第1話:夢見の島の眠れる女神
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- 第11章 悪夢の卵(2)
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「……フィグ、もう寝ちゃった?」
蜘蛛の巣状にひび割れた星空の下、花園に横たわり目を閉じたフィグに、ラウラはそっと問いかける。答えは返らない。聞こえるのは花々が風に揺れる、さわさわという音だけだった。
ラウラはそれでもしばらくフィグの返答を待つ。そしてフィグが本当に眠ってしまったのだとようやく納得できたところで、再び唇を開いた。
「ごめんね。うろ覚えだなんて嘘だよ。ここには悪夢 は出ない。だから安心して眠ってて」
言いながら、ラウラはおもむろに髪留めを引き抜き、銀の匙杖 へと変化させる。
「夢より紡ぎ出されよ……え……」
フィグを起こさぬよう静かに静かに言葉を紡ぎ、だがラウラはすぐに声を詰まらせる。
気をとり直してもう一度口を開こうとしたその時、ラウラの眦からぽたりと涙が零れた。
「…………あっ……」
ラウラはとっさに口をふさいだ。涙とともに零れそうになる嗚咽を、必死にこらえる。そして銀の匙杖 を握り直すと、か細く声を震わせながら、やっとのことで言葉を発した。
「夢より……紡ぎ、出されよ……縁切りの……神様“宇治の橋姫”……っ」
杖 の先から七色の光が溢れ出し、その中から一柱の女神が現れる。一見しとやかな姫君のように見えるその女神に、ラウラは泣きながら懇願した。
「“橋姫”、お願い。私とフィグの間に結ばれた縁を……運命の糸を、断ち切って」
橋姫はうなずき、ラウラの足元にすっと身を屈める。そこから何かをすくい取るような動作をして立ち上がった橋姫の手には、雲海の中で見たあの赤い鎖が握られていた。
橋姫は両手で鎖を掴み、力任せに引き千切ろうとする。だが、鎖は切れない。どころか、疵一つさえつくことがなかった。
『さてもまぁ、強き縁に結ばれしものよ。あな口惜しや、妬ましや』
橋姫の赤い唇から、独り言とも恨み言ともつかぬものが零れだす。やがてその姿は徐々に別のものへと変貌していった。
長くつややかだった黒髪は荒々しくくねって角のように逆立ち、全身は朱の色に染まり、頭には丑の刻参りの扮装のような三つの火を点した鉄輪が現れる。
たおやかな美女から嫉妬深い鬼女へと変化した橋姫は、般若の形相で鎖を左右へと引っ張る。
赤い鎖はそれでもしばらくは橋姫の力に耐えていた。しかしそのうちにぴし、と音が鳴り、ついに鎖の輪の一つに小さく亀裂が入った。橋姫はその顔に一瞬喜色を浮かべ、さらに力を込めようと鎖を握り直す。だがその時、ふいに鎖が激しく波打って揺れた。フィグが飛び起きたのだ。
「何だ !?悪夢 が現れたのか !?」
フィグは橋姫の姿を見ると、とっさに杖 を構えた。
「その姿……“宇治の橋姫”か?だったら……、夢より紡ぎ出されよ!『平家物語 ・剣の巻』より名刀“髭切 ”!」
フィグは叫びながら、地に咲く花々を撫でるように銀の匙杖 を動かす。夢雪花 の白い綿毛は一瞬で白銀の光となって弾け、フィグの匙杖 はその光の中で一振りの日本刀へと形を変えていた。その刀を目にした途端、橋姫の顔色が変わる。
『それは……、その刀は……!』
橋姫は片腕を押さえ、身を震わせる。
『いやじゃ……。この腕を斬り落とされるのは、もういやじゃ……!』
もうこの場所にはいたくない、とでも言いたげな声を発しながら、その身体が七色に光り輝き、徐々に霞んでいく。やがて橋姫の姿は空気に溶けるようにして消え去り、後には宙を舞う七色の光の粒だけが残された。
フィグはしばらく無言でその光を見つめていたが、やがて振り返ってラウラを見た。その顔からは一切の表情が失われていた。
「……どういうことだ、ラウラ。悪夢 ならば黒い泡を出すはずだよな?なのに、これは夢晶体 特有の光を発して消えた。しかも真の夢見の娘 にしか出せないという七色の光を出して」
ラウラは目に涙を浮かべたまま、びくりと肩を揺らす。
「ごめんなさい。ごめんなさい……っ」
「答えになってない。俺は理由を訊いてるんだ。なぜこんなものを出した?何をするつもりだったんだ?お前は」
全く表情のない顔で、だがフィグが深く静かに怒っていることにラウラははっきりと気づいていた。謝罪だけは口にしながら、しかしそれでもラウラは、己の為そうとしていたことを否定する気はなかった。どれほど怒りを買っても、たとえフィグに許してもらえなかったとしても、それでもどうしても譲れないものが、ラウラにはあった。
「ごめんなさい。でも、ダメなんだよ。フィグの運命の糸は、私につながったままじゃダメだから。もっと違う、他の誰かと結ばれなくちゃ……」
「何なんだ、それは。お前、俺のことが嫌になったのか?」
「そんなわけない!どんなに離れ離れになっちゃったとしても、フィグに対する想いだけは絶対に変わらないって、私、自信を持って言えるもん!でも、だからこそ私、フィグには幸せになってもらいたい。フィグのことが…………好きだから」
混乱のあまりうっかり口にしてしまった前回の告白とは異なり、その言葉をラウラは自分の意思で、絞り出すように口にした。フィグはさすがに目を見開いてラウラを見つめる。
「このまま私とつながっていたら、フィグ、この先不幸になっちゃう。そんなの、見たくないよ。せめてフィグには幸せでいてもらいたい。だから……」
「何なんだ、それ。俺の幸せを何でお前が勝手に決めるんだ !? 幸せか不幸かなんて、そんなのは俺の気持ち次第だろう!そんな勝手な決めつけで一方的にこの“糸”を切られてたまるか。だいたい、どうして俺がお前といると不幸になるって言うんだ?」
その問いに、ラウラはすぐには答えられなかった。ラウラは銀の匙杖 をぎゅっと握りしめ、硬い声で告げる。
「だって……もうすぐ私は、フィグの前からいなくなってしまうから」
このページは津籠 睦月による児童文学風オリジナルファンタジーWeb小説「夢の降る島」第1話の本文ページです。
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