第四章 棄 てられた姫(6)
妃となり、娘を産んでもなお、彼女の霊力は喪 われることがなかった。それどころか、記憶を失い、巫女としての行いを一切していないにも関わらず、彼女はその存在自体により、知らず知らずのうちに自らの居 る国に恵みをもたらしていた。
神と契りを交 わした巫女には、その神の属性に応じた加護 が与えられる。そしてその加護は巫女本人のみならず、その周囲にも及ぶ。霊力の強さによっては、国一つを丸ごと加護してしまえるほどだ。
彼女が花蘇利に来て以来、ありとあらゆる鳥の害がなくなった。里の田が雀 に食い荒らされることも、漁で獲 った魚が水鳥 に掠 め取られることも一切なくなった。それが彼女のもたらした恵みであるということは、誰が教えるまでもなく自然と国中に浸透 していった。花蘇利の国は富み、国の民は皆、彼女のことを女神のように崇 め、慕 うようになった。当初は鳥羽を妃とすることに反対していた臣下たちも次々に態度を翻 し、むしろ鳥羽が決して記憶を取り戻さぬよう、萱津彦に協力するような有様となっていった。
だが、そんな鳥羽が全てを思い出す時が、ある日突然訪 れる。それは七歳になった花夜が、出入りを禁じられた米蔵に忍び込んで遊んでいた時のことだった。花夜はその蔵の奥深く、厳重 に隠 されていた鳥羽の巫女装束を、偶然に見つけ出してしまったのだ。
幼い少女が今までに目にしたこともないような美しい衣裳 を見つけて、身にまといたくなるのは自然なこと。そして、その姿を誰かに見せたいと思ってしまったのは無理も無いことだっただろう。しかしそれが鳥羽の、花蘇利の、そして花夜のその後の人生を狂わせてしまった。
「ねぇ母さま、見て見て。こんなきれいな衣 を見つけたの」
「まぁ……本当ね。きれいな衣」
鳥羽は初めのうち、ただ無心に衣裳に見惚 れていただけだった。だが、花夜が衣裳とともに見つけてきた五鈴鏡 を振り鳴らした途端 、表情が変わった。彼女はしばらくの間、食い入るようにその鏡を見つめていたが、やがて両手で顔を覆 い、その場にうずくまってしまった。
「母さま!?どうしたの!?どこか痛いの?」
たまたま鳥羽の元へと向かっていた萱津彦は、その声を聞きつけ部屋に飛び込み、花夜の姿を見るなり血相 を変えた。
「何をしている、花夜!その衣裳をどこで見つけた!?蔵には入るなと言ってあったはずだろう!」
思わず手を上げかけた萱津彦を、鳥羽は無言で制した。それから静かに立ち上がり、告げた。
「……思い出しました。全てを。私は、行かねばなりません。巫女として、国を救いに戻らねば」
萱津彦は愕然 として妃の顔を見つめる。彼女は哀しげに微笑んで言った。
「私の真の名は、鳥羽 。ここより西の海辺にある『水鳥 多集 く羽真那国 』の姫にして、鳥神様に仕える社首 です。あの日、羽真那は隣国の兵に襲われて……私は一時難を逃 れるため、舟に乗って神社を逃げ出したのです。いずれ機を見て再び社 に戻り、鳥神様をお助けするはずでした。けれど不幸にも嵐に遭 い、舟が沖に流され、供人 も皆波にさらわれ、私も気を失ってしまいました。気がつけば花蘇利の浜に流れ着き、全てを忘れていて……。こうして何年もの月日が経 ってしまいました」
「そうだ。あれからもう長い時が経つ。残念だが、お前の故郷が羽真那だと言うなら、その国は既 に滅 ぼされてなくなってしまったと聞いている。今更 戻ったところで無駄 なことだ。諦 めて、このままここに居てくれ、花名女 」
己が付けた偽 りの名を呼び、萱津彦が必死の表情で取りすがる。だが彼女は首を横に振った。
「それでも、戻らねばなりません。あなたが花蘇利の首長 としてこの国を守らねばならぬように、私にも羽真那の最後の巫女として最期 の務 めがあるのです」
「行けば殺されるぞ!敵国に捕 らわれた巫女がどんな目に遭 わされるか知っているのか!?」
「覚悟の上です」
「行かせない!行かせるものか!どうしても行くと言うなら、行けないように閉じ込めるまでだ!」
萱津彦は鳥羽の手首を掴 み、強引に宝物庫へと引きずっていった。そのまま鳥羽はそこに閉じ込められ、花夜もまた自室での謹慎 を命じられた。だが、全てを思い出し、鳥神の巫女としての力を取り戻した鳥羽にとって軟禁 場所を抜け出すことなど造作 も無いことだった。鳥羽は時を見計 らって宝物庫を抜け出し、花夜の元へ別れの挨拶 に訪 れた。
神と契りを
彼女が花蘇利に来て以来、ありとあらゆる鳥の害がなくなった。里の田が
だが、そんな鳥羽が全てを思い出す時が、ある日突然
幼い少女が今までに目にしたこともないような美しい
「ねぇ母さま、見て見て。こんなきれいな
「まぁ……本当ね。きれいな衣」
鳥羽は初めのうち、ただ無心に衣裳に
「母さま!?どうしたの!?どこか痛いの?」
たまたま鳥羽の元へと向かっていた萱津彦は、その声を聞きつけ部屋に飛び込み、花夜の姿を見るなり
「何をしている、花夜!その衣裳をどこで見つけた!?蔵には入るなと言ってあったはずだろう!」
思わず手を上げかけた萱津彦を、鳥羽は無言で制した。それから静かに立ち上がり、告げた。
「……思い出しました。全てを。私は、行かねばなりません。巫女として、国を救いに戻らねば」
萱津彦は
「私の真の名は、
「そうだ。あれからもう長い時が経つ。残念だが、お前の故郷が羽真那だと言うなら、その国は
己が付けた
「それでも、戻らねばなりません。あなたが花蘇利の
「行けば殺されるぞ!敵国に
「覚悟の上です」
「行かせない!行かせるものか!どうしても行くと言うなら、行けないように閉じ込めるまでだ!」
萱津彦は鳥羽の手首を
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
ページ内の文字色の違う部分をクリックしていただくと、別のページへジャンプします。
個人の趣味による創作のため、全章無料でご覧いただけますが、著作権は放棄していませんので、無断転載等はおやめください。
モバイル版はPC版とはレイアウトが異なる他、ルビや機能が少なくなっています。