第四章 棄 てられた姫(7)
「花夜。これを渡しておきます」
かつての巫女装束 に身を包み、すっかり旅支度 を終えた姿となった鳥羽は、そう言って花夜に一面 の鏡を渡した。鳥羽が花蘇利の浜に流れ着いた時に腰に帯 びていた五鈴鏡 だ。
「私はもう、あなたのそばにはいられません。これを私と思い、大切にしなさい」
「いやだ、母さま!行ってはいや!行かないで!」
泣いて引き止める花夜の頭を撫 で、鳥羽は困 ったように微笑 んだ。
「そういうわけにはいきません。これは、私が私であるためにしなければならない務 め。私は羽真那の最後の社首 。私が解放して差し上げなければ、鎮守神 たる鳥神様は国と交 わした鎮守 の契約により彼 の地に永久に縛 られたまま、何処 へも行くことができません。私のことを実の娘のように可愛 がってくださっていた鳥神様を裏切ってこの国で平穏 に生きることなど、私にはできないのです。……許 してね、花夜。あなたやあなたの父さまを哀 しませるのはとてもとても辛 いけれど、それでも、私は彼 の地へ戻ることを選ぶのです……」
鳥羽がどんなに言葉をつくしても、花夜が納得 することはなかった。とにかく鳥羽を行かせまいと、必死に衣を握 り続けた。鳥羽はそんな花夜を無理に振り払うことはせず、ただ彼女が泣き疲 れて眠るまで、ずっと頬 や頭を撫 で続けた。
次の朝、花夜が目覚めた時、既 に鳥羽の姿はどこにもなかった。そして彼女が生きた姿で花蘇利に戻ることは、二度となかった。
かつての巫女
「私はもう、あなたのそばにはいられません。これを私と思い、大切にしなさい」
「いやだ、母さま!行ってはいや!行かないで!」
泣いて引き止める花夜の頭を
「そういうわけにはいきません。これは、私が私であるためにしなければならない
鳥羽がどんなに言葉をつくしても、花夜が
次の朝、花夜が目覚めた時、
最愛の妃を失った萱津彦の嘆 きようと怒 りは凄 まじいものだった。彼は花夜の頬を張り飛ばし、罵声 を浴びせた。
「お前のせいだ!お前があの衣裳を引っ張り出してなど来なければ、花名女 がこの国を去ることは無かったものを!」
「ごめんなさい、父さま。ごめんなさい。ゆるして……」
泣きながら取りすがる花夜を、それでも萱津彦は許さなかった。これ以降彼は娘に対し、言葉をかけることも触 れることもなくなった。父だけでなく周りの人間も、鳥羽の加護が無くなり秋の収穫 が減ったことで、花夜に対する目を冷たくしていった。今まで自分たちが、真実を偽 って鳥羽を花蘇利に引き止めていたことからは目を逸 らし、ただ鳥羽がいなくなったことに対する責任を、全て花夜一人に背負わせ責めたのだ。
だがその一方で、鳥羽の娘である花夜が何らかの霊力を受け継 いでいることに期待し、幼い花夜を社首 に祭り上げようとする人間たちもいた。しかし、巫の加護は神と契 りを結んで初めて効力を発揮 するもの。たとえ血を受け継 いでいたとしても、鳥神と契りを結んでいない花夜がその加護を顕 せるはずもなかった。
社首にはなったものの、鳥羽のような霊力を一切顕 すことのできない花夜は、やがて全てから見放され、かと言って首長 の姫という立場ゆえ、あからさまに冷遇 することも、一度就 けた社首の座から特別な理由もなく降 ろすこともできず、ハレモノのように扱 われることとなった。唯一の慰 めは、無事に務めを果たした鳥羽が死の間際 、残りの霊力の全てを費 やし、娘を見守る霊鳥へと姿を変えて舞い戻ったことだった。そうして花夜は、母の霊だけを唯一の味方とし、頼 る者の誰もいない国の中で一人、生き抜いてきたのだ。
「お前のせいだ!お前があの衣裳を引っ張り出してなど来なければ、
「ごめんなさい、父さま。ごめんなさい。ゆるして……」
泣きながら取りすがる花夜を、それでも萱津彦は許さなかった。これ以降彼は娘に対し、言葉をかけることも
だがその一方で、鳥羽の娘である花夜が何らかの霊力を受け
社首にはなったものの、鳥羽のような霊力を一切
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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