TOP(INDEXページ) 小説・夢の降る島|もくじ 第1話: 小説|夢見の島の眠れる女神 :第10章(前)
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第十章 悪夢に蝕まれる島(前)


 その夜、フィグは夢を見た。
 四人の夢見の娘による祭のフィナーレ以降、記憶はひどく曖昧で、いつの間に眠りに就いたのか、そもそもどうやって家に帰り着いたのかさえ、まるで覚えてはいない。ただフィグはその夢の中で「これは夢だ」ということが不思議と認識できていた。
(夢、か。だからこんなに周りが見えづらいのか?)
 そこはまるで深い霧の中のような、一面が乳白色に霞んだ世界だった。あてもなく歩き回るうち、フィグはふと、霧の向こうに見覚えのある人影を見つけた。
(ラウラ……?)
 ぼやけた輪郭だけでも分かってしまうほど記憶に刻み込まれたその姿に、だがフィグは歩み寄ることができなかった。
(ラウラ、一体誰と一緒にいるんだ?)
 人影はラウラのものだけではなかった。見知らぬ女性の影が、ラウラのそばに寄り添うように立っていた。
「今話したことが、この島の……そして“夢見の娘”の真実です」
 見知らぬ女性がラウラに告げる。その声は第三者が立ち入ることを許さないような緊迫感に満ちていた。
 ラウラはその言葉を噛みしめるように沈黙していたが、やがて静かな声でぽつりと言った。
「……そっか。そういうこと、なんだ。じゃあ私があなたの元まで行かなくちゃ、悪夢は止まらないんだね」
(何の話をしているんだ、ラウラ。悪夢は鎮まったじゃないか。お前たちの夢見の力で……)
 フィグが二人の会話を深く吟味する間も無く、女性はラウラの前で耐えられないとばかりに顔を覆った。
「ごめんなさい。私があなたを選んだばかりに、あなたは全てを失ってしまいます」
 悲痛な声での謝罪に対し、ラウラはただ「ん~」と首をひねる。そしていつものあっけらかんとした調子で口を開いた。
「それはちょっと違うと思うな。大丈夫。私の大切なものは、運命なんかに奪われたりしないよ」
 その声には悲愴感などカケラも漂ってはいない。
「それに、私がやらなきゃ島が壊れちゃうんでしょ?そんなの嫌だし。だったら選択肢は一つしかないかなって思うんだけど」
「ラウラ……」
 女性は感銘を受けたようにその名を呼ぶ。だが次の瞬間、ハッとしたように鋭くこちらを振り返った。
「そこに、誰かいるのですか?」
 その問いは紛れもなくフィグに向けられたものだった。呼びかけられるとは思っていなかったフィグはうろたえる。
「は !? いや、俺は……」
「その声……フィグ !? 何でここにいるの !?」
 驚いたように声を上げるラウラに視線を戻し、女性は悲しげに呟いた。
「そうでした……。あなたには紅線で結ばれた相手がいるのでしたね。その絆に導かれ、こんな場所にまで引き寄せられてしまうほど、強い運命で結ばれた相手が……」
 女性はラウラの肩に手を乗せ、その耳元に顔を寄せる。
「可哀相ですが、その絆は……」
 フィグの耳には半分しか聞き取れなかったその言葉に、ラウラが衝撃を受けよろめく気配が伝わってきた。
「そんな……どうして !?」
「このままではその絆が呪いと化してしまうからです。あなたの運命が選ばれた今、その絆は最早約束された幸福の証ではなく、互いを縛る枷でしかないのですから……」
「そっか……。私にはもう、フィグと結ばれる資格が無いんだ。でも……嫌だよ。私自身の手でフィグとの絆を断ち切るなんて、できないよ。そんなの、ひど過ぎるよ……!」
 ラウラは女性の服に取りすがり、震える声で訴える。女性は頷き、そっとラウラの手を外した。
「分かりました。ならばその役目は私が請け負いましょう」
 言って、女性はフィグの方へと向き直り、ゆっくりと歩を進める。フィグはわけが分からないながらも、直感的に「まずい」と感じ、逃げ出した。だがすぐにその足が、何かに引っ張られ、つんのめる。驚いて足首を見ると、そこには今まで無かったはずの赤い縄が結びつけられていた。
(なんだ、この縄……どこかで見たような気が……)
「逃げても無駄です、フィグ・フィーガ。ここは夢の中。私の支配する領域。あなたに逃げ場などありません」
 女性はフィグの足首から伸びた縄をたぐり寄せながら近づいてくる。フィグは焦った。
(やばいな……。足に縄つけられてるんじゃ、どの道逃げられっこない。どうすればいいんだ。どうすれば……)
 考えている間にも、女性はじりじりと近づいてくる。
「……ごめんなさい、フィグ・フィーガ。でもこれは、あなたのためでもあるのです。成就しない恋に縛られたまま一生を送るより、新しく運命を結び直す方があなたにとっても幸せでしょうから……」
 穏やかながら有無を言わせぬその声音に、フィグは焦っていたことも忘れ反発した。
「は !? 何言ってんだ !? 俺の幸せ?そんなの、あんたが決めることじゃねぇだろうがっ!」
 女性はその言葉に息を呑んで立ち止まる。瞬間、フィグは閃いた。
(そうか!“夢”だ!夢なら目覚めればいいんじゃないか!……よし、起きろ、俺。こんなわけの分からない悪夢から、さっさと目を覚ますんだ!)
 フィグは必死に念じる。そして、その願いはすぐに叶った。
 

 
「起きろ……っ!」
 自分自身のその声で、フィグは飛び起きた。しばしベッドの中で荒い息を整えた後、フィグは首を傾げる。
(何だ?俺、どうしてこんな必死になって起きようとしてたんだ?嫌な夢でも見てたのか?)
 見たはず夢の記憶は、霧の奥に隠れてしまったかのようにぼんやりして、最早何となく嫌だったという感覚しか残っていない。だがフィグはそれを特に気に留めることもなかった。
(ま、夢の内容を忘れるなんて、よくあることだしな……)
 頭の中にまとわりつく“何となく嫌な感覚”を振り払おうとするように、窓辺に立ちカーテンの端を手に取る。
 いつものように勢い良くそれを開け……、フィグは眼下に広がる光景に絶句した。
「……何だ、これ。いつの間にこんなことに !?」
 いつもであれば朝日に碧く煌めいているはずの海は、泥のような原油の膜に覆われ黒く澱んでいた。白い砂浜は灰色のコンクリートで固められ、岬を彩っていた草花たちは皆枯れて茶色く変色していた。そして、変わり果てた景色のそこかしこから立ち上るのは、昨夜の祭で見た黒い泡。
「……悪夢、なのか?どういうことだ?悪夢は昨夜、全部消えたんじゃなかったのか !?」
 叫び、フィグはハッと顔色を変える。
(悪夢は確か、夢見の娘を狙っていたはず……!ラウラは今、無事なのか !?)
 フィグは机の引出しから千里眼鏡を引っ張り出し、夢鉱石で作られたダイヤルに触れながら叫んだ。
「花曇りの都のレグナース・ラウラ・フラウラの姿を映せ!」
 覗き込んだレンズに映し出されたのは、小女神宮の窓の一つだった。慎重にダイヤルを回すと、ぼやけていたピントが合っていき、ガラス窓の向こうでラウラが忙しなく動き回っているのが見えた。とりあえずの無事を確認したフィグは、ほっと安堵の息を吐く。
 だが、レンズ越しにラウラの行動を見ていくうちにその表情はだんだん険しいものへと変わっていった。
(何だ……?大きなカバンに、ランタン、地図、方位磁石に、携帯食料……?これじゃまるで旅支度じゃないか)
 ラウラは黙々とカバンに荷物を詰め込んでいた。しかもその顔には、ひどく思いつめた表情が浮かんでいる。まるで、二度と帰って来られない旅にでも出掛けるように……。
 それ以上黙って見ていることができず、フィグは部屋を飛び出し階段を駆け下りた。そのままカバンとデッキブラシを手に、家を飛び出そうとする。だが直前で制止の声がかかった。
「待って。どこへ行くつもりなの?外がどんな状況なのか分かってる?」
 振り向いた先に母親の姿を見つけ、フィグは凍りついたように動きを止める。
「分かってる。でも、ごめん。どうしても行かなきゃ駄目なんだ。今すぐラウラの所へ行かなきゃいけない気がするんだ」
 その言葉に母親は深々と溜め息をついた。
「やっぱりあんた、ラウラ様と会ってたのね。……って言うか、まぁ知ってたけどね」
「…………え?」
「だってラウラ様のあんたに対する態度、一年に一度里帰りでしか会えない相手にする態度じゃなかったもの。小さい頃、駆け落ちまでした仲だものね。今は恋愛御法度でも、あの子がいずれ小女神宮を出た後、うちに嫁に来てくれるならいいかって、釘は刺しつつ知らないふりをしてあげてたのよ」
「そう……だったのか」
 バレていないと思っていたフィグは後ろめたさを隠すように目を逸らす。母親はそんなフィグの態度に苦笑し、おもむろに項に手をやった。首にかけていたものを外し、フィグの手に渡す。それは母親が肌身離さず身につけていた羽根の形をしたペンダントだった。
「持って行きなさい。母さんがレグナースだった頃使っていた銀の匙杖よ」
「こんな大事な物……!それに、行っていいのかよ !?」
 止められると思っていたフィグは驚きを隠せない。母親は苦笑したまま告げる。
「本当は止めたいわ。今外へ出れば、何が起こるか分からないもの。もしかしたら、もう二度と会えないかも知れない。……でもあなた、いくら止めたって行ってしまうでしょう?あなたが七才の時、ラウラ様を連れて駆け落ちしたあの日のように……」
 フィグを見つめる母親の眼差しは、何もかもを悟っているかのような深い色をしていた。
「いいのよ。あなたの人生はあなただけのもの。あなたがそう決めたのなら行きなさい。私はただ、あなたの選んだ道を受け入れるわ」
 フィグは母の顔を見つめ返すことしかできなかった。言いたいことは沢山あるような気がするのに、上手く言葉にできない。しばらく言葉を探して……それでも結局、フィグが口にできたのはたった一言だけだった。
「……ありがとう、母さん」
 

 
「今までありがとう、キルシェちゃん」
 大きくふくらんだカバンを肩にかけ、ラウラは深々と頭を下げる。
 キルシェはそんなラウラの両手を引き止めるようにつかんだ。
「待ってよ。本当に行っちゃうの?一緒に行っちゃダメなの?こんなのっておかしいじゃない!あんた一人に危険な役目を負わせるなんて!」
 必死に訴えるその顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。ラウラは苦笑し、ただ静かに告げる。
「ごめんね。でも仕方ないんだよ。これは真の夢見の娘にしかできないことだって言われたし」
 数百年に一度、夢見の女神の力が弱まるたびに、島では一人のレグナースが選ばれ、ある重大な役割を担ってきた。
 “夢見の娘”とは本来、その役割を負わされたレグナースに与えられる称号であり、島ではその功績と感謝の気持ちを忘れぬために年に一度、最も強い夢見の力を持つレグナースに夢見の娘の()を演じさせ、称えるのだ。
「……もう行かなきゃ。早くしないと、どんどん島が壊れていっちゃう」
 言いながら、ラウラは天を仰ぎ、きゅっと拳を握る。夢見島の上空では今、明らかな異変が起きていた。
 それは青い空に縦横無尽に走る、数えきれないほどの白い線。一見、空に描かれた模様か一面に張った蜘蛛の巣のようにも見えるそれは、“亀裂”だ。
 それはゆっくりと、だが確実に島の空を蝕んでいく。
「これが、“夢現剥離”……」
 ラウラの視界の先では、まるで卵の殻が剥がれていくように、一箇所、また一箇所と空が剥がれ落ちていく(・・・・・・・・)。剥がれた空は白銀の光の粒となって霧散し、後には一点の光も無い深淵の闇がぽっかりと口を開けていた。
 ラウラは昨夜の夢の中で聞いた話を脳裏に蘇らせていた。
『この島は、夢見の女神の箱庭。女神の夢見の力によって支えられています。ゆえに、女神の力が弱まれば、島を構成する要素はバラバラに分解された上、二つに引き裂かれ、島はその存在自体を保っていられなくなります。それが“夢現剥離”……。それを防ぐことができるのは、ラウラ……あなただけなのです』
 ラウラはキルシェの手を握り返し、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だよ。私、絶対にこの島と皆を守ってみせるから。キルシェちゃん達は安全な場所にいて、私がちゃんとこの役目を果たせるよう祈ってて」
 キルシェは何も言えず、ただきつくラウラの身を抱きしめた。
 必死に嗚咽をこらえる気配に気づき、ラウラもただ何も言わず、震える腕にすがりついて泣いた。
 

 
「あなたはお別れを言わなくてもいいの?」
 小女神宮の門前で抱き合うふたりを窓越しに眺めていたアメイシャに、アプリコットが声を掛ける。
「そう言う君はどうなんだ?」
 言いながら振り返ったアメイシャの瞳に映ったのは、涙で目を赤くはらしたアプリコットの姿だった。
「私はもう済ませたわ。最後は親友のキルシェに譲ろうと思って」
「……私などが挨拶に言ったところでラウラは喜ぶまい。大事の前にラウラの心を乱したくはない」
 目を伏せ、自嘲気味にそう言うアメイシャに、アプリコットは苦笑する。
「まったく、最後まで意地っ張りなんだから。ラウラはあなたのこと、悪く思ってなんかいないわよ」
「あの子がどう思っていようが、私があの子にしてきたことは変わらない」
 言ってアメイシャは再びラウラに視線を向け、寂しく微笑んだ。
「私はあの子に救ってもらった。それだけでもう充分だ。これ以上は望まない。私はただ、ここから祈るだけでいいんだ」
 アプリコットはアメイシャのその頑さに「仕方がないわね」とでも言いたげにため息をつくと、黙ってその隣に寄り添った。
 

 
 キルシェと別れ、小女神宮を出、ラウラは潤んだ目をこすりながら都を囲む小川を渡った。
 花の香りの漂う砂漠をひとり歩き、しばらく行ったところでラウラは立ち止まった。
 カバンを探り、中から予め用意しておいたピンク色の紙ヒコーキをいくつも取り出す。
「島風よ、この手紙を届けて。皆へのお別れの手紙を。お母さんと、お父さんと、フィーガのおじさん、おばさんと、それから……」
 言いながら、紙ヒコーキを天高くへ向け次々と放っていく。だが、最後のひとりの名を口にしようとしたところで、ラウラはぴたりと動きを止めた。
「フィグ……には、まだ出せないよね。今から追いかけて来られたら、追いつかれちゃうかもしれないし……」
 手の中にひとつだけ残った紙ヒコーキを壊れないようにそっと握りしめ、ラウラは何かを振り切るように表情を変え、再び歩き出した。
 痛々しいほどに張り詰めたその背中に、ふいに声が掛けられる。
「どこへ行くんだ、ラウラ」
 ラウラはハッとして視線を上げた。そこには一本の傘にぶら下がり、ふわふわと空から降りてくるフィグの姿があった。
「フィグ…… !? どうして……?」
「お前なぁ、俺を出し抜いて一人で旅に出ようなんて甘いんだよ。旅立つ時は二人一緒って約束しただろ?」
 その言葉に幼い日の情景が蘇り、ラウラは泣きそうな顔で首を横に振った。
「違うよ、フィグ。これはあの時約束したような楽しい冒険なんかじゃないんだよ。それに、フィグはもうその夢、諦めたって……」
 フィグはふわりと葬花砂漠に降り立ち、ラウラの頭をぽんと叩いた。手に持っていた傘は一瞬のうちに柄に銀の羽根飾りのついた匙杖に変わる。
「夢はそう簡単に諦められるもんじゃないって言ったのはお前だろ、ラウラ。それに俺の夢より何より、お前が一人でどこかへ行っちまうのが嫌なんだよ。どうしても行かなきゃいけない旅だって言うなら、俺も一緒に連れて行けよ」
「ダ、ダメだよ。私一人で行かなきゃダメなの。危ないし、それに……」
 ラウラはしどろもどろに拒絶しようとする。だがその瞳は迷うように揺れていた。
 フィグに会わずに行こうとしたのは、会えば心が揺らぐことが分かっていたからだ。会ってしまえば、離れがたくなることが分かりきっていたからだった。
「危ないなら余計にお前一人で行かせられないだろう。ダメだと言っても俺はついて行くぞ」
 ラウラの顔がくしゃりと歪む。それまで必死に堪えてきた不安や心細さが一気に溢れ出してしまう。
「どうして来ちゃうの?一人で耐えなきゃって思ってたのに……そんなこと言われたら、我慢できなくなっちゃうよ。ダメなのに、危ないのに……一緒にいて欲しいって思っちゃう……っ」
 涙の浮かんだ瞳でなじるラウラに、フィグは悪戯っぽい笑みを返した。
「べつにいいだろ。こんな状況じゃ一人で行こうが二人で行こうが誰も見てる奴なんかいないさ。それでも、もしバレて怒られそうになったら、俺だけが叱られてやるよ」
 ラウラはしばらく迷うようにフィグの顔を見つめた後、何かを決意したような表情でうなずいた。
「ありがとう。フィグのことは絶対に私が守るから、一緒に来て欲しい」
 その言葉にフィグはぴくりと片眉を跳ね上げる。
「ばっか。お前、夢見の娘になったからって調子に乗るなよ。俺が(・・)お前を守ってやるんだろうが」
 


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このページは津籠 睦月によるオリジナル・ネット小説「夢の降る島」第1話夢見の島の眠れる女神の本文ページです。
 ジャンル(構成要素)はファンタジー・ほのぼの・恋愛・冒険・アクションなどです。
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【ミニ内容紹介】四人の夢見の娘の活躍で、島を覆う悪夢は退けられたかに見えたが…。
アクション冒険ファンタジーですが、決して血なまぐさくはなく「あくまでバトルはファンタジックに!メルヘンに!」を心がける――そんなファンタジー小説です。
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