第五章 花に()がう

「……お(はよ)う、ございます。ヤト様……」
 明くる日、朝の挨拶(あいさつ)をしてきた花夜の(ほお)は、(ほの)かに赤く染まっていた。言葉もどこかぎこちなく、俺と目を合わせようともしない。
「あ、あの……、昨夜(ゆうべ)は、失礼を致しました。神様に対し、()(よう)振舞(ふるまい)を……」
「俺にしがみついて泣いたことか?構わぬ。そもそも先に抱いたは俺だったであろうが」
 その言葉に、花夜の顔が(さら)に赤みを増す。花夜はしばらく口もきけぬ様子でうろうろと視線を彷徨(さまよ)わせた後、俺に聞こえぬと思ったのか、小さな声で(つぶや)いた。
「ヤト様って、罪作りな(かた)……」
 年頃(としごろ)少女(をとめ)らしく照れているものと判断し、俺はその話にそれ以上は触れなかった。
 朝食(あさけ)のための材料を集めて来させるべく、(おもむろ)神使(カミツカイ)(ヘミ)達を()び出すと、それを見た花夜がハッとしたように腰に下げた小袋に手をやった。
朝食(あさけ)支度(したく)ですね。確かまだ袋の中に乾飯(ほしいい)が残っていたはず……」
 言いかけ、花夜はふいに言葉を止めた。その指が袋の中から、木の皮に包まれた何かを取り出す。
「何だ、それは」
「花蘇利への土産(みやげ)にしようと思っていた花の種です。あの日、木霊(コダマ)少女(をとめ)からもらった……」
 包みを解き、その種を手のひらの上に乗せ、花夜は古里を振り返った。
 朝霞のたなびく花蘇利(かそり)の国府は、()(ぼの)の光に照らされ、淡い火色(ひいろ)に輝いていた。未だ人の起き出す気配はなく、ただ遠くから微かに(かけ)の鳴く声が聞こえてくる。
 花夜は何かを決意した顔で、その場に身を(かが)めた。
「ヤトノカミの巫女・花夜の名において、今よりこの花を『幸有(さくあら)(はな)』と名付けます。幸有(さくあら)の花よ、我が()がいを叶えたまえ。その名にかけて、花蘇利国(かそりのくに)にこの先も()()らんことを……」
 花夜は種を両手で包み込み、目を閉じて祈る。その掌中(しょうちゅう)に一瞬、蛍火のような光が(うま)れるのが見えた。花夜の()がいを込めた祈魂(ホギタマ)が、幸有の花の種に宿った瞬間だった。
 花夜はそのまま素手で地を掘り、幸有の花の種を一つ埋めた。
何故(なにゆえ)然様(さよう)なことをする?」
 問うと、花夜は立ち上がり微笑んだ。
国内(くにうち)に植えてくることは叶いませんので、ここに植えて行きます。ここならばいずれ、国の(みな)にも見てもらえると思うのです」
「そうではない。何故(なにゆえ)、お前を()てた国の(さいわい)など祈るのだ?国人(くにひと)達は皆、お前のことを容易(たやす)く見放したのだぞ」
「はい。正直に申しますと、複雑な気持ちはありますけれど……。ですが、仕方がないのかも知れません。今にして思えば、私は、自分が本当に国の皆を救いたいと思ってきたのか、自分でも分からないのです。もしかしたら私は、社首(やしろおびと)としてあるべき理想の姿をただ演じていただけなのかも知れません。皆に認めてもらい、(あも)さまと同じように愛してもらうために」
「しかし、それで国人(くにひと)達の()したことが許されるわけではなかろう。真意がどうであったとしても、お前が、お前を(うと)んじてきた国人(くにひと)達を命を()けて守ろうとしていたことは事実だというのに」
「だからと言って、それであの人達を憎むのでは『負け』だと思うのです」
「……どういうことだ?」
(ひど)いことをされたからと言って、(ひど)いことをし返したとしても、ほんの一時(いっとき)、心の()さが晴れるだけです。そのようなことのために己の心を(けが)してしまったら、きっと私は、自分(わたし)のことが嫌いになってしまいます。だって、そんなことをしたら私、あの人達と同じになってしまいますもの。私を(うと)んじ、(しいた)げてきたあの人達と……」
「だが、何も祈りを(ささ)げる必要など無いのではないか?」
 問うと、花夜は(はかな)い笑みを浮かべた。
「強がりくらい、させて下さい。本当は許せない気持ちや悔しい気持ちも沢山(たくさん)ありますけど、私は、(つよ)くなりたいのです。恨みや憎しみさえ、(いつく)しみや優しさに変えて、『こんなことは何でもない』と笑えるくらいに、(つよ)い人間になりたいのです。だからこれが私の、私なりの、花蘇利に対する報復なのです。自分を裏切り、()てた人達のためにさえ祈れるような、そんな人間も世の中にいるのだということを、あの人達に思い知らせてやりたいのです。今はまだ、単なる強がりで自己満足に過ぎませんけど……」
 言って、花夜はもう一度、目に焼きつけるように古里を見つめた。
「もう、無理に母さまの真似事(まねごと)をするのは()めにします。ただ母さまの真似ばかりして『理想の巫女』を演じても、母さまのように愛してもらえるわけではないと、もう分かりましたから。私はきっと、努力の方向を(たが)えてしまったのでしょう。母さまのようになろうと自らを磨くことにばかり力を(かたむ)け、私を取り巻く人々と向き合う努力をしてこなかったのです。頑張って皆の望むような人間に()ったところで、人々との触れ合いがなければ、その変化に気づいてももらえません。人間(ひと)はただでさえ、己のことだけで精一杯な生物(いきもの)なのですもの。まして、親しくもない相手の(かげ)の努力など、認めてくれるはずもなかったのです」
 何もかもを(さと)ったようなその口振(くちぶ)りがあまりに哀しくて、俺は思わず口を(ひら)いていた。
国人(くにひと)の心を変えられなかったという意味では、確かにお前の努力は実を結ばなかったかも知れぬ。だが、お前が自らを磨いてきたことは決して無駄ではない。今のお前だからこそ、俺は(ちぎ)りを結ぼうと決めたのだ。俺は今まで数えきれぬほどの巫女や男巫(ヲカンナギ)に会ってきた。だが、契りを結んでも良いと思ったのは、お前が初めてだ」
「ヤト様……」
 花夜は泣きそうな顔で無理矢理に微笑んだ。
「ずるいです、ヤト様。そんなに優しくなさらないでください。そんな風にされたら、私、あなたのことを……」
「お前が俺を、何だ?」
 聞き取れずに聞き返すと、花夜はハッと唇を押さえ、誤魔化(ごまか)すように別の言葉を口にした。
「ねぇ、ヤト様。覚えていらっしゃいますか?初めて会った日のことを。ヤト様と出会えて私は、初めて自分が独りではないと感じることができました。国の社首(やしろおびと)として、姫として、形ばかりは多くの人々にかしづかれてきましたし、母さまの(たましい)も見守って下さっています。でも、私は孤独でした。寂しくてたまりませんでした。そんな時にあなたと出会い、言葉を()わして……私は初めて、誰かと共にいることの喜びを知ったのです」
 言われて俺は思い出す。あの日の花夜のはにかんだ笑みを。
「ヤト様が共にいてくださるなら、私、他に何も望みません。私はもう、あなたと一緒にいられればそれだけで幸せなのです」
「……俺で良いのか?俺はお前を古里に留まらせてやることも叶わぬ、力無き神だぞ」
「力の有り無しなど問題ではありません。あなただから(・・・・・・)、そばにいて欲しいのです。これからも共に旅をしていきましょう。花蘇利の外にもきっと、生きてきて良かったと思えるほどに美しい景色が、沢山(たくさん)あるはずですから。共にそれを見出(みいだ)していきましょう。美しい思い出を沢山、積み重ねていきましょう」
 全てを()くし、未来(さき)も分からぬ境遇にあって(なお)、花夜は前を見つめていた。その強さが(まぶ)しく見えて、俺を目を細めた。
 昇り始めた朝日を浴びて輝くその笑顔は、今でも手を伸ばせば届きそうなほど鮮明に胸に()きついている。
 神と人間(ひと)とでは、生きる速さも生き死にの(ことわり)も、何もかもが(こと)なっている。いづれ別れが訪れることは、初めから分かっていた。だから、わずかの()()しむように、一つでも多くの記憶を刻みつけるように、花夜のことを見つめ続けた。
 忘れ得ぬその記憶が――触れられそうに鮮やかで、なのに決して触れられぬ花夜の笑顔が、(のち)にどれほど俺の胸を(えぐ)ることになるかも知らずに。

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倭風ファンタジー花咲く夜に君の名を呼ぶ
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