第三章 岐路に立つもの


「あれが花蘇利(かそり)国府(こくふ)か」
 国境(くにざかい)の間際の丘の上、わずかに開けた()()から集落を見下ろし、俺は(つぶや)いた。
 『千葉茂る花蘇利国』は内海(うちうみ)に面した平野(ひらの)に広がる、その名の通り千の葉が生い茂る緑豊かな国だった。国府は高い木の塀でぐるりと囲われ、その内に(さら)に、二重(ふたえ)の柵で守られた国庁(くにのまつりごとどの)と、二重の空堀(からぼり)に囲まれた神社(かむやしろ)が見える。遠目に見ただけでは他国(あたしくに)の侵略の(さま)などは見てとれず、集落は奇妙な静けさをたたえていた。
「まずはとにかく、ある程度まで国府に近づき、神使(カミツカイ)(ヘミ)達に中を探らせよう。俺はこの辺りのことには明るくないゆえ、案内(あない)してくれ」
「はい」
 花夜は気丈に(うなず)くが、その瞳には動揺と不安が浮かんでいた。まだ年少(としわか)女子(むすめ)には酷な状況だ。だが花夜はそんな躊躇(ためら)いや(まど)いを一息に()()すように深く息を吸うと、強い決意を秘めた眼差しで歩み出した。その小さな背を見つめながら、俺も一つの決意を固めていた。
(……あの時のようにはさせぬ。今度こそ守ってみせる。せめて、(ただ)一人だけでも……)
 俺達は国府へ向け慎重に歩を進めた。だが、わずかに進んだ(のち)、ふいに花夜が足を止めた。
「どうした、花夜」
「……妙です。この辺りには確か、国境(くにざかい)(しるし)があったはずですのに……」
 花夜は何かを探すように周囲を見渡しながら、幾度(いくど)も首をひねる。
霧狭司(むさし)国人(くにひと)によって引き抜かれでもしたのではないか?行くぞ」
「はい……」
 花夜は釈然としない顔をしながらも、再び先に立って歩みだした。
 直後、その身が唐突に(くう)に浮いた。
「きゃあっ!?」
 身動き一つできぬ()に、花夜の身が元来た方角へと吹き飛んでいく。それは、あたかも()えざる手につまみ上げられ、放り投げられたかのようだった。俺は血相を変えて駆け寄る。
「花夜っ!大事(だいじ)()いか!?」
「……はい、なんとか。でも、一体何が……」
 花夜は手足に負った擦り傷に顔をしかめながら、よろよろと立ち上がる。その時、俺たちの行く手から声が上がった。
「外より来たりし者達よ。ここより先、一歩でも内に踏み入ることは、我が許さぬ」
 目を転じれば、先ほど花夜が踏み越えようとしていた辺りに、いつの間にか一人の(をのこ)が立っていた。道を(ふた)ぐようにして立つその見知らぬ男は、頭に(ひさご)の葉と蔓でできた御冠(みかげ)をかぶっていた。
「ここより先は、水を()べる尊き姫神・水波女神(ミヅハノメノカミ)の治められる国。他国(あたしくに)の者は即刻立ち去られよ。さもなくば、力尽くで排除する」
 びりびりと(くう)を震わせるその声には、聞く者の心に(おそ)れを抱かせる強い言霊が籠もっていた。俺はハッと男の(かお)を凝視する。この男は、人間(ひと)ではない。神だ。人の姿をとった男神(ヲガミ)なのだ。
「花蘇利が水神(みづかみ)様の治める国……?そんな……、それでは、もう既に国府は落ちていると……?」
 男神の言葉に、花夜は目を見開き、糸が切れたようにくたりとその場に膝をついた。
「花夜……」
 俺は花夜の震える肩に、そっと手を置いた。
如何(いか)にする、花夜。守るべき国が既になくなったとなれば、お前が今、命を賭してまで戻ることはないと思うが。一度退(しりぞ)き、万全の備えをした後に戻るも一つの手ではないのか?」
 言いながらも、花夜がここで退くはずがないと、俺には分かっていた。そしてその予想に(たが)わず、花夜は首を横に振って立ち上がった。
「いいえ。今行かねばなりません。今行かねば救えぬ命もありましょう。それに、たとえ国が滅んだとしても花蘇利の民の最後の一人までを守り抜くのが花蘇利の姫たる私の務めです」
 花夜は未だ震える足で男神の前へ進み出て、精一杯声を張り上げた。
「私は千葉茂る花蘇利国の社首・花夜です。そこをお通し下さい」
 花夜の名乗りを、男神は鼻で(わら)った。
「花蘇利の首長の娘か。(なれ)は最早、社首ではない。花蘇利の神社には既に霧狭司の八乙女(やをとめ)の一人が入っている」
「八乙女……。そうか、(なれ)()んでここを守らせたのは、その八乙女なのだな」
 八乙女は、霧狭司の有力氏族の姫達により構成される、高位の巫女集団だ。幼い頃より神宮でひたすら祈道の修行に励み、その霊力は並の巫女が十人(たば)になっても敵わないと言われている。
 花夜はきゅっと唇をひき結び、俺を見た。
「ヤト様、御力を貸して下さい。私はどうしても花蘇利へ戻らなくてはいけないんです。だから……っ」
 力を貸せば、花夜を闘いへ向かわせることになる。俺はわずかの間、逡巡した。だが結局は、花夜の縋るような目に頷かざるを得なかった。
「……ああ。俺はお前の神だ。その祈言(ネギゴト)、叶えよう」
「良いか花夜、しっかりと握っていろ」
 俺は花夜の手のひらに己の手を重ね、(まなこ)を閉じた。その刹那、俺の身体は(しろがね)の光と化し、()けるように形を()くす。光は一瞬、蛇のように長く細く伸びた後、一振りの大刀へと変わる。銀に光る刀身には(くがね)象嵌(ぞうがん)で龍の姿が彫り込まれ、柄頭(つかがしら)には透彫(すかしぼり)(ほどこ)した環状の飾りがきらめく。花夜の肩の(たけ)に達するほどの長さの(すぐ)の大刀――それが、俺の本性だった。
「なんて見事な御神刀……。それに、なんて軽いのでしょう……。まるで(くう)をつかんでいるようです」
 花夜は見惚れたように呟いた後、ハッとしたように顔色を変えた。
「お待ち下さい、ヤト様!私、大刀を握ったことなどありません!私ごときの腕で神に挑むなど、無理です!」
『案ずるな。お前は巫女。戦士(いくさびと)のように刃を交える必要はない。魂振(タマフリ)で闘うのだ』
 その言葉に、花夜は目を(みは)り、驚いたように俺を見つめた。
「魂振を……!?よろしいのですか?」
 魂振を許すということは、神体と神の霊力(ちから)をともにその手に(ゆだ)ねるということ。心より信ずる相手でなければ許すことができない。だが俺に迷いは無かった。
『ああ。お前にならば許そう。お前は俺が(ちぎ)りを交わした唯一人の巫女だからな』
 俺の言葉に花夜は神妙に頭を下げると、(つか)を握り直し、改めて男神を見据えた。
「男神様、どうかそこをお退()き下さい。さもなくば、力尽くで通らせて頂きます」
「我に闘いを挑むか。少女(をとめ)と言えど、容赦はせぬぞ」
 男神は不敵な笑みを浮かべ、片脚を大きく振り上げた。その脚をそのまま、地を揺るがすような勢いで地面に突き立てる。呆気にとられる花夜をよそに、男神は片脚を膝下近くまで地にめり込ませたまま叫んだ。
「クナ!」
 その声は風となり、俺達の身に真っ向からぶつかってくる。踏ん張っても耐え切れず、花夜はその風に吹き飛ばされ、悲鳴を上げて地に転がった。
『花夜っ!』
「大丈夫です。でも、今のは一体……?」
『おそらくは言霊の力だ。『()な』は侵入を阻む言ノ葉。すなわち俺たちを侵入者と見なし、言霊の霊力(ちから)(ふる)って阻んでいるのだ。そして、地に脚を突き刺す動作は言霊の霊力を増すための何らかの呪術(まじない)であろう。もしかすると、地の深くより霊力を吸い上げているのやも知れぬ』
「では、あの一連の動きを封じなくてはなりませんね」
 花夜は俺の刀身を頭上高く持ち上げ、踊るように振り回し始めた。
 魂振とは、神体を振り動かすことにより、神の魂を震わせることを言う。そしてその魂の内にある霊力を、昂ぶらせ、引き出し、発動するのだ。後の世の祭祀(マツリ)で、神体の乗った神輿(ミコシ)(かつ)ぎ、激しく振り動かすのも、この魂振の名残りと言われている。
 花夜の手により刀身を振り回されるうちに、俺は胸の奥底で何かが熱く(たぎ)るのを感じた。昂奮(こうふん)とも衝動ともつかぬそれが、身の内に湧き溢れ、霊力へと変わっていく。
「ハッ!」
 霊力が満ちたのを見計らい、花夜が気合の声と共に俺を振り下ろした。霊力は風の刃と()り、真っ直ぐに男神へと向かっていった。
「クナ!」
 再び男神が叫ぶ。言霊を帯びた風は、俺達の巻き起こした風の刃とぶつかり合い、互いを打ち消し合って消えた。
『花夜!攻撃の間合いが長過ぎる!相手に反撃の(いとま)を与えるな!霊力を溜めきってから攻めるばかりでなく、魂振の合間にも細かく攻撃を加えるのだ!』
「はい!」
 花夜は必死に俺の声に応えようとする。だが、今まで神棲まぬ国にいた花夜にとって、これが初めての魂振。勝手も分からぬまま、知識だけを頼りに行っているのだ。即座にそんな器用な真似ができようはずもない。俺達は男神に傷らしい傷一つ負わせることもできず、ただ体力ばかりを削り取られていった。
『……このままでは(らち)が明かんな』
 俺の呟きに、花夜は荒い息で、ただ頭だけを縦に振る。
『何か別の手を考えねばならぬのやも知れぬ。せめてあの男神の真名(まな)を明かせれば、弱みが分かるやも知れぬが……』
「あの神様の真名……。正体、ということですか」
 息も切れ切れに答えてから、花夜はしばし考え込む。
「あの神様、初めからずっと、あの場を動きませんね。そして攻撃の際には、必ず地に脚を突き刺し、霊力を得ています。あの神様の霊力の源は……『土』?……いいえ、もしかしたら、あの『場』なのかも知れません」
『あの『場』……。国境(くにざかい)に立つということは、境界神(きょうかいしん)か。しかし境界神にもいろいろあるが……』
「国の境……、片脚を地に()き立てる……、外からの侵入を防ぐ神……」
 花夜は次第に己の考えに没頭していく。だが男神はその隙を黙って見過ごしたりなどしなかった。
「クナ!」
 言霊が風と()り襲ってくる。
『まずい、避けろ!花夜!』
 叫んだが、遅かった。花夜は跳ね飛ばされ、悲鳴を上げて倒れる。
『大丈夫か!?』
 俺の声に、花夜はむくりと起き上がる。だがその目は俺ではなく、男神にひたと向けられていた。何か重大なことに気づいたかのような顔で。
「『クナ』……。そうでしたか。その言霊にも意味があったのですね。分かりました。あなたの正体が」
 花夜は男神を正面から見据え、毅然と告げた。
「国の境の岐路に()き立ち、外から来るモノを『来な(クナ)』と(はば)む、視えざる()――あなたは、国境を示す(しるし)の神ですね。……『衝立岐神(ツキタツクナトノカミ)』様」
 それは、国の境を守る境界神の名だった。国境を示し、そこを守るために突き立てられるに宿る神の名――花夜がその名を口にした途端、男神の顔が苦しげに歪みだした。
「よくも……我が真名を……っ!」
 男神は怒りに顔を染め、花夜に掴みかかろうと手を伸ばす。しかし、その腕は泥のようにぐにゃりと曲がり、胴体と同化して消え失せた。否、腕だけでなく、男神の全身が、くねり、歪み、色を変え、別のものへと変じていく。驚き立ちすくむ花夜の目の前で、男神は地に突き立つ一本のへと姿を変えた。上部に瓢の蔓が絡まった、大きな木のだ。
 花夜はおそるおそるそのに近づき、触れてみる。
「これは間違いなく、花蘇利の国境にあった……!でも、何故元に戻ったのでしょう?」
 花夜は何が起きたのか全く分かっていない顔で俺を見る。
化生(けしょう)の神は、(けが)れを知らぬ幼子にその本性を見破られると、変化(へんげ)を保てなくなると聞いたことがある。俺もこの目で見るのは初めてだが……』
 軽い感動さえ覚えて言うと、花夜は頬をふくらませた。
「『幼子』って……、私はもう十四(とおあまりよっつ)です。幼くなどありません!」
「そういうことではない。お前の心が幼子のように無垢(むく)で穢れないという話だ」
 俺は大刀から人の姿へと戻り、に歩み寄る。そして手指を真っ直ぐに伸ばし、の上部へ向け一閃させた。に巻きつけられた(ひさご)の蔓だけが、手刀(てがたな)に切り裂かれ地に落ちる。花夜はそれをじっと見つめ、硬い声で言った。
(ひさご)は水神様の御印(みしるし)、でしたよね」
「ああ。おそらく、この蔓に霧狭司の巫女の呪術(まじない)がかけられていたに相違(そうい)ない。これを断ち切った以上、岐神(クナトノカミ)が霧狭司側に味方することは、最早(もはや)無いと思うが」
「神さえも従わせるほどの霊力の持ち主なのですね、霧狭司の八乙女は」
 花夜の声には隠しきれぬ恐怖がにじんでいた。
「今からでも遅くはない。引き返すか?」
 国境の岐路(わかれみち)の上で、俺は問う。だが花夜は、自らを奮い立たせるように強く拳を握り、首を振る。
「いいえ、行きます。行かなければならないのです」
「……そうか」
 俺はただ頷いた。胸を(ふた)(くら)い予感から目を()らしながら。
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倭風ファンタジー花咲く夜に君の名を呼ぶ
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