第十一章 追憶に沈む大刀

novel-part1 
真大刀(またち)宮処(みやこ)陥落(かんらく)したというのは本当なのか?』
 俺の問いに、真大刀は(かた)い表情でうなづいた。
「……ああ。そのようだな」
 俺が(さと)にいた四年の間、霧狭司国(むさしのくに)鯨鯢国(くじのくに)の周りの国を次々と()(ほろ)ぼしていた。
 しかもそうして滅ぼした国々をきちんと統治(とうち)するでもなく、富や人材を根こそぎ(うば)()ると、後は()ちるに(まか)せ放置しているような有様(ありさま)だった。
 その手はとうとう鯨鯢国にも(およ)び、小国であるこの国は数日ともたず宮処を奪われてしまった。だが鉄砂郷(かなさのさと)は宮処よりさらに北の山の奥深くに位置していたため、この時はまだ霧狭司の兵士の手も及んでいなかったのだ。
「……宮処を陥落(かんらく)させた敵の将が父に使者を送ってきた。『霧狭司に(くだ)り、これからは霧狭司のために武器を作れ』……と。だが我々はそれに従うつもりはない」
 その声は(いか)りによってか、(かす)かに(ふる)えていた。
『戦う気なのか?』
「ああ。幸運なことに武器ならば(そろ)っている。ここは鍛冶(かぢ)(さと)だからな」
『だが、実際に大刀(たち)を振るった経験のある者など、ここにはいないだろう』
 その問いかけに、真大刀はしばし無言になった。勝ち目など無いことは今さら問わずとも最初から明らかだ。それでも戦うと、真大刀はそう言っているのだ。
鉄砂郷(かなさのさと)で作られる武器は他を滅ぼすためではなく、大切なものを守るためにこそ存在するもの。この(さと)に生まれた鍛冶(かぢ)ならば、必ずそう教えられて育つのだ。霧狭司(むさし)に下れば、その(ほこ)りを失うことになる。霧狭司国は我々の(きた)えた武器を他国を滅ぼし、命を奪うことに使うだろう。それは間接的に我らが手を下すのと同じことだ。今までと何も変わらぬ何気(なにげ)ない我らの日々の暮らしや生業(なりわい)が、何処(どこ)かで(だれ)かに苦しみを与え、悲しみを生み出すことになるのだ。そのようなこと、()えられぬ」
 その気持ちは理解できたが、その決意は無謀(むぼう)としか思えなかった。だがその心を変えられる言葉を、俺は持っていなかった。
『どうしても、戦うのか?』
「ああ。どうしても、戦わなければならないのだ。……たとえ、命を落とすことになるとしても」
 その声の(ふる)えの中に、怒りだけではない(かく)しきれない恐怖心が(のぞ)いていることに、俺は気づいた。
 その瞬間、真大刀と出会ってからの四年間の記憶(きおく)刀身()の内を()(めぐ)った。その日々が失われ行こうとしていることに、俺もまた(たま)らない恐怖を(おぼ)えた。
『ならば真大刀よ、()刀身()()るえ』
 思わず発したその言葉は、自分自身にとっても思いがけないものだった。
「お前……もう戦場に()り出されるのは(いや)なのではなかったのか?」
 真大刀もまた、思いがけないことを聞いたというような顔で俺を見る。
『このままこの(さと)()れば、いづれこの刀身()霧狭司国(むさしのくに)に奪われ、戦に使われよう。いづれにせよ戦に連れ出されるならば、お前たちと共に(ほろ)んだ方がよほど良い』
 それは後から考えた言い(わけ)のようなものだった。本音は、ただ真大刀を死なせたくないという、それだけだった。だがその想いを素直(すなお)に本人に告げることもできず、知られることすら何故(なぜ)だか(おそ)れて、俺はそんな風に誤魔化(ごまか)した。
 それでも真大刀は初めて見るような感謝の眼差(まなざ)しで俺を見、礼を言ってきた。
「ありがとう。……すまない」
『礼を言われることではない。それに、お前に素直になられると気持ちが悪い』
「人が礼を()くしているというのに気持ちが悪いとは何だ。お前は本当にひねくれた大刀(たち)だな」
 真大刀はさすがにむっとしたように言い返してくる。いつもの調子が(もど)ってきたことに内心安堵(あんど)しながら、俺はさらにからかいの言葉を続けた。
 この時はそんな風に、(せま)り来る郷の最期(さいご)から目を()らし、わざと軽口を(たた)き続けていた。だが、いくら目を()らしたところで無かったことになどなるはずがなく、その日は間違(まちが)いなくやって来た。
novel-part2
 郷の見張りに立っていた鍛冶(かぢ)の一人が敵の襲来(しゅうらい)を告げる。真大刀(またち)は緊張した面持(おもも)ちで俺の刀身()(さや)から引き抜いた。
「……何故(なぜ)だか、いつもより軽い気がするな」
()霊力(れいりょく)をこの刀身()(みなぎ)らせているからな。……良いか、真大刀。戦ならば我の方が()れている。我が声に耳を(かたむ)け、我が声の通りに動け』
 戦い方なら知っている。(たましい)の中に刻まれた数多(あまた)の戦の記憶により、どういう風に動けば相手を(たお)せるかを俺は熟知(じゅくち)していた。
 真大刀を死なせないためには、真大刀が傷つけられるより先に相手を(たお)さねばならない。――その時はただ、そんな風にしか考えられなかった。
『真大刀、左だ!』
 怒号(どごう)の飛び()う戦場となった郷を、俺と真大刀は()け回った。
 大刀(たち)を振るったことのない真大刀が俺の刀身()を上手く(あつか)えるのかと初めのうちは心配したが、真大刀はまるで俺の思考を読んでいるかのように瞬時に俺の指示に(こた)え、敵を()(たお)していった。いや、実際に彼は俺の思考を読み取っていたのかも知れない。真大刀には元々、大刀に宿(やど)る精霊と言葉を()わすだけの霊力を有していた。その霊力が戦により()()まされていたのかも知れない。
 それは俺の(たましい)と真大刀の(たましい)とが渾然一体(こんぜんいったい)となっているかのような感覚だった。俺が真大刀に(あやつ)られているのか、俺が真大刀を(あやつ)っているのか分からない。そのくらいに、俺たちは一体となっていた。
 俺の霊力もまた、戦の中で()()まされ、真大刀の手に()るわれ、(たか)ぶっていくのが分かる。
(――霊力が()いてくる。強くなっていくのが分かる。我は、こんなにも強くなれたのか……)
 まるで酒に()うかのように、俺は刀身()の内で(たか)ぶり(みなぎ)るその霊力にいつしか()いしれていた。
(真大刀の言う通り、我は本当に神になれるのかも知れない。真大刀とならば、この郷を守ることもできるかも知れない)
 だが俺たちの力だけで(さと)を守りきれるほど、戦況(せんきょう)は甘くはなかった。兵士の数はあまりにも多く、俺たちが何人かを(たお)している間にも他の郷人(さとびと)たちは次々と(たお)れていった。気づけば郷人の姿はほとんど見えず、敵の姿ばかりが郷に(あふ)れていた。
 やがて真大刀の顔にも徐々(じょじょ)疲労(ひろう)の色が浮かび始めた。
「……鉄砂比古(カナサヒコ)様!」
 門の前に鉄砂比古(カナサヒコ)の姿を見つけ、真大刀が()け出す。鉄砂比古は何人もの兵士を相手に鉄槌(かなづち)()るい続けていた。
 兵士達の大刀(たち)(よろい)は鉄砂比古の鉄槌に()れただけでぐにゃりと(ゆが)み、形を変え、使い物にならなくなる。だが神とはいえ、目も(あし)も不自由な身。その上、兵士達は次から次へと現れる。鉄砂比古の身は(すで)満身創痍(まんしんそうい)だった。
「真大刀、()げろ!この郷はもう終わりだ!お前だけでも逃げろ!」
 兵士達を()ぎ倒しながら鉄砂比古が(さけ)ぶ。だが真大刀は激しく首を横に()った。
「行けません!私もあなたと共に戦います!そんなお姿のあなたを置いていくなど……」
 今にも泣き出しそうなその声に、鉄砂比古は(かた)い声で告げる。
「どの道、俺ももうこの世に長くはいられん。俺の依代(よりしろ)はこの(さと)鍛冶(かぢ)の血だ。それがここまで(うしな)われてしまった以上、この存在を(たも)っていられるのも時間の問題だろう」
「ならば、私もここで共に()てます!」
 真大刀の(ほお)には(あせ)とも(なみだ)ともつかぬものが幾筋(いくすじ)(つた)っていた。鉄砂比古(カナサヒコ)(かた)で息をしながら哀願(あいがん)するように声を(しぼ)り出す。
(たの)む真大刀、()げてくれ。せめてお前一人だけでも。この俺を、ただの一人も守りきれなかった(なさ)けない鎮守神(ちんじゅしん)にしないでくれ」
 真大刀はハッとしたように鉄砂比古を見つめた。鉄砂比古は苦痛に(ゆが)(ほお)を無理矢理に持ち上げ()みを作る。
「行け、真大刀。お前に()()らんことを(いの)っている」
 真大刀の手が、強く強く俺の(つか)(にぎ)りしめてきた。まるで、何かを(こら)えるかのように。
 無言のまま鉄砂比古に一礼し、真大刀は後も見ずに走り出した。悲鳴も叫びも涙も、何一つなかった。ただしっかりと(にぎ)った手の(ふる)えだけが、真大刀の心を痛いほど俺に伝えてきていた。
novel-part3
 鉄砂郷(かなさのさと)を出た俺たちはひたすら南へと()げ続けた。
 だが、どれほど人目を()け山の奥の獣道(けものみち)を行っても、霧狭司(むさし)の兵士たちはどこまでも追って来た。
 鉄砂郷の鍛冶(かぢ)は、神より授けられた腕を持つ比類(ひるい)無き(たくみ)の一族。(ゆえ)に、その技術が他国へ渡ることのないよう、一人残らず殲滅(せんめつ)する――それが、霧狭司の国王が(くだ)したあまりにも無慈悲(むじひ)な命だったのだ。
 俺たちは――いや、少なくとも俺は、せめて真大刀の命だけは守りたいと、それだけを思って必死に追っ手と戦っていた。
 逃げ続けているうちにも俺の霊力と真大刀の腕はますます上がり、もはや数人の兵士に囲まれたところで、それを突破(とっぱ)するなど造作(ぞうさ)もないことだった。
 だが俺はその時全く気づいていなかった。敵の血を()びるほどに、真大刀の(ひとみ)(かげ)っていくことに。そしてその顔には(つね)に疲労の色が()りつき、口数も少なくなっていくことに……。
novel-part3
「……この(あた)りだったな。私とお前が初めて会ったのは」
 逃れ逃れてたどり()いた深い森の中で、辺りを見渡し、一つの木の根元に(つか)れたように腰を()ろし、真大刀はつぶやいた。
 その時初めて、俺はそこが自分が真大刀と初めて会った場所であることに気づいた。
 いや、そこが本当にその場所だったのか、今となっては分からない。だが俺たちは確かに魚眼潟(なめかた)の森にいた。
 『大刀雨(たちさめ)()魚眼潟国(なめかたのくに)』――かつてそう呼ばれていたそこは、東西南を内海に囲まれた地。北は(すで)霧狭司(むさし)の兵士に固められ、他の三方は水に(はば)まれ、もはやこれ以上何処(どこ)へ行っても逃げ場など無い。真大刀はそれを俺が気づくよりも早くに(さと)っていた。
「今でもはっきりと思い出せる。あれは私にとって初めての旅だったからな」
唐突(とうとつ)に何を言い出すのだ?真大刀……』
 全てを(なつ)かしむような、それでいて全てを(あきら)めたかのような静かな声音(こわね)に不吉な予感を(おぼ)え、俺は問う。だが真大刀は俺の言葉など聞いていないかのように一方的に語り続ける。
「精霊の宿る大刀と出会ったのは初めてだったからな。顔には出さなかったが、本当は感動していたのだ。あの時お前に会えて、本当に良かった」
 普段はひねくれた真大刀の滅多(めった)にない素直な言葉に、(いや)な予感は()す。
『何を言っているのだ、真大刀。やめろ。お前が素直になると気持ちが悪いと言ったではないか』
 俺は何とか真大刀の言葉を止めたくて声無き声を発する。だが真大刀は言葉を止めない。
「私はこのような性格だからな、(さと)の同じ年頃(としごろ)の男たちと上手(うま)くやっていくことができなかった。だから、お前が初めての友のようなものだった。厭味(いやみ)なことも散々(さんざん)言ってきたし言われもしたが、お前がいてくれて、私は幸せだったと思う。……ありがとう」
 言いながら真大刀は(ころも)(すそ)()き、それで俺の刀身()丁寧(ていねい)(ぬぐ)い始めた。
『……やめろ、真大刀。何をする気だ!?』
「ここまで一緒(いっしょ)に来てくれたお前をこんな形で(のこ)していくことは、心底(しんそこ)すまないと思っている。だが私はもはや、()えられぬのだ」
『やめるのだ、真大刀!(あきら)めるな!我とお前の霊力をもってすれば、きっと退路(たいろ)(ひら)ける!』
 俺は、真大刀がこの逃げ場の無い状況に絶望したのだと思い、そんな言葉を(つむ)いだ。だが、返ってきたのは俺が思ってもみなかった答えだった。
「……そうではない。私が()えられぬのは逃げ続けることに、ではない。自分の手を血で()め続けることに、だ」
 その言葉に、思考が止まる。俺は何も言うことができず、ただ真大刀の言葉の先を待った。
「こうなってみてようやく、私はかつてのお前が味わってきた苦しみを真の意味で理解することができた。……私はもう、どれだけの血を浴びてきたのだろうな?私が(たお)した霧狭司の兵士の中には無理矢理に戦へ()り出された農夫もいるだろう。その者を大切に想う家族もいるだろう。一方は命令によりやむを()ず戦わされる身、もう一方は自分の命を守るためやむを得ず戦う身――どちらも戦うことを真に望んでなどいないのに、どちらかの血が流れ、命が(うしな)われる。戦とはこんなにも(かな)しく、(みにく)いものなのだな……」
 真大刀が追っ手との戦いの中で何を考えていたのか、俺はこの時初めて知った。
「他を滅ぼすためではなく、何かを守るために大刀を(きた)える……。その(ほこ)りを胸に生きてきたつもりだった……。だが、今の私が行っているのはまるで逆の行為だ。国も、父も、鉄砂比古(カナサヒコ)様も……私が大切に想ってきたものたちは、もう何もかも失われてしまった。このまま(なが)らえたところで、未来などありはしない。なのに……他の誰かの命を奪ってまで守りたいほどの何かを、私は今この手に持っているのだろうか?……もはや、そんなことを考えることにすら、(つか)れてしまった……」
 言いながら、真大刀はその両手で俺の刀身()を引き寄せた。まるで別れの抱擁(ほうよう)でも()わしているかのように両腕(りょううで)で俺の刀身()(かか)え、その刃を自分の首筋(くびすじ)に寄せていく。
 真大刀が何をしようとしているのか瞬時に(さと)った俺は、声無き声で必死に(さけ)んだ。
『……やめろ!真大刀!我はお前を殺したくなどない!』
 その叫びに真大刀は一瞬だけ動きを止め、俺を見つめた。
 そこに()ったのは、(こわ)いくらいに静かで、(かな)しいくらいに何もかもを(さと)りきった、(はかな)微笑(ほほえ)みだった。
「血を浴びることを(いと)お前を知りながら、最期(さいご)にその刀身()(けが)す私を、(ゆる)してくれ」
 その言葉を受け止めきれぬうちに、真大刀は両目を()じ、その首筋に刃を沈めた。
 その瞬間のことで(おぼ)えているのは、刀身()に浴びた真大刀の血潮(ちしお)の熱さだけだ。何が起きているのかをまるで受け止められぬまま、俺はただその熱さを全身に感じていた。
『……(うそ)、だろう?真大刀……』
 しばらく(ほう)けた後、おそるおそる問いかけたが、返る言葉はなかった。熱いほどに感じられていた真大刀の血潮の熱さ、両手のぬくもりさえ、湯が冷めていくように徐々(じょじょ)に、だが確実に、失われていく。
 その命の()が消えてしまったのだと――それも、他ならぬ俺のこの刀身()により消してしまったのだと理解した瞬間、俺は叫びだしていた。
『……真大刀!目を開けよ!』
 戦いの中で(たましい)が一つになる感覚に()って、俺はいつの間にか真大刀の何もかもを分かっているような気になっていた。これまで戦と無縁(むえん)だった真大刀が、戦いの中でどれほど心に(きず)()っていたのか、まるで気づくことができなかった。真大刀の身を守ることにばかり必死で、その心を守ることになど思い(およ)びもしなかった。
『このようなこと、あってはならぬ!お前までもが命を(うしな)うなど、あってはならぬ!』
 いくら()いても、叫んでも、もはや何もかもが(おそ)かった。それでもなお、俺は声無き声で叫び続けた。叫ばずにはいられなかった。
 昼も夜も忘れたように叫び続け、どれほどの時が()ったか分からない。自分自身でも、このまま(こころ)が狂ってしまうかと思っていたその時――ひどく無遠慮(ぶえんりょ)な声が森に(ひび)いた。
「おい!こっちへ来いよ!例の小僧(こぞう)だ。もう死んでいるみたいだぞ」
 それは俺達を追ってきた霧狭司(むさし)の兵士達だった。
「今まで散々手こずらせてきやがったくせに、こんな所で自害とはな……。だがまぁ、助かったか。この小僧(こぞう)、異様に強かったからな」
「ああ。これでやっと霧狭司に帰れる。じゃあ、確かにこいつが死んだって(あかし)を将の所へ持って帰ろう」
「おっと、その前に……この大刀(たち)はもらっておこうぜ。相当な上物だからな」
 兵士達は言いながら、俺の刀身()を真大刀から引き()がした。そのまま、まるで物か何かを(あつか)うように真大刀の髪をつかみ、乱暴に地の上に引き(たお)す。
『……待て。貴様ら、真大刀の身に何をする気だ?』
 問うが、兵士達の耳に俺の声無き声は(とど)かない。
 兵士の一人が仰向(あおむ)けに横たわる真大刀の身の上にまたがり、無言で大刀(たち)()く。その刀身が真大刀のか(ぼそ)(のど)に振り下ろされようとした瞬間、俺は(たましい)の底から何か恐ろしいほどに禍々(まがまが)しく熱いものが()き上がってくるのを感じた。
『おのれ、貴様ら!(さと)を滅ぼし我らを追いつめただけでは()()らず、死した真大刀の身までをも(はずかし)めるつもりか!』
 (たましい)の奥底からせり上がってくる、溶岩(ようがん)のように熱く(たぎ)ったそれを、俺は感情の(おもむ)くままに解き放った。瞬間、刀身(からだ)から炎が()き出す。それは禍々(まがまが)しいほどに熱く、激しく荒れ狂う炎の霊力だった。
 戦場で長年戦火を浴び続けた大刀には火に属する火の霊力が宿りやすくなっている。俺はその負の霊力を、自らの深い怒りと絶望により呼び寄せたのだ。そしてその怒りと絶望は、同時に俺の(たましい)を狂わせ、荒魂(アラタマ)へと変えていた。
 荒魂となった(たましい)は、常にはあり得ぬような(すさ)まじい霊力を発現させる。
 兵士達は、悲鳴を上げる間も与えられなかった。(まばた)き一つ許さぬほどの間に、彼らは骨一本残さず灰と化した。
 彼らだけではない。制御を失った荒ぶる霊力は、周囲を次々に巻き込んでいく。森の木も草も、真大刀の亡骸(なきがら)さえも、全てが灰となり消えていく。
 そしてその炎の中、俺はふいに、自分が人の形へと変化していることに気づいた。
「……何だ、これは……。俺は……神になったと言うのか……?」
 荒魂となることで急速に(ふく)れ上がった霊力が、俺という存在を単なる精霊から神という高次元の存在へと一気に押し上げたのだ。
「……(ちが)うだろう、真大刀!いずれ俺を神にしてみせると言ったのは、こういうことではなかったはずだ!何もかも失って、それで神になったとしても、何の意味がある!?」
 神となったことを自覚してもなお、吹き荒れる炎は、狂おしいまでの怒りと絶望は、少しも(おさ)まることはなかった。その炎はいつしか、俺の身さえも()()もうとしていた。だが俺はそれを()けようとはしなかった。
(……それもまあ、良いだろう。この炎で我が身も共に(ほうむ)れるのならば。……もしかしたら、真大刀や(さと)(みな)のいる場所へ行けるかも知れん……)
 俺は目を閉じ、その炎の波に身を(ゆだ)ねようとした。だが、怒りを忘れ、終わりを覚悟(かくご)したその瞬間、変化が起こった。
「…………っ!?これは……何だ?」
 俺の左頬(ひだりほお)から胸にかけてと、両足の甲に、ふいに金の光が浮かび上がったのだ。同時にそこから炎を打ち消すように、水の霊力が()き出してくる。
何故(なぜ)だ……?何故、水の霊力が……」
 その霊力の源を探ろうと金の光に目を()らし……俺は息を()んだ。水の霊力が()き出すその場所に()ったのは、真大刀が守り文様(もんよう)として俺に刻ませた、三頭の金の龍の文様だった。
『……龍を選んだのは、水の眷属(けんぞく)たる“龍”を守り文様とすることで、水の霊力の加護を得るためです。戦場で長年戦火を浴びてきたこの大刀には、火に属する負の霊力が息づきやすくなっておりますから』
 いつかの真大刀の声が頭の中に(よみがえ)る。俺は(ふる)える指で、(ほお)に現れたその文様をなぞった。
「真大刀……、お前は、どうしてこんな……」
 水の霊力が、火照(ほて)った身体(からだ)の熱を()ますように、俺の霊を(しず)めていく。周囲で荒れ狂っていた炎の霊力も、少しずつ静かな水の霊力へと変わり消えていく。
 その水の霊力にくるまれて、俺の身は再び別の形へと変化していった。人の(はだ)から、銀の(うろこ)(おお)われた肌へと。そしてその身は長く()びてくねり、額には(つの)()えてくる。人の姿から、真大刀が刀身に刻んだ通りの龍の姿へ……。
 だが、俺の身は龍に変わることはなかった。精霊から神へと変わったばかりの俺に、完全に龍と化すだけの霊力は無く、俺は額に(つの)を生やした中途半端(ちゅうとはんぱ)蛇神(じゃしん)となった。そして後には鬱蒼(うっそう)(しげ)る森の中、そこだけぽっかり丸く(ひら)けた黒い焼野原(やけのはら)だけが残されていた。

前の章へ戻ります。目次へもどるクリックで次のページへ進みます。
花咲く夜に君の名を呼ぶ(ファンタジー小説タイトルロゴ)
バージョンチェンジ(倭風描写版へ)
inserted by FC2 system