第二章 神の生まれ出づる杜

「ヤト様、大丈夫ですか?」
 我に返った花夜が心配そうに顔を覗き込んできた。
「あの……っ、あなた様のお心を無にするような真似をして申し訳ございません!決してあなた様のことを(おろそ)かにしているわけではなく、ただ、でき得る限り人死にを出したくないという、その一心で……!」
 天探女(アメノサグメ)をその身に降ろしていた間のことをまるで覚えていない花夜は、俺の(ほう)けた顔を別の意味にとったらしい。必死に弁解してきた。
「気にしてはおらぬゆえ、謝る必要はない。俺を止めたお前の判断は間違ってはおらぬ。まさか天探女を出してくるとは思わなんだが」
 人心を惑わす天探女を(こころよ)く思う者はあまりおらず、(あが)めるどころか、(のち)の世には神であったことすら半ば忘れ去られ、(あやかし)のように(あつか)われることとなる。そんな女神に祈りを(ささ)祭祀(まつ)女子(むすめ)がいるなど、俺はこの時まで想像したこともなかった。
「世の中の物事には、どんなものであれ存在する意味があるのだと、母が申しておりました。ですから……きゃっ!?」
 花夜の言葉は彼女自身の悲鳴によって途切れた。
 目を移せば、俺達はいつの間にか人ならざるモノたちに囲まれていた。緑の髪に花や果実を(から)ませた彼らは、こちらをじっと見つめ、何事かを口にする。だがその唇から(こぼ)れるのは、まるで木の葉擦(はず)れのような『ざわざわ、ざわざわ』という音ばかりだった。
「……ヤト様っ」
 花夜が(おび)えたように俺の衣袖(ころもで)(にぎ)ってきた。救いを求めるようなその瞳に、何か言葉を返そうと口を開きかけたその時、藤の木の元で光が(はじ)けた。白に、黄金(くがね)に、虹の七色――ありとあらゆる色彩をひとつに凝縮したような美しい光だった。
「お守り下さり、心より感謝申し上げます。(ヘミ)のかたちを持つ神、そしてその巫女姫」
 光の中から現れたのは、一柱(ひとはしら)の女神。白藤を思わせる真白の髪に藤紫の瞳、肩にまとった花の比礼(ひれ)を風にひらめかせるその姿は、まさに藤の木の女神にふさわしいものだった。
「藤の木の女神様……。無事に御降臨なさったのですね……」
 女神の姿にうっとりと見惚(みと)れる花夜のそばに、人ならざるモノたちが歩み寄る。相変わらず、ざわざわと言葉にならぬ声を出しながら、花夜に向かって手に持った何かを差し出す。困惑する花夜に、女神が優しい声で語りかけた。
「この()たちは木霊(コダマ)。この(もり)の木々に宿る精霊(すたま)が人の形をとったものです。あなたに杜の木を守ってくれたお礼をしたいのだそうですよ。どうか受け取ってあげて下さい」
「そうでしたか。ありがとうございます」
 花夜が両の手を差し出すと、木霊たちは次々とその上に木の実や樹皮などを乗せていった。
「これは(つるばみ)の実、それは黄櫨(はじ)の木の皮。どちらも染料として使えます。そちらは(くれ)の実、油が()れますよ」
 木霊たちの贈り物はどれも森ではありふれた、しかし使いようによっては日々の暮らしを豊かにしてくれる品ばかりだった。藤の木の女神はそれら一つ一つを木霊(コダマ)の言葉を訳しながら説明してくれる。
 やがて最後に、ひどく()()ずと遠慮(えんりょ)がちに、花夜の手のひらに幾粒かの種が置かれた。その種を渡してきたのは、他の木霊たちより一回り小さな木霊の少女(をとめ)。彼女は消え入りそうに小さな声『さわさわ』と(ささや)きかける。
「あの……彼女は何と言っているのでしょうか?」
「それは花の種だそうです」
 他の木霊の(かげ)から顔だけを出し、恥ずかしそうにこちらを見る木霊の少女を、藤の女神は優しい目で見つめる。
「何の役にも立たないかも知れませんが、今の自分に用意できるのはその種だけですから、是非(ぜひ)持っていって欲しい、と言っています」
「役に立たないなんて、とんでもありません。(さと)の皆に良いおみやげができました」
 花夜の言葉に藤の女神は()みを深くする。
「その花にはまだ名がありません。よろしければ、あなたが名付け親になってあげてくれませんか?」
「え!?私が!?そんな……、よろしいのですか?」
「ええ。あなたなら良い名を付けてくれるでしょうから、きっとあの()も喜びます。それと、木霊たちとは別に、私からも是非お礼をさせて欲しいのですが、何か望みはありますか?」
 女神の問いに花夜はしばし考え込んだ。女神に望みを叶えてもらう機会など、一生に一度(めぐ)ってくるかどうかも分からないものだというのに、花夜が選んだのは、あまりにもささやかな望みだった。
「では、私の古里(ふるさと)花蘇利国(かそりのくに)の今の様子を確認していただくことはできますか?」
 俺は思わず花夜の衣袖(ころもで)を引き、(ささや)いていた。
「お前、いくら何でも欲が無さ過ぎるだろう。今少し、とっくりと考えたらどうだ?」
「でも私が今一番気にかけているのは花蘇利のことですし、それに……」
 花夜は一旦(いったん)言葉を切って俺を見た。
「今までで一番叶えたかった望みがこうして叶っている以上、他の望みなどそうそう思いつきません」
 その笑顔に無性(むしょう)に気恥ずかしさを覚え、俺は知らず外方(そっぽ)を向く。
「では、花蘇利の国内(くにうち)に立つ藤の木の木霊たちに、巫女姫の古里の今の(さま)()いてみましょう」
 藤の女神はそう言うと、髪から藤の花の挿頭華(かざし)を一つ引き抜き、耳へと押し当てた。しばらくの間、声無き声で遠く離れた木霊たちと話をしていたようだが、その顔は次第(しだい)(けわ)しいものへと変わっていった。
 息を()めて見守っていた花夜に向き直り、女神は悲痛な顔で告げた。
「巫女姫、あなたの国には今、他国(あたしくに)兵士(いくさびと)数多(あまた)入り込んでいるそうです」
「え……」
 花夜は一瞬(ほう)けたような顔をした後、すぐに青ざめ、悲鳴を上げた。
「花夜!」
 崩れそうになる身体を咄嗟(とっさ)に支えると、花夜は震える(かいな)で俺にしがみついてきた。
「そんな、まさか……こんなに急に……。よりにもよって、私のいない、こんな時に……っ」
「心当たりがあるのか、花夜!」
 うわ言のように呟く花夜に問うと、花夜は泣きそうな顔で頷いた。
「心当たりは一つしかありません。ずっと、花蘇利を属国にしようと狙ってきた大国、そして直路(ひたち)(くに)をこんな風にしてしまった国……『水響(みづとよ)霧狭司国(むさしのくに)』……」
 その名に、再び俺の(なづき)に過去の光景が(あふ)れかえる。過ぎ去りしあの日、俺のいた国を襲ったのも、そして俺の大事な人間を死へと追いやったのも、霧狭司国だった。
 水響む霧狭司国――風火水土のうちの一柱、水神(みづかみ)を鎮守神に持つこの大国は、己の勢力をより強大強固なものとするため、周りの小国を次々と攻め滅ぼしてきた。
「早く……、早く戻らなければ……皆がっ」
「ああ、そうだな。すぐに行こう。花蘇利国へ」
 嫌な予感に胸を(ふた)がれながらも俺は言った。できることならば、そんな危険な地へ花夜を戻らせたくはなかった。だが決して彼女を止められぬことも分かっていた。たとえ死の危険を(ともな)おうとも、最期まで国を守るのが、社首(やしろおびと)――国の神社を()べる(おさ)たる者の責務なのだ。
「お気をつけ下さい。花蘇利国には兵士(いくさびと)だけでなく、霊力(ちから)の強い巫女も来ているようです」
 藤の女神の忠告に、俺はただ黙して(うなず)いた。
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倭風ファンタジー 花咲く夜に…
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