第五章 花に祈 がう(2)
『言葉が足 りないところは変わりませんね。それでは想いは伝わりませんわ』
鏡から響いたその声に、萱津彦がハッと顔を上げる。直後、鏡面から光が飛び出した。光は瞬 く間 に独特な巫女装束 を身につけた人の形へと変わる。
「花名女 !」
自らが付けた偽 りの名を叫び、萱津彦が我を忘れたように駆 け寄っていく。だが、その腕 は鳥羽 の身をあっさりと突 き抜 けた。うっすらと向こう側を透 かした鳥羽の身体 を見つめ、萱津彦は息を呑 む。
『お久しぶりです、萱津彦様。このような姿ではありますが、あなたと再び会うことができて嬉 しく思います』
「花名女 、お前は……もはや、魂 だけの存在となり果ててしまったのか?」
萱津彦が絶望と諦 めの入 り交 じった顔でつぶやく。鳥羽は哀 しげに微笑 んでうなずいた。
『萱津彦様、私はあなたの強さも弱さも、ずるさも優しさも、その全てを知っています。ですから、どうか花夜に真実をお話し下さい。あなたの御心の内に秘められた、ひとかけらの優しさを、どうかこの子に示してあげて下さい』
鳥羽の言葉に萱津彦は大きく首を横に振 る。
「そのようなこと、話してどうなる。全てはもはや、言い訳 に過ぎない。私が花夜を棄 てたという、そのことに変わりはないと言うのに」
『それは違 います。父親に全く愛されていなかったと誤解 したまま生きるより、わずかでも愛されていたのだと知って生きる方が幸せなはずです』
「愛されて……いた?私が……?」
花夜が呆然 とつぶやく。萱津彦は鳥羽に促 され、ようやく重い口を開 いた。
「花夜、私はお前を、手放 したくなどなかった。だが状況 がそれを許 さなかった。霧狭司の申し出を断れば戦 になる。お前一人のために戦の道を選ぶなど、国民の誰 も納得 してはくれない。だからと言って真実を告げれば、お前は絶望し、生きる気力すら失 くしてしまうかも知れないと思った。そもそも、国を離 れて娘一人で生きていくことなど容易 なことではない。だから、偽 りの命令を下した。お前ならば困難 な勧請 の旅をも無事 に成 し遂 げ、神と契 りを交 わすことができるかも知れないと思ったからだ。そして神と契 りを交わすことができたなら、たとえ国を追われ一人きりとなっても、生きていくことができる。そのわずかな可能性にすがったのだ」
その言葉に、花夜は信じられないと言うように目を見開 く。
「父さまは……私を憎 んでおられたのではなかったのですか?」
「花名女 が去ったあの時、お前を憎 く思ったのは本当だ。その後も、憎しみが無かったと言えば嘘 になる。全て元は私の罪から始まったことだと分かってはいても、お前の顔を見れば心が波立つ。お前があの時あの倉に忍び込んだりしなければ花名女が去ることはなかったのだと、どうしても考えてしまう。だから今まで私はお前を避 けてきた。またお前に辛 く当たってしまうのが恐 かったのだ。……だが、お前のことはいつでも気にかかっていた。お前が社首 として皆 に認められようと必死に努力してきたことも知っていた」
そこで一旦 言葉を切り、萱津彦は初めて娘の顔をまともに見た。
「すまなかった、花夜。私は自分の弱さに甘えていたのかも知れない。お前と向き合うのが恐 くて、お前に全ての罪を押しつけた己の醜 さに気づかされるのが恐 くて、毎日の忙 しさを言い訳 に逃 げてきたのだ。いづれ時機 が来れば、心の傷 も癒 え、お前とも分かり合えるかも知れないと、なりゆきに身を任 せ、自 ら努力することをしなかった。お前を殺せと言われた時、ようやく私は自分の本心に気づいたのだ。私はお前を喪 って平気ではいられない。わだかまりやすれ違 いがあるとしても、お前は私の娘であり、花名女 の遺 した唯一 の忘れ形見 なのだから。今さら気づいたところで、もはや何もかもが遅 いが……」
「父さま……」
花夜はためらうように視線をさまよわせる。その肩 に淡 く透 けた鳥羽 の手が、そっと触 れた。
『花夜、人間 の心とは複雑なもの。憎 しみと愛とが同時に胸の中に存在していることもあるのです。時に憎しみの方が勝 り相手を傷つけても、その心から愛が消えてしまうわけではありません。憎しみに負けてしまうのは、人間 の心の弱さゆえのこと。辛 いかも知れませんが、そのことだけは分かっておあげなさい。そしてあなたは憎しみに負けず、その心の中にある愛にしっかりと目を向けるのです』
花夜は拳 をぎゅっと握 りしめ、何かに耐 えるように唇 を震 わせた。そして何かを決意したように、静かな目で父親を見据 えた。
鏡から響いたその声に、萱津彦がハッと顔を上げる。直後、鏡面から光が飛び出した。光は
「
自らが付けた
『お久しぶりです、萱津彦様。このような姿ではありますが、あなたと再び会うことができて
「
萱津彦が絶望と
『萱津彦様、私はあなたの強さも弱さも、ずるさも優しさも、その全てを知っています。ですから、どうか花夜に真実をお話し下さい。あなたの御心の内に秘められた、ひとかけらの優しさを、どうかこの子に示してあげて下さい』
鳥羽の言葉に萱津彦は大きく首を横に
「そのようなこと、話してどうなる。全てはもはや、言い
『それは
「愛されて……いた?私が……?」
花夜が
「花夜、私はお前を、
その言葉に、花夜は信じられないと言うように目を
「父さまは……私を
「
そこで
「すまなかった、花夜。私は自分の弱さに甘えていたのかも知れない。お前と向き合うのが
「父さま……」
花夜はためらうように視線をさまよわせる。その
『花夜、
花夜は
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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