「何事も過不足無くが大事。でもその匙加減が難しい…」 |
小説、特に資料調べが重要となる時代モノや実在の国や神話をモチーフにしたモノなどを書いていると時々つい「せっかくこんなに苦労して収集し・学んだ資料なのだから、何とかこの知識を小説の中に取り入れたい!」と思うことがあります。
ただこの衝動、心のままに従ってしまうと少々危険な衝動でもあります。
たとえば「花咲く夜に君の名を呼ぶ」の場合、第11章には刀鍛冶が出て来ます。
このたった一章分、文章量にして数行程度の描写のために、それはもう何冊も資料を読み込み、映像資料を見、ネットの海をさまよったりもしたわけですが、そこで調べた知識を全て小説に入れ込んでいては、描写が果てしなくふくらんで、一章がとんでもないボリュームになってしまうわけです。
さらに量の問題だけではなく、あまり細部の描写にこだわり過ぎると、メインの一番書きたいことがその描写の中に埋もれて霞んでしまったりもするわけです。
しかも読者様がそこまでディープでマニアックな知識・描写を求めているかどうかも分からないですし…。
でもあっさり書き過ぎても、それはそれでせっかく調べた甲斐が無いというか、その時代の空気感や雰囲気のようなものが上手く出せずに無味乾燥な小説になってしまう気がして……。
つまりは、どこまでを書いて、どこから省くのか、その匙加減の見極めが難しいのです。
こればかりはたぶん、経験を積んで感覚で覚えていくしかないんでしょうね…。