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魔法巫女エデン
 
 
 
 
 
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Episode3:今日 is ideal day for 初デート

〜キョウ ハ、ハツ デート ビヨリ〜

 

藤花

「なーモモキチ、機嫌直せよ。アレだろ?モモキチにも学校で作ってるキャラとかあるから家での様子ベラベラしゃべられるとイメージ崩れる、みたいなヤツだろ?悪かったって。ホラ、にーちゃん、もうほとんど社会人みたいなモノだからさぁ、そういう学生ノリからは遠ざかっちまってさー」
「……今でも充分、男子学生ノリなクセに」
 少女は義兄を振り向きもせず、吐き捨てるようにつぶやく。
「ホラホラ、お目当てのファンシーグッズ屋さんだぞー。今日はカワイイ義妹の入学祝いってことでフンパツしてやるからな。バッグでもアクセでも何でもオネダリしていいぞ!だからホラっ、機嫌直せって」
 男はそう言い、愛らしいペンギンの絵があしらわれた雑貨屋の看板を指さす。少女はムスッとしたまま店頭の商品を物色しだした。
(……失敗した。市内のお店で同級生に遭遇する可能性くらい、考えれば分かるのに。よりによってお義兄ちゃんと一緒のところを見られるなんて)
 彼女は元々、自分のプライベートを他人に見られたくない性質の人間だった。今までも、親しい友達ですら滅多に家に招いたことはない。まして単なるクラスメイト相手には何重にも予防線を張り、プライバシーに立ち入られないようにしてきた。
 それには彼女の、ちょっぴり特殊な家庭環境も影響しているのだが……。
「これ」
 少女は短い一言とともに義兄の目の前にマスコットを突き出す。
 ボールチェーンがついてバッグの取っ手などに取り付けられるタイプのマスコットで、彼女が小学生の頃よく見ていた教育番組に登場するキャラクターだった。
「そんなのでいいのかよ?もっと高いのねだっていいんだぜ」
「いい。ほとんど仕事も無いような“名ばかり芸能人”に高価なモノなんてねだれない。メグちゃんも、その太っ腹ぶってやたらと他人におごりたがるクセ、直したら?そのうち痛い目、見ると思う」
「……うわー……。ソレ、地味に傷つく。相っ変わらずモモキチは辛口だなぁ」
 凹みました、とアピールするかのように大ゲサに頭を抱えてみせる男に、少女はチクリと胸の痛みを覚える。
(……また、かわいくない言い方になった。説教なんてしたって、ウザがられるだけかも知れないのに)
 表情は変えないまま無言になってしまった少女に、男はふっと口元をゆるませる。
「いや、ウソウソ。家族としての愛のムチだってちゃんと分かってるって。昔っから俺にそういうキビシイこと言ってくれんの、モモキチだけだもんなー」
 その声には本心がにじんでいて、彼が本気でうれしく思っているのだということを雄弁に物語っていた。だが、だからこそ余計に、少女は複雑な気持ちになる。
(“家族”……か。どうせお義兄ちゃんにとって私は、口うるさいオカン的ポジションでしかないんだろうけど)
「つーかさ、マジでコレがいいのか?コレ、カワイイか?」
 少女の手からマスコットを受け取り、しげしげと眺めながら、男が首をかしげる。
「……カワイイ。ヘンに媚びてない所がイイの」
 男はそれでも納得がいかないように何度も首をかしげていたが「じゃあ会計してくるな」と言ってレジへ向かっていった。
 少女はいつものように店内を眺めながら義兄を待つ。一緒にレジに並んで店員に「ご兄妹ですか?」あるいは「美男美女カップルでお似合いですね」などの余計な一言をかけられるのが、彼女は何よりキライなのだ。
『……旨ソウダ』
 ふと、そんな声が聞こえた気がして、彼女は背筋をゾクッとさせて振り返る。
 だが店内は女性客ばかりで、先ほど聞こえた不気味な声の持ち主がいるようには見えない。
(……疲れてるのかな、私。……でも、さっきのゾクッとする感じ、覚えがある。確か、学校の中を見て回っていた時……)
 少女が自らの記憶をたどろうとしたその時、再び“声”が聞こえた。しかも今度は、耳元でささやくように。
『旨ソウダ。若イ娘ノ生命力……。淡イ恋ノ不安ニ揺レル、ソノ心ノ澱……。オ前ヲ喰ラエバ、キット今ヨリ強クナレル……』
 彼女はハッとして声のした方を振り返ろうとする……が、できなかった。強い目眩とともに、急速に意識が失われていく。
(……お義兄……ちゃん……)
 こんな時に一番頼りにならないであろう人物と知りながら、それでも少女は義兄に助けを求めようとした。だが、もはや彼女には唇も、指先一本ですら、動かすことができなかった。
 何が起きているのかも分からないまま、少女は引きずり込まれていく。災厄の獣のテリトリーの中へと……。

藤花

「高梨さんが災厄の獣に狙われてるって、何で?高梨さんにも私みたいな力があるってこと?」
 時間はわずかに遡って、エデンが少女を見送った少し後。少女とその義兄の後ろを、見失わないギリギリの距離で尾行しながらエデンが問う。
「……いや。あの娘にそんな力は感じない」
「じゃあ、何で?」
「災厄の獣が狙うのは、姫君のような御力を持った人間ばかりではありません。姫君よりはずっとレベルが落ちますが、生命力そのものも、獣を生き永らえさせる“糧”となります。中でも特に、心にある種の澱を抱えた人間なら、他の人間よりもずっと獣の空腹を満たし、力を高めてくれるのです」
「お前のような人間を狙うのは、収穫も大きいが返り討ちに遭うリスクも高いからな。要するに、あの娘を狙っているのはローリスク・ローリターンを求めるタイプの獣、ということだ」
「……心の澱って……。高梨さん、確かに無口だけど、そんな悪いコには見えなかったけどなぁ……」
 エデンの納得いかなげなつぶやきに、レトが苦笑して口を開く。
「姫君。心の澱というのは何も、醜い感情のカタマリとは限らないのですよ。たとえば他人に言えない片想いを心の内に抱えて一人悩んでいるとか、癒えない心の傷だとか……そういうどこにも行き場のない感情が心の中で渦巻いているのが“心の澱”なのです」
「……だからこそ、最悪なんだがな。あの学園が奴らの溜まり場になっているのは。思春期の男女など、奴らにとって格好の標的だ」
「え……っ!?それって、花ノ咲理学園のこと……?」
 聞き捨てならないことを耳にし、エデンが猫神に問い質そうとしたその時――レトが険しい表情でエデンの肩をつかんできた。
「奴が動きました!結界が開きます!姫君のご学友を自らの領域に引き込むつもりです!」
「えっ!?ダ、ダメだよ、そんなの……っ!高梨さんを助けないと!」
「分かっている。奴の結界に割り込むぞ。いいな?エデン」
「うん!」
 猫神がレトが手を置いていない方の肩に手を乗せてくる。
 いつものくらりとした目眩が襲ってきたが、今のエデンはそれを恐れることもなく、素直に受け入れた。

藤花

 意識を失ったのはほんの一瞬のことで、エデンはふらつきながらも自分の足で地に立っていた。
「気を失う時間がだいぶ短くなったな。力が上がっている証拠だ」
「ここ、結界の中……?高梨さんは……?」
「あそこで気を失っています。……災厄の獣も一緒です」
 レトの指さす先には、クラスメイトの少女が力無く地に横たわっていた。
 そしてそのそばに、キラキラ輝く光の粒のようなもので輪郭をふちどられた透明な獣の姿がある。
 獣はこちらを向き、威嚇の声を上げているようだった。
「光の……粒?レトの時と違う」
「いや、あれは細かな氷の粒が光を反射して光って見えているだけだ。奴の能力はおそらく“凍結”か何かなのだろう」
「マズいですね。我々はともかく、姫君のご学友がヤツの能力に巻き込まれた場合、低体温症により生命に危険が及ぶ可能性があります」
「そう言えば、ココ寒い……。ところどころ、地面に雪や氷があるし」
 その結界は周囲が鳥居にも似たストーンサークルに囲まれているのはいつもと変わらないが、その中は高い山の頂上付近を思わせる岩と石ばかりのゴツゴツした地形がずっと続き、あちらこちらに雪が積もったり氷が張ったりしていた。
「姫君も早く変身なさってください。姫君の御力で形成された魔法巫女の衣装なら、少しは寒さを軽減できるはずです」
 見ると、レトと猫神は既に例の和洋折衷な武官束帯姿と、神職風の浅葱色の袴姿に変わっている。エデンもあわてて変身呪文を唱えた。
「キャラメル・キャラメラ・キャラメリゼ……!」
 光に包まれ一瞬で変身を終えると、もはや慣れた様子で空中に現れた杖を片手でキャッチする。
「お待たせ……って、え?二人とも、何してるの?」
 振り向くと、レトと猫神はなぜか必死に互いの目を互いの手でふさぎ合っていた。
「姫君!ご安心ください!姫君のお召し替え……あっ、いえ、“変身”は決して他の男の目には触れさせませんので!」
「バカを言うな!オレはガキくさい下着姿などに興味はない!むしろ危険なのは主の変身をそんな不埒な目で見ているお前の方だろう!」
 二人のやりとりに、エデンはテレビでよく見る魔法少女の変身シーンを思い出して一気に顔を赤らめた。
「え?え!?あの……、変身の時に一瞬だけ身体が軽くなるように感じるのって……私の服が消えてるからなの!?」
 エデンの動揺した声に、猫神がレトの手で目をふさがれたまま叫ぶ。
「安心しろ!消えるのは常人の肉眼では捉えられないようなほんの一瞬だけだ!獣並みの動体視力でもなければ見えないし、見えたとしても光の羽根や毛皮であちこち覆われているからハッキリとは見えない!」
「でも、念には念を入れないと、ですから!チラッとでも見られてしまうのは許せませんから!」
「……って言うか、そういうの、早く教えてよ!って言うか、だったら変身中は向こう向いててよ、二人とも!」
 恥じらいと本気の怒りの入り混じった声に、二人もさすがに首をすくめて謝罪する。それでもエデンはプリプリしたまま、ヤケクソのように声を上げた。
「もうッ!さっさと高梨さん救出して、ココを出るよ!」
「そうですね。では姫君、お手を……」
「仕方がないな。力を貸してやろう」
 エデンの声に、レトと猫神が同時に応え、同時に手を差し出す。
 見事にカブった声に、二人は顔を見合わせ、鋭い目でにらみ合った。
「姫君の愛犬は俺だけだ。ノラ猫は引っ込んでいてもらおうか」
「お前のような経験の浅い契約の獣に何ができる?お前こそ黙って見ていろ」
 差し出された二つの手に、エデンはただオロオロする。
「姫君!貴女の契約の獣は俺です!俺の能力をお使いください!」
「どっちを選ぶんだ?エデン。お前の使いたい方を選べ」
 二人のイケメンに顔を近づけてつめ寄られ、エデンのオロオロ度合はさらに増した。
(えっと……えっと……っ。能力、選ぶ……んだよね?レトは“念動”で、猫神先輩は確か……“具現化”)
 オロオロしたまま結界の中を目だけでぐるりと見渡した後、エデンはぎゅっと猫神の手を握った。
「猫神先輩!お願いします!」
 横でレトがあからさまにショックを受け、ふらりとよろめく。
「なぜですか、姫君っ!貴女の契約の獣は、この俺ですよ!?」
「え……っ。だ、だって……。この結界、投げて攻撃できそうなもの、石コロくらいしかないし……猫神先輩の能力の方が相手にダメージ与えられそうだし……」
「そんな……っ。石コロ攻撃だって“チリも積もれば何とやら”ですよっ!」
「あきらめろ。お前の能力は使い勝手が悪いんだ」
 レトにトドメの一言を放ち、猫神はエデンの手を強く握り返す。
「技の出し方は分かっているな?奴が攻撃してくる前に、こちらから先制するぞ!」
「う、うん!」
エデンはレトの方をチラチラ気にしながらも、覚悟を決めたようにうなずいた。
(この前のパパの技みたいな感じでいけばいいんだよね?……“おもち”つながりはさすがにダサいから……)
 エデンは猫神とつないでいない方の手で杖を振り上げ、災厄の獣目がけて勢いよく振り下ろした。
「マカロン・マシュマロ・マスクメロン!」
 直後、杖の先端から色とりどりのフルーツのようなビビッド・カラーマカロンと、パステル・カラーのマシュマロ、そして細かな迷路のような網目模様のマスクメロンがキラキラとプリズムの光をまき散らしながら次々と飛び出していく。それはそのまま矢のようなスピードで災厄の獣へ向かっていった。
 災厄の獣も迎え撃とうとするように行動を起こす。低くしていた首を上げ、鋭く咆哮を上げた。
 その声は雪原を吹き荒れるブリザードのような凍てつく風を巻き起こし、エデンの放ったスィーツ攻撃に真正面からぶつかっていった。
 マカロンやマシュマロやマスクメロンの群れは、一瞬にして凍りつき、音を立てて地に落下する。
「あぁーっ!失敗しちゃった!」
 悔しそうに叫ぶエデンを、猫神が真顔で振り返る。
「……それは失敗もするだろう。マスクメロンはともかく、マカロンとマシュマロってのは何だ。なぜ、もっと攻撃力のありそうなものを選ばない?」
 猫神の呆れ果てた眼差しに、エデンはショボンとうなだれる。
「だって……パパのも似たような技だったし……」
「慈恩は技名の和菓子そのままではなく、想像力でアレンジを加え、攻撃性を高める工夫をしていた。敵にただ甘い菓子を投げ与えてどうするんだ」
「い……一応、すごい勢いでぶつけようとしてみたし……」
「お前、何をエラそうに姫君に説教しているんだ!?姫君はまだ初心者なんだぞ!これだけの物を具現化できれば充分じゃないか!」
 猫神の小言にささやかな抵抗を見せるエデンにレトが加勢し、収拾がつかなくなりかけたその時、再び災厄の獣が吠えた。
 物を一瞬で凍りつかせる絶対零度の強風が、今度はエデンたちに襲いかかる。
「危ないッ!」
 猫神はとっさにエデンを抱えて左に跳び、レトは逆に右に跳んで攻撃を避ける。
「エデン!もう一度だ!新しいイメージが浮かばないなら、また慈恩の技を使えばいい!このまま獣に攻撃を続けさせれば、結界内の気温が下がっていく一方だ!」
「……って言うか、もう既にだいぶ寒いよ……っ。何だか、脚が冷たいし、おなかも冷えて痛い……っ」
 エデンはぶるぶる震えながら両腕で腹を抱えてうずくまる。猫神は「しまった」と言いたげに唇を噛んだ。
「……そうか。お前、体調が戻りきっていなかったな。その状態でこの冷気は毒でしかない、か」
「姫君!ここは一旦退却しましょう!集中力を欠いた状態で魔法を操るのはムリです!あのストーンサークルの中に1つだけ、外へ通じる“門”があります!そこをくぐれば結界を出られますから!」
「でも……高梨さんを置いてはいけないよ……っ!」
 足元から這い上がってくるような冷気に身を震わせながら、エデンが叫ぶ。
 するとレトが何かを決意したように目をキッと細め、倒れ伏す少女の方を見た。
「我が主の学友の少女よ……その身を浮かせ、我が元へ来たれ」
 レトが片腕を上げ、おごそかに告げると、少女の身体があお向けのまま、ふわりと宙に浮いた。そしてそのまま滑るようにこちらへ向かって移動してくる。エデンは目を見開いた。
「これって、レトの能力……!?私と一緒じゃなくても使えるんだ!?」
 だがその横で猫神は小さく舌打ちし、レトへ向け叫ぶ。
「無茶をするな新人!主の介在無しに能力を使えば、その分寿命を削ることになるんだぞ!」
「…………えっ……」
 その言葉に、エデンはさっと青ざめる。
「……無茶だと?お前にそれが言えたことか!」
 レトはすぐさま言い返す。だがその顔は心なしか先ほどより青ざめ、汗が伝っているように見えた。
「そんな……っ。レト、ダメだよ……っ!」
 エデンはふらふらとレトに駆け寄り、自分の力を分け与えようとするように必死にその腕をつかむ。
「……いけません、姫君。体調がお悪いのに、魔法など使っては」
「ばかっ!レトの命の方が大事に決まってるでしょ!?さっきだって……前みたいにいっぱい魔法使わせて、結界出た後に倒れられたらどうしようって思って……それでレトを選ばなかったのに……。全部ムダになっちゃうじゃない……っ」
「姫君……」
 思いがけない事実を知らされたレトは、虚を突かれたようにエデンの顔を振り返る。その顔には徐々にこらえきれない喜びの色がにじんでいった。
「……感動しているところ悪いが、サッサとここを抜けるぞ。出口の場所ならもう割り出した。二人ともオレについて来い」
 いつの間にか猫神もすぐそばに来ていた。その手にはいつ取り出したのか、方位磁石のようなものが握られている。
「では、姫君」
 レトは断るヒマを与えず、さっとエデンをお姫様抱っこする。
「ちょ……っ、レト……っ!身体は大丈夫なのっ!?」
「大丈夫です。今、姫君は俺に力を注ぎ込もうと念じていらっしゃるでしょう?姫君のあたたかい御力が、俺に流れ込んで来るのが分かりますから」
「なら、いいけど……」
「姫君、ご学友が宙に浮いて我々について来るイメージを、頭の中に浮かべ続けていてください。俺は今から魔法のコントロールを姫君に委ねて、走ることに集中しますので……!」
 レトがそう言って走り出したのと、災厄の獣が再び吠えたのは、ほぼ同時だった。
「え……っ、ちょ……っ、そんな急に……!」
 右に左に獣の攻撃を避けながら走るレトの腕の中で、エデンは先ほどレトがやってみせた“魔法”を参考に、必死にイメージし続ける。クラスメイトの少女は、エデンのイメージの不安定さを表してか、ふらふら宙を上下しながらも何とか三人について来る。
 だが、少女だけでなく災厄の獣も、三人と少女を追ってついて来ていた。
「……やはり追って来るか。仕方ない」
 猫神は舌打ちして振り返り、ブレスレットをした方の手を大きく振った。
ちりん、という鈴の音と同時に、三人と獣の間に大きな二輪の台車に載せられた古めかしい型の大砲が現れる。猫神が手を振ってもう一度鈴を鳴らすと、ずどん、という轟音とともに砲弾が飛び出し、獣が後方へ大きく吹き飛んだ。
「よし!今のうちだ!」
 獣はちょうどスィーツの氷づけが転がっている辺りに落下する。その衝撃で氷づけスィーツは辺り一面に派手に散らばった。
「あの“門”をくぐるんだ!急げ!」
 猫神が方位磁石で方角を確かめながら、巨石と巨石の間のとある一点を指差す。
 ストーン・サークルの巨石の向こう側はほとんどが灰色のモヤに包まれていて何も見えないが、猫神の指し示した部分だけ、結界に入る前に見たショッピング・モールのフロアの景色が陽炎のようにゆらめいていた。
「……あれ?例の獣、追って来ないようですが……」
 レトが不思議そうに背後を振り返る。エデンも不思議に思ってそちらへ目を向けると……
「え……?あのコ……私の攻撃を……食べ……てる?」
 獣は氷づけになったマカロンやマシュマロやマスクメロンに鼻先を近づけ、そのままガツガツと貪り喰っているようだった。
 透明な獣の口の辺りで、スィーツが次々に粉砕され、消滅していく。
「アレはお前の“力”を具現化したモノだからな。無害化してしまえば獣の糧にもなる、ということだ。アレを全て喰らいつくせば再びこちらに向かって来るぞ。……お前の力を取り込んで、さっきより数段パワーアップした状態でな」
「そんな……。じゃあ、私は、本当にあのコにただエサをあげただけ……」
 うつむくエデンの頭を、猫神がぽん、と叩く。
「それが今、足止めになっているのだから結果オーライだ。今はその娘を安全な場所まで運ぶのが先決だろう。さっさとここを出るぞ」
 言いながら猫神が宙に浮いた少女の身体を自分の腕に抱え上げる。
 その光景にエデンの胸が一瞬チクン、と痛んだ。だが、それがなぜなのか、この時のエデンにはまだ分かっていなかった。

藤花

 “門”を抜けると、そこはもうショッピング・モールの日常風景の中だった。
 門をくぐり抜けている間に変身も解け、エデンたち三人は元通りの姿で雑貨屋の片隅に立っていた。
 だが、クラスメイトの少女は変わらず猫神の腕の中でぐったりしている。
「ん……?……モモキ……?どうしたんだ、モモキっ!」
 会計を終えて戻ってきた彼女の義兄が、顔面を蒼白にして駆けつけてくる。
「貧血か何かでしょうか。ちょうどオレが通りかかった時に倒れかかってきて……」
 猫神が前にも聞いたことのあるような言い訳をしながら少女を義兄の手に渡す。その時、服の袖から再びちらりと例のブレスレットが見えた。
(……あれ?あのブレスレット……前見た時と違う……?黒い部分が増えてるような……)
 少女を義兄に任せ、エデンたちはその場を離れる。人目のない場所を探して階段の踊り場まで来ると、猫神はおもむろにエデンを振り返った。
「あの娘から災厄の獣の臭いは薄れた。だが油断は禁物だ。エデン、学校であの娘から目を離すなよ」
「あ……うん。あ、あの……猫神先輩……」
 ブレスレットのことを訊こうとして、だがエデンは上手く言葉が出て来なかった。なぜか、そのことに触れてはいけないような予感がしたのだ。
 猫神は言葉につまるエデンを優しい目で見つめ、微かに笑みを浮かべる。
「早く家へ帰って休め。明日は学校があるんだからな」
「あ……はい。ありがとうございます」
 そのまま去って行こうとし、だが思い直したように立ち止まり、猫神はもう一度エデンを振り返る。
「……急がせるつもりはないし、無理をさせるつもりもないが……お前には強くなってもらわなければ困る」
「え……?」
「技に対するイメージ力を養い、契約の獣との絆を深めていけ。……慈恩を救い出せるとしたら、それはきっと娘であるお前だけだから……」
「パパ……?パパが一体、何……?」
 聞き返そうとした瞬間、エデンの脳内にビリッと奇妙なイメージが浮かんだ。
 一瞬で消え、何なのか確かめることもできなかったそれに、エデンは言いようのない恐怖を覚えて立ちすくむ。
(何?今の……。知ってるような……でも、思い出せない。何だか、コワイ……)
「姫君!?お顔の色が真っ青です!やはり先ほどご無理をなさったから……。早く休める場所へ移動しましょう!」
 いつの間にか猫神の姿はもう見えなくなっていた。心配して騒ぐレトの声をどこか遠くに感じながら、エデンは自分で自分に問いかける。
(そう言えば……パパって、どうしていないんだっけ……?『事故』って、聞いた。でも、事故って何の……?それでパパはどうなったんだっけ?私、それをママにちゃんと聞いたっけ……?)
 思い出そうとすると、なぜか暗闇の中の底なし沼に足を踏み入れているかのような恐怖を感じる。
(こわい……ヤダ。これ以上、考えたくない……。何なの、これ。何で私の記憶の中に、こんなよく分からない部分があるの……?)
 エデンはその恐怖から身を守ろうとするように、無意識に自分で自分の身体を抱きしめた。
「姫君っ!」
 ふらつくエデンをレトが支える。そのあたたかい腕の中で、エデンは何かから逃れようとするようにゆっくりと意識を手放していった。

藤花

 次にエデンが目を覚ましたのは、自室の天蓋付きベッドの中だった。
(……あれ?私……結局また気を失っちゃったんだっけ?……レトが運んでくれたのかな?)
 クラスメイトの少女を連れて災厄の獣の結界を脱出したことは覚えている。だがその後のことが妙におぼろげで、上手く思い出せない。
(今、何時だろう?レトはどうしてるのかな?)
 とりあえず部屋を出てリビングの方へ向かってみる。
 『レトがいたら迷惑かけたことを謝ろう』と思って開けた扉の先に、目当ての姿はなかった。代わりに、エデンを今日こんなトラブル続きのデートに向かわせた張本人・アズライトが鼻歌を歌いながらテレビ台の拭き掃除をしていた。
「ん?お嬢様!目が覚めたんですねー!良かった良かった。レトの奴、真っ青な顔で心配してましたよー」
 相変わらずへらりとしたその顔に、今日味わった数々の出来事が走馬灯のように蘇り、エデンは思わずムッとして口を開いていた。
「アズライトさん!今日私とレトがデートした方がいいなんて、全くのウソじゃないですか!具合悪くなるし、クラスメイトに目撃されちゃうし、災厄の獣は現れるしで、最悪でしたよ!」
 だがアズライトはへらへらした顔を全く崩さない。
「いやー、大変でしたねー。レトの奴からも聞いてますよ。まさか災厄の獣が出て来るとは。俺の“予感”じゃそこまで細かいことは分かりませんからねー」
「だからっ!どうしてソレで『今日デートした方が私のためになる』ってことになるんですか!?」
 眉をつり上げてつめ寄るエデンに、アズライトは笑顔のまま、思いもよらない言葉を返してきた。
「いや、そりゃ俺にも分かんないっすよ」
「…………は?」
「つーか、俺は『今後のお嬢様のためになる』とは言いましたけど『今日のデートが楽しくて良いものになるだろう』なんて一言も言ってないですよ?そもそもこの世の中、自分の『ためになる』ことが楽しかったり面白かったりするとは限らないじゃないっすか。身体には良くてもメチャクチャまずい食べ物があったりするようにっすねぇ……」
「そ……それはそうかも知れないけど……。私、今日デートすれば何かいいことがあるんだって、思ってたもん……」
 エデンは自分が早とちりをしていたことに気づいたが、面白がっているようなアズライトの顔がシャクで、何だか素直に謝ることができなかった。
「んー……まぁ、今日はイマイチな一日だったとしても、これからイイことがあるかも、ですよ。『今後のためになる』ってことは、今日お嬢様が起こした行動のうちのどれかで、今後の良い展開をもたらす何かしらのフラグが立ったってことだと思うっすから。まぁ、それが何で、これからどんなことが起こるのかは、俺には読めねぇっすけどね」
 明るく笑ってそう言うアズライトに、エデンは何だか怒ったりムキになったりするのがばからしくなってきた。
「……そういうもの、なんだね。……ごめんなさい、八つ当たりみたいなことして」
「いや、いいっすよ。俺、いっつもこんなんだから、アンバーやマイカにもいっつも怒られてるし。あいつらの怒りに比べたら、お嬢様のなんて仔猫ちゃんのカンシャクみたいで可愛らしいもんですよ」
 その言葉に『へらへら笑ったままアンバーに怒鳴られているアズライトの図』が自然と頭に浮かび、エデンは思わず吹き出していた。
「……確かに、いっつも怒られてそう。特にアンバーさんとか、すっごく恐そう」
 気づけばエデンはムカついていたことも、勘違いに気づいて小さな罪悪感を感じていたことも忘れ、ほっこりした笑みを浮かべていた。
「……でも何か、いいですね。最悪な一日にあったことが、これから起こる素敵な何かのフラグになってるなんて。そう考えれば今日の散々な初デートも、少しはマシに思えるかな……?」
「まぁ少なくとも、今日一日でレトの奴のお嬢様へのラブ度は確実にアップしてますね。『姫君が俺の身を案じてくださった』『ご自分の具合より俺の命の方が大事だと熱く語ってくださった』ってノロケまくってましたし」
 自分の知らぬ間に交わされていたとんでもない会話の内容に、エデンの顔は一瞬にして真っ赤に染まる。
「ノ、ノロケって……ち、違うもん!レトを心配するのは恋とかじゃなくて……もっと家族的なアレで!……って言うか、レトってば何を勝手に言いふらしてるの!?ちょっと捕まえて、一言言っておかないと!」
「あー、レトの奴なら今、厨房でこき使われてるっすよー」
 後輩をかばう気がまるで無いアズライトがアッサリ居場所をバラすと、エデンは礼を言ってすぐさまリビングを飛び出す。猛烈な勢いで走り去っていくエデンを見送った後、アズライトはふいにへらへらした笑みを引っ込め真顔になった。
「……過去を気にする素振りはない。暗示は解けていないみたいだなー……」
 口調にはまだ軽い調子が残っているが、その声には一切の感情が無かった。
「でも、必ずその時は来る。お嬢様には今のうちに強くなっておいてもらわないとだな……。旦那様かお嬢様かの二者択一なんて、そんな辛い選択をあの方にさせるわけにはいかないしなー……」
 本能が感じ取ったままに、彼はつぶやく。その不穏な“予感”を知る者は、現時点でまだ彼一人だけだった……。

episode3-end 
 
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初回アップロード日:2017年7月9日 
 
 
 
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このページは津籠 睦月によるオリジナル・ファンタジー小説の本文ページです。
構成要素は恋愛(ラブコメ)・青春・魔法・アクションなどです。
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