第六章 幸有 の花(6)
翌朝、別れの挨拶 を述 べて邑 を出ようとする花夜の前に、邑長 がおずおずと進み出た。何を言い出すつもりか、俺には予想がついていた。
「あの……男神 様、巫女様、どうかこのままこの邑 に留まり、我らの鎮守 となってはいただけませんか?」
それは今までにも、こうして邑 や里に立ち寄るたびに言われ続けてきた言葉だった。花夜は困 ったような顔で邑人 達を見渡し、口を開 いた。
「申し訳 ありませんが、そのお申し出はお受けできません」
邑人 達の間からがっかりしたようなため息がこぼれる。だがそこには、初めから断られることが分かっていたとでもいうようなあきらめの響 きも混じっていた。
「残念ですが、仕方 ありませんな。このような田舎 ではとても男神様のご期待には添 えませんでしょうし。旅立ちの前に御心を乱すようなことをいたしまして申し訳 ございませんでした」
深々と頭を下げる邑長 を前に、花夜は腰の小袋を探る。
「あの……、私達はここに留まることができませんが、代わりにこの種を置いていきます。どうか受け取っていただけませんか?」
そっと手のひらに載 せられた種に、邑長 は瞳を瞬 かせた。
「種、ですか?一体何の種でしょう?」
花夜は微笑 んで告げる。
「私の祈魂 を籠 めた幸有 の花の種です。祈 がいを籠 めて育てれば、その人が大切に想う誰 かに、きっと幸せを授 けてくれます」
「あれで良かったのか?」
邑 を離 れてしばらくしたところで、俺は花夜に問いかけた。
「何がでしょうか?」
「あの邑のことだ。お前が望むのなら、あのままあの邑 の鎮守神 となっても良かったのだぞ」
「いいえ、いいんです。そもそもヤト様はあの邑 のこと、あまり気に入ってはいらっしゃらなかったでしょう?」
「……気づいていたのか」
「気づきますとも。私はあなたの巫女ですもの」
どこか誇 らしげに微笑 ってそう言い、花夜は俺の目をじっと覗 き込 んだ。
「それで、ヤト様はあの邑 のどこが気に入らなかったのですか?」
「……何もかもだ。神の力を欲しながら、俺のことは恐 れて目も合わせられない所も、それでいて巫女の方は懐柔 しようと馴 れ馴 れしくお前に話しかけていたことも、口では鎮守神 を強く求めながら、初めからあきらめの態度が透 けて見える所も、全てだ」
「そこまでお嫌いになっては可哀想 です。神と会うのも初めてという人々には無理もないことかと思いますし」
「そうだったとしても、俺はあの手の連中は虫が好かん。自分の力で物事を成 そうとせず、他人の力や情 けを当てにするような連中はな。幸有 の花にしても、無事 に育てられるものかどうか怪 しいではないか。良かったのか?残り少ない種をあの邑 に置いてきてしまって」
幸有 の花は、花を咲かせるまでに恐ろしく手間 のかかる花だった。病気にも害虫にも弱く、他の花々との生存競争に敗 れてしまうこともしばしばだった。冬を越 さねば花が咲かないというのに雪の重みに負けて駄目 になってしまうこともある。種を渡しても、育てるのを途中 であきらめ枯 らしてしまう人間が後を絶 たなかった。
「いいんです。あの種はそういうものですから。私達がわざと手を加えて無事に育つよう仕向 けたのでは意味がありません。それでは私の望む景色 は生まれませんから」
「……そうだったな。人間 が他者を思いやり、祈 がいを込めて育てた花がこの世界を埋 め尽 くす――それが、お前の一番見たい景色なのだったな」
花夜は微笑 んでうなずく。
「あの……
それは今までにも、こうして
「申し
「残念ですが、
深々と頭を下げる
「あの……、私達はここに留まることができませんが、代わりにこの種を置いていきます。どうか受け取っていただけませんか?」
そっと手のひらに
「種、ですか?一体何の種でしょう?」
花夜は
「私の
「あれで良かったのか?」
「何がでしょうか?」
「あの邑のことだ。お前が望むのなら、あのままあの
「いいえ、いいんです。そもそもヤト様はあの
「……気づいていたのか」
「気づきますとも。私はあなたの巫女ですもの」
どこか
「それで、ヤト様はあの
「……何もかもだ。神の力を欲しながら、俺のことは
「そこまでお嫌いになっては
「そうだったとしても、俺はあの手の連中は虫が好かん。自分の力で物事を
「いいんです。あの種はそういうものですから。私達がわざと手を加えて無事に育つよう
「……そうだったな。
花夜は
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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