第1話:夢見の島の眠れる女神
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- 第8章 悪夢の予兆(3)
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「それは……」
「自分の全てを注いで追いかけてきたような夢って、一度や二度破れたくらいで胸の中からいなくなってくれるほど、生やさしいものじゃないでしょう。諦めたフリをしても、別の夢を追いかけようとしても、ずっと心の奥に刺みたいに突きささって忘れられない、そういうものじゃない?」
あまりにも自分の心の内を言い当てられて、フィグは何も言えなかった。同時に悟る。ラウラもまた、簡単に新しい夢へ踏み出せているわけではないのだと。
「あのね、たとえ叶わなくても、他人に嘲笑 われるほど無謀な夢だとしても、持ち続けていいと思うんだ。それはきっと無意味なことなんかじゃないよ。よく、夢を星に例える人がいるでしょう。何とかの星を目指せ、みたいなの。あれって本当だと思うんだ。夢って、夜空に光る北極星 なんだよ。旅人を導くように、人生の行き先を照らす道標なんだよ。だから、見失ってしまったら自分がどこへ向かっていったらいいのか分からなくなって、途方に暮れちゃうんだよ。手の届かない遠い目的地でも、無いよりはマシだし、そこに辿り着くことだけが全てじゃないよ。星には届かなくても、歩いているうちに自分が本当に居心地が良いと思える場所に辿り着けるかもしれないから」
目の前の小女神 を、フィグはまるで初めて見る相手のように見つめる。それはフィグの知っていたラウラ――否、知っていると思っていたラウラではなかった。ラウラが急に、手を触れてはいけない、ひどく尊い存在になってしまったような気がして、フィグは焦った。気づいたら、手を伸ばしていた。
「え……」
小さな声とともに、ラウラの身体がフィグの胸に倒れ込む。
無理矢理引いた手をそのまま握り込み、フィグは自分がどうしたいのかも分からぬまま、ラウラの顔をのぞき込む。その視線と沈黙に、ラウラはあからさまにうろたえる。
「あ、ああああ、あのね、フィグ。フィグのことは好きだし、将来結婚してもいいって思ってるけど、でも私、まだ小女神 なんだよ。そ、そういうのは、いろいろと早いって言うか……」
混乱の極致にあるラウラは、自分がうっかり何を言ってしまっているのかもまるで分かっていない。一方、フィグはラウラのその反応から、自分が何をしたかったのかを悟った。
「べつに小女神 だってキスくらいはしてもいいだろ」
「な、何言ってんの!?」
ラウラの顔が一瞬で赤く染まる。その顔にフィグはぎこちなく自分の顔を近づけていった。
そうして触れてしまえば己の所有物 にできるなどと、そんな考えで行為に及ぼうとしたわけではない。ただ、そうでもして引きとめておかなければ大変なことになってしまいそうな、そんな昏く嫌な予感がフィグを衝き動かしていた。
熱い吐息が唇にかかり、ラウラはぎゅっと目を閉じた。フィグは残ったわずかの距離を詰め、その唇に触れようとした。だが――できなかった。
「ひゃあぁぁあっ!?」
二人の行為を咎めるように突然鳴り響いた雷鳴に、ラウラは悲鳴を上げフィグから身を離した。フィグも身を強張らせて水平線の方を見つめる。
にわかに黒雲の集まりだした空では、今まさに鳥の巣雲を突き破り、全身にプラズマの光をまとった巨鳥が生まれ出ようとしていた。風雨を呼び寄せ雷を巻き起こす精霊の鳥“嵐の精霊鳥 ”だ。その翼が羽ばたくたびに雷鳴が轟き、金色 の瞳からは光線のように稲妻がほとばしる。
「まずい!こっちへ来る前に逃げるぞ、ラウラ!」
「うん!」
つないだ手をそのままに、二人は夏風岬へ向け駆け出した。
逃げている間にも黒雲はどんどん量を増し、やがて空一面を覆いつくす。闇夜のように暗くなった空からは土砂降りの雨が降り始めた。会話を交わす暇も何かを考える余裕もなかった。
「じゃあね、フィグ。また明日、お祭で!」
雷鳴にかき消されぬよう大声で叫び、びしょ濡れのまま家へと飛び込んでいくラウラに、フィグは大きくうなずいてみせた。どんなに激しく荒れ狂う嵐でも、一晩経てば嘘のように消え去る。二人はそれを知っていた。そして、信じて疑っていなかった。明日、ともに祭の日の朝を迎えることを。だがこの時、既に事態は大きく変わろうとしていた。世の全てに絶望するかのような悲鳴が、
小女神宮 に響き渡った。
駆けつけたシスターたちの目に映ったのは、顔を覆い信じられないというように首を振る一人の女 の姿。そしてその純白の衣を裾からじわじわと染めていく、血のような赤い色。シスターたちは誰もがすぐに事態を悟り、顔面を蒼白にして立ち尽くした。
「なぜだ。こんなことがあって良いのか?祭はもう明日だというのに……」
女は女神へ呪いを吐くように天へ向け恨み言を叫び続ける。
「誰か……!早く流星の谷へ連絡を!審査官の皆様においで頂いて判断をあおがねば……!」
シスターたちは青ざめた顔のまま、あわただしく動き始める。シスターに抱きかかえられるようにして歩き出した女は、一瞬振り返って部屋の片隅を見つめた。そこには明日の祭で使われるはずの夢見の娘 の衣裳が、薄闇に染まり始めた部屋の中でほのかな光を宿し輝いていた。
このページは津籠 睦月による児童文学風オリジナルファンタジーWeb小説「夢の降る島」第1話の本文ページです。
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