カタリナ・デ・ブラガンサ
【Catarina de Braganca】
 
(キャサリン・オブ・ブラガンザ【Catherine of Braganza】)

イギリス王チャールズ2世の妃で、イギリスにお茶を飲む文化をもたらしたとされるポルトガルの王女。

(関連記事→「イギリス紅茶の歴史」)

生没年:1638.11.25〜1705.11.30

生まれた当初は旧王家の庶子の血を引くブラガンサ公の娘という立場だったが、父親がポルトガル王政復古戦争によりポルトガルの王に即位したため、王女となり、イギリス王太子と婚約する。

しかし、その後イギリスではピューリタン革命が起き、国王チャールズ1世は処刑され、新王即位を宣言したチャールズ2世もフランスに亡命することとなる。

その後イギリスでは10年の間、国王のいない共和政(事実上はクロムウェルによる独裁政治)がとられるが、ピューリタンの禁欲的な価値観に不満を抱いた国民は王政復古を望むようになり、クロムウェルの没後に王政が復活する。

カタリナがチャールズ2世と結婚したのは1662年。
北アフリカのタンジールとインドのボンベイ(現ムンバイ)を持参金としてイギリスにもたらした。

夫であるチャールズ2世は「Merry Monarch(陽気な王様)」と呼ばれた王で、芝居やダンスが好きでおしゃべり、大の女性好きで、生涯に愛人が14人、庶子も認知されているだけで14人存在した。

そんな愛人たちの中でも、カースルメイン伯爵夫人バーバラ・ウィリアーズはワガママで癇癪持ちなロンドン美人として有名で、新婚夫婦の住むハンプトン・コート宮殿に自らも住むと騒動を起こし、無理矢理王妃付きの女官にまでなっている。

カタリナは数回の妊娠をするものの世継を出産することはできず、夫の死後はカトリック教徒の治世中のみイギリスに留まり、その後ポルトガルに帰国する。

弟のペドロ2世の元で暮らし、一時は弟の摂政も務めた。

ちなみにポルトガル北西部の町ギマランイスには「ブラガンサ公爵館」という宮殿が残されている。
(現在は政府の公館として利用されている。ギマランイスは中世の歴史的建造物が多く、世界遺産にも登録されている。)

 
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