「はい、花かんむりです」
断る
暇も、そもそもその選択肢すら与えられず、俺の頭に花かんむりが
載せられる。眼前で満面の笑みを浮かべる花夜に対し、俺は
半ば諦めの境地に至りながらも一応の文句をつける。
「花夜、もういい加減、
年毎に俺に花かんむりを作るのはよさないか」
それは、俺と花夜が出会ってから
四年後の春のこと。俺達は、
霧狭司国の西隣『
山深き峡国』を訪れていた。
すみれ、
茅花、
堅香子に、
山振、
海石榴、
馬酔木の花……、
山道には色とりどりの花々が咲き乱れていた。
「なぜですか?約束したではありませんか。春になったら花かんむりを捧げますと」
「あれは言葉の上だけのことであろう。実際に作らずとも良い。そもそも、俺に
被せたところで似合うわけがないではないか」
「いいえ、とてもよくお似合いですよ。花の方が恥じらってしまうほどに。蛇身に変化する神は皆、美しい見目を持つと聞きますが、その言い伝えは
真実だったようですね」
「……そのようなこと、真顔で言うものではない」
何の含みもなく告げられる賛辞に、こちらの方が気恥ずかしい思いになる。俺は
態と愛想の無い
口振りでそう言い、花かんむりを外した。
「ほら、これはお前が被っていろ。俺などよりよほど似合う」
長く伸びた花夜の髪の上にふわりと花かんむりを載せる。花夜はくすぐったそうに笑った。
花蘇利を出てから花夜は変わった。母のように立派な巫女らしくあろうと
気負うのを止めた彼女は、年相応の
少女らしい
表情も見せるようになった。育ちのせいで良くも悪くも世間というものに染まっていない彼女は、時に素直過ぎる言動で俺をうろたえさせたりもするが、その様はまるで
蛹を脱ぎ捨てた
蝶のように伸びやかで生き生きとして見えた。
「それにしても、さすがに山神様の加護
篤き国だけあって、ここに咲く花はどれも見事ですね。この地に植えていけば、この花も無事育ってくれるでしょうか」
そう言って花夜は腰の小袋から
幸有の花の種を取り出した。
「そうだな。山神の加護も
勿論のことだが、この国の南の
境堺の
不尽の山には
木花咲耶比売尊もいらっしゃると言う。花々にとっては恵まれた土地やも知れぬな」
俺の言葉を受け、花夜は種を植えるため、その場に
屈み込もうとした。だがその時、ふいに俺の耳に不穏な物音と
人間の声が飛び込んできた。花夜にも聞こえたのか、ハッと顔を強張らせて音のした方を見つめる。
「今のは……悲鳴ですか!?」
「ああ。それも一人や二人ではないな。何かの争い……いや、力無き者達が一方的に襲われているようだ」
「
旅人を襲う
賊でしょうか。……ヤト様!」
花夜はただ振り返って俺を呼んだ。意図を察し、俺はしぶしぶ変化をとる。本音を言えば危険なことに首を突っ込んで欲しくなどはないのだが、彼女の性格がそれを許さぬのだから仕方がない。一瞬で大刀へと変じた俺を
掴み取り、花夜は声のした方へと
駆け出した。頭に載せていた花かんむりがぱさりと地に落ちる。
駆けつけた先では数人の
農夫が
賊に襲われていた。道の上には荷車が横倒しになり、そこに積まれていたであろう
の
布が辺りに散乱していた。おそらくは
邑に課せられた
調の品を国府へ納めに行く途中で襲われたのだろう。
「あなた達!何をしているのですか!?」
淡い
桃花染の
衣を
翻し、俺を頭上高く振り上げて、花夜は叫んだ。
賊達は一瞬面食らったように動きを止め花夜を見つめていたが、その顔には次第に
卑しい笑みが浮かんでいく。
「おい、見ろよ。こんな田舎にゃ珍しい
香少女じゃないか。おまけに持っている大刀も相当な上物だ。どうする?」
「分かりきったことを聞くな。両方頂くに決まっているだろう」
問いも、言葉自体さえも無視されながら、それでも尚、花夜は言葉で説き伏せようと試みる。
「今すぐ略奪を
止めなさい。あなた達が奪おうとしているものは、そこの
農夫の皆さんが膨大な時間と手間を費やして作り上げた労苦の成果です。それを
武力で踏みにじろうと言うのであれば、容赦は致しません」
だが、いかにも非力な
少女にしか見えない花夜のそんな言葉で、賊達が考えを変えるはずなどなかった。
「容赦しない、だと?何をどう容赦しないって言うんだ?あんたみたいな
女子さんが」
「馬鹿な
女子だなぁ。わざわざ自分から飛び込んで来るなんてな。大刀さえ握れば俺たちに敵うとでも思ったのか?」
花夜のことを
端から
舐めてかかっている
賊達は、嘲りの言葉を口にしながらじりじりと近づいてくる。花夜はため息をつき、俺の
刀身を振り回し始めた。
「どうやら、考えを改める気は無いようですね。ならば、容赦なく当てさせていただきます。……神罰を」
俺を握った
腕を大きく振り回しながら、花夜は踊る。刀身が風を切り、刃先に火花が散る。それはやがて一点に集まり、
朱くゆらめく
火群を成していく。
賊達はぎょっとして後ずさった。
「な……っ、何だ、あれは……っ」
「分からん。だが、とにかく逃げろ!」
「
逃がしはしません。
神使よ、
出でませ!」
花夜が鋭く叫ぶと、
草野から神使の
蛇が次々と現れ
賊達の退路を塞いだ。恐怖に顔を引きつらせる賊達へ向け、花夜は俺の
刀身を振るう。刃先に渦巻いていた
火群は、まるで星が流れ落ちるが
如く
空を駆け、幾筋かの
火箭となって賊達に向かっていった。
「うわぁああぁッ!?」
賊達の全身が瞬く間に火焔に包まれる。花夜は間を置かずに再び俺の
刀身を振るった。今度は火花ではなく
鎌鼬のような風が巻き起こり、賊達の身を包む炎を一瞬で消し飛ばす。賊達は髪や衣を焼き焦がした姿で、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。そこへ花夜が静かに歩み寄る。
「ひッ!?」
「く、来るなっ!」
「殺さないでくれっ!頼む!」
「その命乞い、あなた達に襲われたこの人達もしたのではありませんか?」
花夜はどこか
憐れむような表情で賊達を見つめながらも、その
喉に
刃を突きつける。
「きっとあなた達は、今までに相応の
報いを受けて来なかったために高を
括っているのでしょうけれど、悪事の報いというものは受ける時には受けるものなのですよ」
あくまでも当然のことを
諭すように、穏やかな口振りで花夜は語りかける。だが、そんな場にそぐわぬ花夜の姿が余計に賊達の恐怖を煽ったらしかった。彼らは奇声を発し、後も見ずに走り出そうとした。だが周りは既に囲まれていて逃げ場などあろうはずもなく、賊達は見苦しくその場に転がった。その身体の上を、すかさず神使の蛇達がぬるりと
這い回る。
賊達は恐怖に頬を引きつらせ、そのまま気を失った。
「あの、大事はありませんか?お怪我などはされていませんか?」
花夜は道に
蹲る
農夫達に歩み寄り、声を掛けた。農夫達は花夜と、大刀から姿を変えた俺の姿を見て顔色を変え、地に頭を
擦りつけるようにして
平伏した。
「大刀に宿る神様とその巫女様!お助け下さり、真にありがとうございます!何とお礼を申し上げたら良いのか……」
農夫達のその態度に、花夜はむしろ恐縮したようにあわてて唇を開く。
「いえ、当然のことをしたまでですから。そのように
畏まらないで下さい」
「そのようなわけには参りません!もしあなた様方がお助け下さらなければ、我々はあのまま殺されていました!」
「そうです。是非お礼をさせて下さい。我ら、田舎暮らしの
農夫の身にて、大したおもてなしはできませんが、せめて
一夜の宿と
御食くらいは……」
『御食』という言葉に、花夜の眉がぴくりと動いた。
「い、いえいえ。そのような……。私達は何も見返りを求めてあなた方を助けたわけではありませんし……」
口では遠慮しながらも、その目はどこか期待するように輝きを帯びていた。仮にも元は一国の姫であり、神と契りを結んだ巫女としてあるまじき態度ではあるのだが、無理もないことだ。ここしばらくの間、口にしてきたものと言えば神使の蛇達の集めてきた野草や
茸ばかりだったのだから。
「花夜、どうせ
今夜の宿の当ても無いのだ。ここは素直に礼を受けよう」
俺が促すと、花夜は顔をほころばせて
頷いた。