の口をついて出た()いに、雲箇(うるか)は表情を変えぬまま答える。
「あなた様は幼き(ころ)より鎮守神(ちんじゅがみ)様のご寵愛(ちょうあい)を得ているなどと周りに言い()らしておいででしたね。いつか必ず鎮守神様にお会いするのだ、とも。そのような(かた)に何の見張りもつけずに放っておくとお思いですか」
「見張りだと!?そんな馬鹿な……。俺たちは身内(みうち)にさえ気づかれぬよう支度(したく)を進めてきたはず……」
「それは何の(うたが)いも(いだ)かれていない身内相手であればこそ気づかれなかっただけのこと。初めから疑いの目を持ち(さぐ)る者たちの目を(あざむ)くことなど出来(でき)はしません。あなた(がた)(つね)であれば使うはずもない采女(うねめ)束装(よそい)やら薬草を(ひそ)かに集めていたのは、これから何か事を起こすとあからさまに口にしているようなものでしたよ」
「それでは俺たちの今までの動きは全て葦立(あだち)筒抜(つつぬ)けだったのか!?……初めから、葦立の手の内で(おど)らされていたと言うのか?」
 泊瀬の顔から血の()が引く。そうして見張りをつけておきながら、支度(したく)をしている間の(あや)しい動きには何も手を打たず、こうしていざ事を起こして初めて追っ手を差し向けてきた葦立(あだち)(うぢ)(ねら)いに、泊瀬はすぐに気づいたようだ。
「まさか真に神域を(おか)すような真似(まね)をなさるとは思いませんでしたが。浅はかなことをなさいましたね。親王(みこ)様と言えど鎮守神様に害を(およ)ぼしたとなれば、それ相応(そうおう)(ばつ)を受けていただくことになりますよ」
 変わらず淡々(たんたん)とした口振(くちぶ)りで雲箇が告げる。
 おそらくこれは初めから筋書(すじがき)に描かれていたことだ。魂依姫(タマヨリヒメ)である雲箇は鎮守神が決して結界の外へ出ぬことを知っていて、あえて俺たちを思うままに泳がせていた。俺たちは知らぬうちに葦立氏の(わな)にはまっていたのだ。
「おとなしく(われ)らとともにおいでくださいませ。あなた方の罪は宮殿(みかど)にて(あらた)めさせていただきます」
 言葉だけは丁寧(ていねい)だが、雲箇は(あらが)うなら武も()さないとでも言わんばかりに兵士(いくさびと)たちに大刀(たち)(かま)えさせている。泊瀬は()(すべ)も無く、ただ(ふる)える(こぶし)(にぎ)りしめる。その時だった。
「……させませんわ。私からこの上、泊瀬様まで(うば)うなど、決して(ゆる)しませんわ!」
 (いか)りに()ちた声とともに、海石(いくり)(ふところ)から何かを取り出す。日の光に白く(かがや)くそれは、氏族の姫が持つに相応(ふさわ)しく優美な(こしら)えが(ほどこ)された刀子(とうす)だった。
天神地祇(アマツカミクニツカミ)、あらゆる荒ぶる神々・精霊(すたま)よ、私の声をお聞きください。どうか霊力(ちから)をお貸しください。我が身は如何(いか)なることになろうとも(かま)いません。あの婦女(をみな)に、相応(ふさわ)しき(さば)きを……!」
 直後、海石を中心に(すさ)まじい風が巻き起こった。足下に()まっていた水も(はげ)しく波立ち、(うず)を巻く。
 兵士たちは咄嗟(とっさ)に雲箇を(かば)うようにその周りを取り囲むが、その(きぬ)は何か(するど)いもので切り()かれでもしたように次々と()けていく。――鎌鼬(かまいたち)だ。
「これは……海石姫の霊力(ちから)!?けれど、海石姫は霊力を(ぎょ)することができなかったはず……!」
 水を巻き上げながら吹きつける風から身を(かば)いながら、花夜が(さけ)ぶ。その言葉を裏付けるように、風は海石自身の衣をも切り()いていた。(いな)、衣のみならず、その下の白い(はだ)にも(こま)かな切り(きず)がつき、赤い血がにじんでいく。美しく()い上げていた(かみ)(くず)れ、(やなぎ)の枝がうねるように風に(みだ)れていた。
葦立雲箇(あだちのうるか)、お覚悟(かくご)をなさいませ!」
 嵐をまとったまま、海石は刀子を(かま)え雲箇へ向け走り出していく。兵士たちは(むか)()つべく大刀(たち)(かま)え直す、が……。
退()いていなさい」
 雲箇は顔色一つ変えず兵士を(わき)に下がらせると、身にまとっていた比礼(ひれ)をするりと解いた。()いで、早言(はやこと)で何かを(とな)えだす。
振風比礼(カゼフルヒレ)布瑠部由良由良止布瑠部(ふるべゆらゆらとふるべ)
 その手に持つ比礼がふわりと風になびいたかと思うと、次の刹那(せつな)(すさ)まじい風が巻き起こり、海石へ向かっていった。それは海石の起こした風さえも打ち消し、海石の身に真面(まとも)にぶつかっていく。
 海石は立っていられず、悲鳴とともに地に(ころ)がった。その手から刀子が(こぼ)れ落ち、(ひじ)の中で飛沫(しぶき)を上げる。
「自ら(ぎょ)することも(かな)わぬ霊力(ちから)など、大宮の神宝(かんだから)の前では無きに(ひと)しいもの。この上に(あらが)って罪を(かさ)ねるのはおよしなさい」
「海石姫!」
 泥の中に(たお)()した海石に花夜が()()り、()き起こす。その姿に雲箇はわずかに目を見開(みひら)いた。
「その姿……見覚(みおぼ)えがありますね。(たし)か、花蘇利(かそり)(うぢ)()てられた巫女姫……花夜」
 言って雲箇はその顔を動かし、俺の姿に目を止めた。
一度(ひとたび)ならず二度(ふたたび)霧狭司(むさし)(さわ)がせるとは如何(いか)なるおつもりですか、ツキタチアラミタマノカガチヒコ様」
「……(だれ)に聞いたのかは知らぬが、それは最早(もはや)、俺の名ではない」
「私の問いにはお答えいただけないのですね。神と言えど、水神(みづかみ)様の(おさ)めるこの国を乱したことは忌々(ゆゆ)しき罪です。(しか)れども、神たるあなた様の身を人間(ひと)である我々が(あや)めることも、(きず)つけることも(かな)いません」
 雲箇はわずかの間、頭の中で考えでも(めぐ)らしているかのように(もく)した(のち)、告げた。
()れば、その罪は我が国の鎮守神・水波女神(ミヅハノメノカミ)様に従神(みとものかみ)としてお(つか)えいただくことにより、(あがな)っていただくことにいたします。我らが鎮守神様は国のため結界の内にお()もりになっておいでの身ゆえ、()わりにあなた様にそのお霊力(ちから)をお貸しいただくことにいたしましょう」
「なっ……」
 俺はしばし言葉を()くした。そのあまりに身勝手な言葉に、(いか)りで目が(くら)む。
「俺に、水神の下に(まつら)と言うのか。そしてお前たちに霊力(ちから)を貸せと?そのようなこと、聞けるものか!」
「いいえ、聞いていただきます」
 言いながら雲箇は手の動きだけで兵士(いくさびと)たちに指図する。兵士たちは雲箇の指差(ゆびさ)した先……海石と花夜を素早(すばや)く取り囲み、その首筋(くびすじ)(やいば)()きつけた。
「ヤト様……っ」
 花夜が(おび)えた顔で名を呼んでくる。
「花夜!」
 ほんのわずかの間でも花夜のそばから(はな)れていた(おの)迂闊(うかつ)()いるが、時(すで)(おそ)しだった。
「お分かりになりましたか?我々はあなた様を害することはできずとも、あなた様の巫女を害することはできるのですよ。最早(もはや)あなた様に他の道などございません」
 雲箇のどこまでも冷たい声が(ひび)く。俺はただ相手を()めつけるより他、どうすることもできなかった。

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