第五章 花に祈 がう(3)
「お互 いを責 め合うのは、もうやめにしましょう、父さま。どうせもう、こうしてお会いすることはできないのですから。私たちは、生き別れ、遠く離れてしまっても互いを想い合って暮らす親子―……それで良いではありませんか」
「花夜、良いのか?私はお前を棄 て、国の平和を選んだというのに」
「首長 としては当然の選択 です。私は父さまの決定に従 います」
従順 な言葉を口にしながらも、花夜の瞳は深い哀 しみを必死に堪 えているように見えた。本当の想いを隠 して無理矢理に作っているような、どこかぎこちない笑顔だった。
そして花夜は別れの言葉を告げた。これが今生 の別れであることを覚悟 した言葉だった。
「では、父さま。これでお暇 申し上げます。父さまと花蘇利国 に幸 く有 らんことを祈 がっています」
そしてその後、花夜が花蘇利国に足を踏 み入れることも、父親と会うことも、二度となかった。
「花夜、良いのか?私はお前を
「
そして花夜は別れの言葉を告げた。これが
「では、父さま。これでお
そしてその後、花夜が花蘇利国に足を
元来た道をたどり、再び国境の丘を登る。夕闇に包まれだした故郷を見つめ、花夜は肩を震 わせた。その唇 から、嗚咽 に似た声が漏 れる。だがその頬 に涙は伝 っていなかった。泣くのを必死に堪 えている表情だった。
思えば俺はこの時まで、花夜が泣くところを見たことがなかった。泣きそうに瞳を潤 ませても、いつも寸前で堪 え、涙を流さずにいた。そのことに、この時になってようやく俺は気がついた。
「泣きたいなら思うままに泣けば良いではないか。誰もお前を咎 めたりはしない」
「い、いいえ……泣いたり、など……っ、しません。私は、そんなに……弱くなど、ありません……っ」
震 えて思うままにならぬ声で、それでも花夜は必死に強がる。
「世の中の物事には、どんなものであれ存在する意味があると言ったのは、お前だろう。泣くことにも意味はある。人間 は弱さの証 のように言うが、涙は泣沢女神 ――涙と浄化を司 る女神からの贈 り物だ。女神の御力の宿った聖なる水が、身の内に溜 まった哀しみや心の底に澱 んだ想いを洗い浄 め、身体 の外へと流し出してくださるのだ」
「…………っ」
言葉にならぬ声を上げ、花夜が泣き崩 れる。俺はその身を包み込むように抱き締 めた。
「……どうして、こうなってしまうんですか?私、頑張 ったのに。皆 に許 して欲しくて。無視したり、ハレモノに触るみたいに扱 うのではなく、普通に接して欲しくて……。だから、必死に努力したり、危険な旅にだって出たのに……っ。なのに、全部無駄 でした。全部、失 くしてしまいました。私は、どうすれば良かったんですか?これから、どうすればいいんですか……?」
俺の腕 にすがりつき、心の内に溜 まったもの、今まで必死に堪 えてきた何もかもを吐 き出すように、花夜は問いをぶつける。
それは、今にして思えば最初で最後の花夜の泣 き言 だった。
だが、俺には上手 い慰 めの言葉が見つからなかった。花夜がこれまで実際にどれほどの努力を重 ねてきたのか、俺は知らない。知っていたとしても、報 われずに散ったその努力に見合 うだけの慰 めを、俺が与えられるとは思えなかった。だから慰 めの代 わりに一つだけ、その時の俺にできることをした。
「祈言 を言え、花夜」
「え……?」
花夜は弾 かれたように顔を上げ、俺を見た。『何を言っているのか分からない』とでも言いたげなその表情に、俺は再び口を開 く。
「たとえ鎮守 となるべき国が俺を拒 んだとしても、俺とお前との契 りは失われてはいない。俺はお前の 神だ。だから祈 がいを言え。俺に叶 えられるものならば何でも叶えてやる」
花夜の顔がくしゃりと歪 んだ。余計にひどくなった嗚咽 を抑 えようとでもするように俺の衣に深く顔を埋 め、花夜は祈 がいを口にした。あいかわらず、あまりに無欲でささやかな祈 がいを……。
「……私を、ひとりにしないで……いっしょに、いて下さい。死ぬまで、ずっと……」
「当たり前だろう。俺はお前の神なのだぞ。お前から離 れたりなどせぬ」
その言葉を、俺はごく自然に口にしていた。人間 の生涯 を見守るということがどういうことなのか、俺は既 に知っていたはずなのに、この時はまるで頭に浮かばなかった。
花夜は俺にしがみつき、泣き続けた。泣いて、泣いて、泣き疲 れ、やがて気を失うように眠ってしまうまで。俺はその小さな身体 を、暁 まで離 さず抱き締 めていた。
思えば俺はこの時まで、花夜が泣くところを見たことがなかった。泣きそうに瞳を
「泣きたいなら思うままに泣けば良いではないか。誰もお前を
「い、いいえ……泣いたり、など……っ、しません。私は、そんなに……弱くなど、ありません……っ」
「世の中の物事には、どんなものであれ存在する意味があると言ったのは、お前だろう。泣くことにも意味はある。
「…………っ」
言葉にならぬ声を上げ、花夜が泣き
「……どうして、こうなってしまうんですか?私、
俺の
それは、今にして思えば最初で最後の花夜の
だが、俺には
「
「え……?」
花夜は
「たとえ
花夜の顔がくしゃりと
「……私を、ひとりにしないで……いっしょに、いて下さい。死ぬまで、ずっと……」
「当たり前だろう。俺はお前の神なのだぞ。お前から
その言葉を、俺はごく自然に口にしていた。
花夜は俺にしがみつき、泣き続けた。泣いて、泣いて、泣き
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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