第1話:夢見の島の眠れる女神
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- 第9章 悪夢の宴(7)
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ラウラを呑み込んだ
悪夢 は、まるで巨大な繭か蛹のようにその場にわだかまり、黒い泡を吐き出し続ける。ラウラはその中に閉じ込められ、溺れるようにもがいていた。
(……つめたい。暗い。これが、悪夢……)
視界は黒い泡に覆われて何も見えず、全身は氷水に浸かってでもいるかのように冷たく冷やされていく。その暗さ、冷たさは、肉体だけでなく心すらじわじわと蝕んでいくようだった。
(どうしよう、私の“夢”が通じない。メイシャちゃんを悪夢から救い出してあげられないよ。どうしたらいいんだろう。私、何か間違ってたのかな?もっと違う方法じゃなきゃダメだったのかな?)
一度湧き出した不安や疑念は、泡がふくらむように次々とふくれ上がり、ラウラの心を苛む。否定的なことばかりが頭をめぐり、ラウラは為す術もなく瞳に涙をにじませた。
だがその時、そんなラウラを宥めるかのように、優しい声が闇に響いた。
『いいえ、あなたの考えは間違っていません。ただ、少し過程 が足りなかっただけ。絶望の闇に沈んだ者は、すぐには希望を信じることなどできません。何かを信じるということは、とてもエネルギーの要ることですから。まずは彼女が抱えている傷を癒し、心を回復してあげなければ』
その声は、まるでラウラの頭の中に直接響いているかのようだった。ラウラはすぐにその声の主を悟る。
(シスター・フレーズ。……でも、どうすれば……)
心の中で問いかけると、ラウラの戸惑いや迷いを読み取ったかのように、諭すような強い声が返ってきた。
『その答えは、既にあなたの中にあります。力を解き放ちなさい、私の夢見の娘 。他の誰でもないあなた自身が、その人生の中で悩み苦しんで掴み取ったその力を、今こそ目覚めさせるのです』
(私の中の答え……?メイシャちゃんの傷を癒すもの……。これまでの人生の中で掴み取った、私の力?)
ラウラの脳裏に、これまで辿ってきた人生が走馬灯 のように流れる。浮かんでは消える幾千もの日々の中、一瞬浮かんだある光景に、ラウラはハッと目を見開いた。
(――そうだ。私、知ってた。夢が破れた悲しみや絶望を、私、もう知ってる。忘れずに覚えてる)
それは、いつかの夕暮れの情景だった。必死に追いかけてきた夢が破れた日、茜色に染まった花びらを見つめながら、ラウラは途方も無い無力感や胸の痛みと静かに戦っていた。過去の思い出として薄れることもなく、まるでその日のままのように鮮やかに生々しく蘇ったその感情に、ラウラの両目から涙が溢れた。その涙は頬を滑り、だが、そのまま泡の中に溶け混じることはなく、まるで水晶の粒のように涙の形を保ったまま、その場に漂う。
(許せない気持ちも、悔しい気持ちも、分かる。私もあの時は、私の夢を壊した人たちに怒りを覚えたり、恨んだりしたもの。……それから、どうしたんだっけ?私、どうやって立ち直ったんだっけ?)
ラウラは夢破れた日から今日までの自分を、順を追ってゆっくりと思い出す。
(シスター・フレーズに慰められて、私の紡いだ夢を一番だって言ってくれる人もいるんだって知って、少し心が癒されて……。それから、思い出したんだ。私があの夢を思いついた時のこと。夢見の娘 よりもっと素敵な夢……私の紡いだ夢で皆が笑顔になったり、喜びの涙を流してくれるなら、それで私も幸せになれるんだってこと……)
ラウラの顔にはいつしか笑みが浮かんでいた。泣き笑いの顔で、ラウラは涙を流す。いつの間にかその周りには水晶 のような涙の雫が七粒漂い、淡い光を放ち始めていた。
それは一つとして同じ色彩 はなく、皆違う色を宿して輝いている。悲しみを宿したかのような切ない青の光に、絶望を映したかのような深い藍の光、怒りに燃えているかのような赤、怨みにゆらめく紫、心癒されるような緑、喜びに溢れた明るい黄、そして、灯火のようにあたたかく優しい、橙 色の光……。
(……そっか。そういうことなんだね。あの日の悲しみ、絶望、怒り、恨み……何もかも全部、無駄なものなんかじゃなかった。その気持ちを知っている私だから、できることがある。記憶の中にあるそれが、同じように苦しむ誰かを癒す力になるんだね。……ううん、違う。『なる』のを待つんじゃなくて、自分で『する』んだ。私は何一つ、無駄になんかしないよ。今まで覚えた全ての感情、全ての記憶。私の歩んできた人生の全て……きっと、力に変えられる。変えてみせる!)
ラウラは祈るように両手を組む。その手のひらに、引き寄せられるように七色の涙が集まってくる。それは一つの大きな光となり、プリズムの光のように虹色にきらめいた。ラウラを包んでいた黒泡の繭の隙間から、まるで雲間から陽の光が零れ出すように虹色の光が洩れだした。それは見る間に眩さを増していき、黒い泡をゆっくりと溶かし消していく。その中から現れたラウラはまるで、闇色の蛹から七色の光をまとって生まれてきた蝶のようだった。
その場にいた誰もが皆、呆然とその姿に見入る。暗がりの中でもはっきりと輝く空織のドレスは、悪夢 に呑み込まれる前とはまるで違っていた。星の瞬く夜空を映していたはずのドレスは今や、島の誰もが見たことのない景色を映し出している。
それは、夜明け間際の空に無数の雪が降り注ぐ光景。しかもそれは見慣れた白銀の雪ではなく、陽の光にきらめくクリスタルガラスのようにきらきらと虹色の光を放ちながら降る雪だった。
「何、あの模様……。あんな空、見たことない。一体この島のどこにあんな空模様があるって言うの?」
呆然と呟くキルシェの背後で、夢術師 の一人が感極まったように涙をながし、膝をつく。
「あれこそ、真の夢見の娘 の証……。今現在の空ではなく、未来を暗示する空模様……。あれは、やがてこの島に訪れる数百年に一度の夜明けの光景だ」
このページは津籠 睦月による児童文学風オリジナルファンタジーWeb小説「夢の降る島」第1話の本文ページです。
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