第十一章 追憶に沈む大刀

 かつての俺は神ではなく、大刀(たち)に宿る精霊(すたま)に過ぎなかった。
 物にも(たましい)宿(やど)る。作り手の()がい、使い手の()がい、その物に対する感謝の気持ちや様々な(おも)い……そうした小さな祈魂(ホギタマ)が少しずつ積もり積もっていき、やがてその物に(たましい)()()ろす。
 神とはほど遠いちっぽけな(たましい)であり、霊力(ちから)有る人間(ひと)の目にしか映らぬものだが、それでも心を持ち、確かに其処(そこ)に宿っているのだ。
 だが俺の(たましい)は他の精霊(すたま)とは(こと)なり、禍々(まがまが)しく(ゆが)んでいた。
 “大刀(たち)”とはその名の通り、人間(ひと)肉体(からだ)を『()ち』切るために()るものだ。そんな“大刀”に寄せられる想いは、決して綺麗な祈りばかりではない。
 大刀を持つ側の荒々しく()()(はや)る心や戦で手柄(てがら)を立て少しでも高き(くらい)を手に入れたいという欲に取り()かれた心、()りつけられた側の怨みや憎しみが、何時(いつ)しかどす黒い(かげ)となって俺の(たましい)(おか)し、禍々(まがまが)しく歪めていった。そしてその歪んだ霊による(わざわい)が持ち手にまで及ぶようになった頃、俺は持つ者を不幸に(おとしい)れる“禍霊(まがつひ)大刀(たち)”と呼ばれるようになっていた。
 その呼び名に(たが)わず、俺の主となった者たちは俺の歪んだ霊に呼び寄せられた災いにより、次々と(むご)たらしい死を()げていった。そんな俺を手にしたがる者は(おの)ずとなくなり、俺は度重(たびかさ)なる戦で大刀の身が(いた)んだのを(おり)に、荒れ果てた魚眼潟国(なめかたのくに)の森の中に置き捨てられた。
 それから幾年(いくとせ)もの時が過ぎ、このまま誰からも忘れ去られ静かに()ちていくのだろうと、俺自身も思っていた。そこに、あの若者が現れた。
 
(ようや)く見つけた。そなたか。主を(あや)める禍霊(まがつひ)大刀(たち)と言うのは」
 地を(おお)(かく)すように()(しげ)る草を踏み分け俺を拾い上げたその若者は、まだ(わらわ)と言って良い年の頃に見えた。
 (きぬ)や顔をわざと(ひじ)に汚し、背に草木の葉の入った勝間(かつま)()ったその姿は、一目見ただけでは杣人(そまびと)の子か何処(いづこ)かの(むら)農夫(たひと)の子のようにしか見えなかった。
(わらわ)が我に何用だ。()ね。軽き心で我を手にせば痛き目を見ようぞ』
 言ったところで()こえぬだろうと思いつつも、俺は声無き声で警告を発した。
 今まで俺を手にした如何(いか)なる人間も、俺の声を聴くどころか、俺の存在に気づくことすらなかった。また今度も意に反して戦場(いくさば)に連れ出され、血を浴びることになるのだろうと、(なか)(あきら)めの心地で俺は彼の動きを待っていた。だが彼は()も当たり前のように、さらりと俺の“声”に言葉を返してきた。
「やはり、(たましい)の宿る大刀(たち)であったか。なるほど、ひどく(いた)んではいるが、精霊(すたま)()りるに相応(ふさわ)しい見事な大刀だ。(もっと)もその(たましい)も、数多(あまた)の血に()まり(ゆが)んでいるようだがな」
 彼は俺を手に取ると、(まなこ)の高さに(かか)げ持ち、(たましい)の奥底まで(のぞ)き込むかのような眼差しで見つめてきた。何処にでもありふれたその姿にそぐわず、その言葉や眼差しはまるで神に(つか)える(カンナギ)のそれだった。
()は何者か。何処(いづこ)かの国の男巫(ヲカンナギ)か?』
「いいや、私は鍛冶(かぬち)だ。『青葉(あおば)(さや)鯨鯢国(くじのくに)』が鍛冶(かぬちべ)にして、村下(むらげ)矢筈(やはず)が子、真大刀(またち)鉱鉄(あらかね)の声を聴き、大刀と心通じ合わせるを生業(なりわい)としている」
 (おご)りとすら聞こえるほどに(おの)が力を信じ、(ほこ)りに満ちた声で、彼は名乗りを上げた。欲にぎらついた(いくさのきみ)の眼や戦に疲れた兵士(いくさびと)の顔とはどこか違うその若々しさが、俺にはひどく(まぶ)しく映った。
「どうだ?私と共に来ぬか?戦に傷つき、人間(ひと)(うら)みの()みついたその刀身()を、私が打ち直してやろう」
 (おそ)れを知らぬかのような()みをその口元に()き、彼はそう(さそ)いかけてきた。
 不思議(ふしぎ)な若者だった。声音(こわね)口振(くちぶ)りは思い上がり自惚(うぬぼ)れているようにも思えるのに、その(ひとみ)はどこまでも真直(ますぐ)に輝いていた。
 俺は心が()らぐのを感じていた。だが、彼の言葉をそのまますんなりと受け入れることはできなかった。
『そうして打ち直して、我を再び戦場(いくさば)へと送り出すのか。この刀身()人間(ひと)の血を浴びるのはもうたくさんだ。我はここでひそかに()ちていく。放っておいてもらおう』
 冷たく突き放したつもりだった。だが彼はその(ほお)に刻んだ笑みを消すことなく、さらに言葉を()けてきた。
「ならば私は、他を(ほろ)ぼすための力でなく、大切な何かを守りきるための力をそなたに(さず)けよう」
 俺には初め、その言葉を信じることができなかった。
『大切な何かを守りきる力?斯様(かよう)な力、あるものか。大刀には如何(いか)足掻(あが)いたとて、人間(ひと)の肉を断ち命を奪うことしかできぬ。何かを守るためと言いながらも、結局はそのために人を(あや)め血を流すのではないのか』
 その言葉に、真大刀(またち)はくすりと笑った。
(ちが)うな。大刀の役目は人を殺めることだけではない。真に名高き大刀というものは人間(ひと)肉体(からだ)でなく、心を()るのだ。敵の戦おうとする心を(くだ)き、自らの負けを認めさせ、ただそこに()るというだけで大切なものを守る――それこそが、我ら鍛冶(かぬち)の目指す大刀作りの(きわ)みだ。(すで)精霊(すたま)を宿らせたそなたのような大刀であれば、斯様(かよう)な名高き大刀となる見込みも大いにある。そなたも折角(せっかく)この世に生まれ出たのだから、血に(まみ)れた記憶しか持たぬまま朽ちていきたくはなかろう?もっと美しい、新たな記憶を共に刻んでいこうではないか」
 真大刀はそこで初めて、その(よわい)相応(ふさわ)しい(くも)りの無い笑みを浮かべた。
 (だま)って立っていれば野山に菜でも()りに来た邑の子のようで、口を(ひら)けば(カンナギ)のような(いかめ)しさと()しき気配(けわい)を感じさせ……、だがそうしてあどけなく笑っている顔は、まるでただの男童(をのわらわ)でしかない。
 くるくると印象を変え、何故だか目が(はな)せない。不思議に心()かれる何かを持った若者だった。
『……まあ、共に行ってやっても良かろう。だが、()(ごと)(わらわ)に我を打ち直せるのか?』
 素直になりきれずにそんな(にく)まれ口を叩くと、真大刀はほんのわずか気を(そこ)ねたような顔になった。
「“(わらわ)”ではない。他人(ひと)より育ちは(おそ)いが、私はこれでも十四(とおあまりよっつ)だ」
 これが、俺と真大刀の出会いだった。こうして俺は彼の暮らす(さと)へ共に行き、生まれ変わることとなったのだった。
 真大刀(またち)と俺の過ごした『青葉(あおば)(さや)鯨鯢国(くじのくに)』は、魚眼潟(なめかた)の森より小さな国を一つ(はさ)んだ北、深い山々に囲まれた場所にあった。
 その名の通り青葉が風に(さや)瑞山(みづやま)には(まし)の声が(こだま)し、白砂(しらすな)の上を流れる澄んだ水には年魚(あゆ)()れ泳ぐ、山の景色に水の景色、何処に目をやっても心(うば)われるような美しい(くに)だった。
 真大刀の(さと)はその中でも金山(かなやま)砂鉄(すなこのあらかね)の流れる川に囲まれ、郷にいるほとんどの者が作金者(かなだくみ)という郷だった。名を『鉄鉱(あらかね)()鉄砂郷(かなさのさと)』と言い、鯨鯢国(くじのくに)(つか)える鍛冶部(かぬちべ)代々(よよ)暮らしてきた郷だ。
「真大刀。君という人間(ひと)は全くもって、何という(おそ)れ知らずなことをするのだ?ただ一人郷を抜け出して(うわさ)禍霊(まがつひ)の大刀を拾いに行くなど。斯様(かよう)な所には旅人(たびと)(おそ)(にしもの)(あらわ)れなどする(ゆえ)(あや)ういのだぞ。(めづら)しい大刀(たち)と聞けば(おの)が身も(かえり)みず求めに行くなど、君は真、鍛冶(かぬち)の事となると(おろ)かしいほどに熱くなるのだな」
 郷に帰り着いた真大刀に向かいそう言っておっとりと笑ったのは、背に(かなつち)を背負い片足を引きずるようにして歩く独眼(ひとつめ)男神(ヲガミ)だった。名を鉄砂比古(カナサヒコ)と言う。
 郷と同じ名を持つその神は、郷に住む鍛冶部達の遠祖(とおつおや)の神にして鎮守神(ちんじゅがみ)、そして優れた(たくみ)(うで)と技を人々に(さず)ける鍛冶(かぬち)の神でもあった。
「申し(わけ)ございません、鉄砂比古(カナサヒコ)様。しかし、こうして山に菜を()りに行く邑人(むらひと)に化けていれば(にしもの)の目には()まらぬでしょうし、旅の道筋(みちすぢ)につきましても私なりに気を配って選んだつもりです。その(あかし)にこうして事無く目当ての大刀(たち)を見つけ、郷に帰って来ることができましたし……」
 しおらしく頭を下げて見せながらも、真大刀の声に(おの)が行いを()いているような色は全く無かった。その有様に鉄砂比古は(こま)ったような笑みを浮かべる。
「真大刀。そういう事柄ではなかろう。君が何でもできる子だというのは知っているが、家の人間(ひと)や皆の気を()ませてはいけないよ。言うまでもなく、この俺にも、だ。君は俺が見込んだ百年(ももとせ)に一人の才を持つ鍛冶(かぬち)なのだからな」
 鉄砂比古の言葉に、真大刀は照れたように(ほお)()める。
「それで、その()()禍霊(まがつひ)の大刀か。確かにこれはひどく(ゆが)んでいるな」
 鉄砂比古は俺を一目見るなり、そう言って眉根を寄せた。
「はい。そのことにつきまして、実は鉄砂比古様にお(たの)み申し上げたいことがあるのですが」
「うむ、分かっている。(きよ)めの火によりその()を清め、新たなる大刀(たち)に生まれ変わらせるのであろう?俺も手伝おう。斯様(かよう)(たましい)(うら)みつらみに(けが)されたままでは(あわ)れだからな」
「はいっ!」
 真大刀はきらきらした(ひとみ)で鉄砂比古を見上げ、大袈裟(おおげさ)なほどに深く頭を下げた。鉄砂比古と共に仕事ができるのが(うれ)しくてたまらないという表情(かお)だった。その、俺に対するものとはまるで(ちが)う真大刀の有様が俺には面白(おもしろ)くなかった。
 鉄砂比古(カナサヒコ)という神は(おどろ)くほどに明るく気さくで人間(ひと)(くさ)い神だった。姿を(かく)すこともなく(さと)の中をふらふらと出歩き、郷人(さとびと)と共に酒を()み笑い合う。俺が神と(まみ)えたのは鉄砂比古が初めてだったが、それまで(おぼろ)に思ってきた神の姿とは何もかもが(ちが)っていた。
『信じられぬな。あれが真に神なのか?神とはもっと物静かで(おごそ)かなものと思っていたが』
 思わず本音を(こぼ)すと、すぐさま真大刀の(するど)い目が飛んできた。
無礼(ぶれい)なことを言うな。あの(かた)はあれで良いのだ。気安(きやす)い御振舞(ふるま)いも(かざ)らぬご気性(きしょう)も、全て我ら郷の民を心から愛して下さっている(あかし)。それに、あのお姿も……」
 そう言われて俺は神であるのに神らしくない()の神の姿を思い出した。神だというのに目も(あし)も不自由で、(つえ)(ささ)えに郷を歩くその姿を。
鍛冶(かぬち)は身を()むのが運命(さだめ)生業(なりわい)。火の強さを整えるため()の中を三日三晩片目で(のぞ)()まねばならぬが(ゆえ)に片目の光を失い、強い力で蹈鞴(タタラ)()み続けねばならぬが(ゆえ)(あし)を痛めていく。あの方は、(われ)らが負うべきその(ヤミ)を、身代わりに引き受けて下さっているのだ。だからあの(かた)は片方の御目が見えぬし、脚もお悪い。我々はそんなあの(かた)(ほこ)りに思っているし、心よりお(した)い申し上げているのだ」
 真大刀の声音には、鉄砂比古を(うやま)(した)う心が(あふ)れていた。
『神、か……。いつか我もなれるであろうか』
「何だ?そなた、神になりたいのか?」
 思わず(こぼ)れた(つぶや)きに問いを返され、俺は(あわ)てた。
『べ、べつにそのような(だい)それたこと、望んではおらぬ。ただ、もし(かな)うならば、と思っただけであってだな……』
「何を(あせ)っている。より高みに(のぼ)りたいと()がうは然程(さほど)可笑(おか)しなことではあるまい。容易(たやす)いことではないが、物に宿る精霊(すたま)だとて、長き歳月(としつき)()数多(あまた)祈魂(ホギタマ)を集めれば神にもなれると聞いている。私がそなたを、そんな祈魂(ホギタマ)を寄せられるだけの(すぐ)れた大刀(たち)へと生まれ変わらせてやろう」
(おのれ)(うで)をそこまで信じきれるとは、(たい)したものだな。汝が(・・)我を神にすると言うのか?』
 (おの)が才をまるで(うたが)わぬ真大刀の口振りをからかうように問うが、彼はそれが当たり前であるかのように笑って言った。
「ああ、そうだ。私がそなたを、(いづ)れは神にもしてみせよう」
 (いづ)れは神にもしてみせる――その言葉が、俺達が望んでいたのとはまるで(ちが)う形で、やがて現実(まこと)になると知りもせずに。

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