ファンタジーな豆知識

イギリス紅茶の歴史

イギリスと言えば紅茶の伝統で知られた国であり「紅茶と言えばイギリス」というイメージをお持ちの方も多いと思います。

しかし実はヨーロッパではイギリスより先に喫茶の習慣を持っていた国がいくつかありました。

今回はそんな中でイギリスにどうやってお茶の文化がもたらされ、発展していったのかを簡単にご紹介します。

販売当初は「薬用飲料」
 
そもそもイギリスに「お茶」が入ったのは1630年代で、当時は「薬用飲料」として売り出されました。
これは当時イギリスが清教徒による禁欲主義により、コーヒー・ハウスも閉鎖されるところが出てくるような時代だったことから、清教徒に受け入れられるようにしたかったためだと言われています。
しかしながら、それでもお茶はそれほど売れてはいませんでした。
 
ポルトガル出身の王妃が喫茶ブームを起こす
 
イギリスにお茶が広まるきっかけを作ったと言われているのが、1662年にイギリス国王に嫁いだポルトガルの王女キャサリン・オブ・ブラガンザ(Catherine of Braganza)です。
船での長旅の後、やっとイギリスに到着したキャサリンは母国では既に流行っていたお茶を所望しますが、当時のイギリス宮廷では飲み物と言えばワインやビール、エールなどといったアルコール飲料だけでした。
キャサリンにもエールが出され、それが何かも分からないまま飲んだ彼女は、気分を悪くして寝込んでしまったそうです。
その後キャサリンは母国ポルトガルからお茶を取り寄せ、宮廷でふるまいました。
こうしてイギリス宮廷で喫茶ブームが巻き起こることとなったのです。
 
「お茶」が「紅茶」になった理由
 
イギリスでお茶が飲まれるようになった当初、それは「紅茶」ではなく、ほとんどが緑茶で、まれに半発酵茶のボヘア茶(今で言うところのウーロン茶の一種)が飲まれている程度でした。
それが紅茶に変わっていったのは、イギリスの硬水には緑茶よりも紅茶の方が合っていたからだと言われています。
輸入茶の中で緑茶の占める割合は徐々に減っていき、紅茶の占める割合が多くなっていきました。
 
イギリスの国民的飲み物に
 
やがてイギリス東インド会社がお茶を仕入れるようになり、コーヒー・ハウスでもコーヒーと並んで「茶」や「茶葉」が販売されるようになりました。
また、コーヒー・ハウスは男性専用だったのに対し、1717年には女性も入れる喫茶店がロンドンに登場しました。
そうして1750年代頃までにはお茶は階級の差に関係なく広く飲まれるイギリスの国民飲料となっていったのです。
18世紀後半にもなると、お茶の消費量は国民1人当たり年間で約0.9キロで、1日に少なくとも1回は飲まれていたとされています。
その量は19世紀に入るとなぜか一旦減りますが、中期にはまた増え始め、19世紀末には約2.4キロに、20世紀半ばには約4キロにまで増加しました。
ちなみにこの約4キロは年間で国民1人が1800杯、1日につき5杯ずつ飲んだという計算になるそうです。
 
茶葉の種類が豊富に
 
1823年、インド北東部のアッサムでイギリス人の植物学者が茶の木を発見し、そこからアッサム茶の栽培が始まりました。
そして50年代にはダージリン、70年代にはセイロン(スリランカの旧名)でも栽培・生産が始まりました。
これにより、それまでの中国茶よりも安価に茶を供給できるようになり、20世紀に入るまでにはイギリスでのお茶の輸入量のうち、中国茶の占める割合はわずか5%にまで減っていきました。
中国茶(アール・グレイキーマンなど)はインド茶と比べると薄く出るという特徴があり、どちらがより優れているかというのはイギリスでもたびたび議論の対象となってきました。
また、上流階級では今日でも依然として中国茶の方が好まれていると言われています。
こうして茶葉の種類が増えたことにより、イギリスでは客を茶席に招く際、生産地の異なる茶葉を用意しておき、客に好みを聞いてから入れるのが正式な作法とされるようになっていきました。
 
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