イェルサレム王国の女王イザベル1世の、3人目の夫。
生没年:1166年7月29日〜1197年9月10日
母はアリエノール・ダキテーヌとフランス王ルイ7世の長女マリー。
その母方の祖父母を通じ、イザベル1世の2人目の夫であるコンラート1世と親戚。
また、アリエノール・ダキテーヌがイングランド王ヘンリー2世と再婚した後に産んだリチャード1世(リチャード獅子心王)は、アンリ2世の叔父にあたる。
1171年にイザベル・ド・エノーと婚約するが、彼女は1180年にフランス王フィリップ2世(当時は父王ルイ7世との共同君主、のち父王の死により単独で王となる)と結婚してしまう。
1190年に第3回十字軍に参加。
イザベル1世が1人目の夫オンフロワと引き離された際、アンリ2世は拉致に関与したグループの1人だったと言われている。
イザベル1世が1人目の夫と別れ、2人目の夫コンラート1世と結婚し、さらにそのコンラート1世が暗殺者の凶刃に倒れると、アンリ2世はコンラートの子を妊娠中のイザベル1世とすぐに婚約。コンラート1世の死の8日後に結婚した。
コンラート1世の忘れ形見である娘マリーアの他、2人の間にはアリス(アリックス)、フィリパという2人の実子が誕生した。
1197年、アンリ2世はアッコンの宮殿の窓から転落して死亡。
その際、召使がアンリ2世を助けようとしたが、背が高く肉体的にも立派だったアンリ2世を引き上げることができず、共に転落し、後に彼も命を落としている。
<参考資料:十字軍関連文献一覧&ウィキペディア>