中世イェルサレムの女王(彼女の在位期間中、イェルサレムはイスラム側の領土であり、イェルサレム王国という名ではあるがイェルサレムが首都ではなかった)。
生没年:1172年〜1205年4月5日
イェルサレム国王アモーリー1世と、東ローマ帝国の皇族マリア・コムネナの間に生まれる。
1183年、最初の夫オンフロワ・ド・トロン(オンフロワ4世)と結婚。
結婚式を行ったケラク(カラク城)城は、イスラム王朝のひとつアイユーブ朝の創始者・サラディンにより襲撃される。
兄王ボードゥアン4世、その後を継いだ甥のボードゥアン5世(異母姉シビーユの子)の早世、さらに姉シビーユとその娘2人の死去により、1190年に王位継承者となる。
同年、オンフロワとの結婚を無効とされ、モンフェラート侯コンラート1世と結婚。
1192年、1人目の子を身籠るが、コンラートは暗殺教団により暗殺されてしまう。
コンラートの死の8日後、3人目の夫、シャンパーニュ伯アンリ2世と結婚。同年、1人目の子で長女のマリーアを出産する。
アンリ2世との間にはアリス(アリックス)、フィリパという2人の娘が生まれるが、アンリ2世は1197年に窓から転落して死亡してしまう。
その後、4人目の夫、キプロス王エメリー・ド・リュジニャンと結婚。
(エメリーには先妻エシーヴとの間に6人の子がいた。)
エメリーとの間にはシビーユ、メリザンドという娘が生まれる。
(4歳で死去したエメリー(アモーリー)という男児が生まれていたとする情報もあり。)
1205年4月1日、夫エメリーが死去。死因は魚にあたったことだとも言われている。
その4日後にイザベルも死去するが、死因は明らかとなっていない。
また、同年、エメリーの子のうち少なくとも3人(ギー、ジャン、アリックス)が亡くなっている。
(上記、イザベルが産んだとされるエメリーが死去したのも、同じく1205年とされている。)
イザベルの死後、長女マリーアがイェルサレム王位を継ぐが、結婚後、20歳の頃に産褥熱で死去。
次女アリスは、義兄ユーグ1世(エメリーの息子)と結婚。しかし結婚の8年後に夫が死去。その後2人の夫と結婚するという、母イザベルのような波乱の人生を送る。
<参考資料:中世ヨーロッパ資料&イェルサレム関連資料&十字軍関連文献一覧&ウィキペディア>