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タイトルロゴ「夢見の島の眠れる女神」

 第十章 悪夢に(むしば)まれる島(中)

 
  
 

「“真の夢見の娘(わたし)”の役目はね、夢見の女神(レグナリア・レヴァリム)の元へあるもの(・・・・)(とど)けに行くこと。今この島に起きていることは(すべ)て、夢見の女神(レグナリア)の御力が不安定になっていることが原因なの。だからそれをどうにかしないことには、何度消してもまた(あら)たな悪夢(コシュマァル)が生まれちゃうんだ」
 そのラウラの説明を裏付(うらづ)けるかのように、今も葬花(そうか)砂漠(さばく)のあちらこちらで悪夢(コシュマァル)が黒い(あわ)を立ち(のぼ)らせている。
女神(レグナリア)の元って言ったって……お前、夢見の女神(レグナリア・レヴァリム)がどこに(ねむ)っているのか知ってるのか?」
 フィグの疑問(ぎもん)に、ラウラはしっかりと首を(たて)()ってみせる。
「うん。(おし)えてもらった。女神(レグナリア)はあそこにいるんだよ」
 言ってラウラが指さしたのは、島の中央にそびえ立つ“世界樹の切株(ユグドラシル・スタンプ)”だった。フィグは軽く目を見張(みは)る。
「……(たし)かに、女神(レグナリア)が眠るにはふさわしい場所だな。だが、どうやって行くんだ?あの山は四方を断崖絶壁(だんがいぜっぺき)の谷に囲まれてるんだぞ。おまけに島は今こんな状況(じょうきょう)だ。たどり()くまでの間に悪夢(コシュマァル)に取り込まれでもしたら洒落(しゃれ)にならないぞ」
大丈夫(だいじょうぶ)。だって私は“夢見の娘(フィーユ・レヴァリム)”だもん」
 ラウラは髪留め(ヘアピン)(はず)し、一瞬(いっしゅん)銀の匙杖(シルヴァースプーンワンド)に変化させた。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)より“魔法(まほう)絨毯(じゅうたん)”!」
 ラウラが杖を()ると、先端(せんたん)から七色の光が飛び出した。それは(たが)いに(から)まり合い、華麗(かれい)模様(もよう)()()し、やがて七色の光を()びた(ちゅう)()絨毯(じゅうたん)へと変貌(へんぼう)()げた。
「夢追いの祭の時にも見たが……お前、夢雪無しで夢を(つむ)げるようになったんだな。おまけに光の色も(ちが)う。それが“真の夢見の娘(フィーユ・レヴァリム)”の力なのか?」
「……うん」
 ラウラは目を()せ、それ以上を(かた)らなかった。
「乗って、フィグ。とりあえず谷の近くまではこれで行こう」
 
 
 魔法の絨毯(じゅうたん)は二人を乗せ、悪夢(コシュマァル)(あわ)(とど)かぬ高さを飛んでいく。
 葬花(そうか)砂漠(さばく)を一気に()え、以前ラウラを花曇(はなぐも)りの(みやこ)へ送った時とは(ぎゃく)進路(しんろ)をとり花歌(はなうた)(その)へと()しかかった時、フィグは愕然(がくぜん)と目を見開(みひら)いた。
(なん)なんだ、これは !?」
 かつて風に()れながら優しい歌を合唱(がっしょう)していたはずの花たちは、今や悪夢(コシュマァル)により黒く変色(へんしょく)し、歌とは(ちが)うモノを(ひび)かせていた。
 どこか機械(きかい)じみた感情に(とぼ)しい声で(ささや)かれるそれは、侮蔑(ぶべつ)嘲笑(ちょうしょう)、そして悪意に()ちた言葉の羅列(られつ)だった。それが幾重(いくえ)にも(かさ)なり合い、騒音(そうおん)となって容赦(ようしゃ)なく耳に飛び込んでくる。
『キモイ』『ウザイ』
『オマエナンカ、イキテイル価値モナイ』
『キエロ』『シネバイイノニ』
 否応(いやおう)なしに耳に入り()鼓膜(こまく)(ふる)わせるそれは、まるで形を持たない凶器(きょうき)のように心を打ちのめし、精神(せいしん)を冷たく切り(きざ)んでいく。ただその場に立ってその“音”に囲まれているだけで、徐々(じょじょ)に生きる気力を(うば)われていくようだった。
「何だ、これ。……頭がおかしくなりそうだ!」
 フィグは耳を(ふさ)ぎ、それらの“音”を()(はら)おうとするように必死に頭を()る。ラウラは今にも()きそうな目で花たちを見つめた。
「……そうなんだ。これが“悪夢(あくむ)”。そしてきっと、現実(げんじつ)でもあるんだね」
「どういうことだ?」
 フィグの()いに、ラウラは()り向かないまま答える。その声は悲しみに(ふる)えていた。
「これは、私たちが“向こう(がわ)”と呼ぶ場所にいる人たちが見ている悪夢。そして、現実。“悪夢(コシュマァル)”はね、“向こう側”の人たちの(いだ)いている恐怖心(きょうふしん)嫌悪感(けんおかん)不信感(ふしんかん)や……そういう、あらゆる(マイナス)の感情が形になったもの。形の無かったそれが、女神様の“夢”を(とお)してこの島に(つた)わって来て、具現化(ぐげんか)したものなんだよ」
「じゃあ、今まで島に現れてきた悪夢(コシュマァル)も、(すべ)て“向こう側”の人間が生み出したものなのか !?」
 フィグは戦慄(せんりつ)する思いでラウラに問う。
「……うん。今までは、こうして島に(あらわ)れる前に女神様の御力(おちから)浄化(じょうか)されてきたんだけど、女神様の御力が不安定(ふあんてい)になっているせいで、浄化しきれなくなって、島になだれ()んで来ているんだよ」
「そんな……。俺だって、向こう側が夢と希望に()ちた世界だなんて思っちゃいなかったさ。けど、それにしたって……、こんなに(みにく)くて、冷たいものなのか?向こう側は……」
(きら)わないであげて、フィグ。(たし)かに悪夢(このこ)たちは、私たちを攻撃(こうげき)しているようにも見えるけど……だけど本当は、苦しくて、もがいているだけなんだよ。悪夢(コシュマァル)(みなもと)は、あらゆる人たちの心の悲鳴(ひめい)や、苦しくてどうにもならない気持ち。だから希望や(すく)いを求めて、明るくてきらきらした“夢”に()って来るんだよ。だけど私たちの(つむ)ぐ夢は、悪夢(このこ)たちを救ってあげられるほど強いものばかりではないから……、取り()まれて、逆に悪夢(コシュマァル)増大(ぞうだい)させてしまったりするんだけど」
 ラウラのその言葉(ことば)証明(しょうめい)するかのように、よく耳を()ませば悲鳴が()こえる。冷たく攻撃的(こうげきてき)な言葉の中に、()()じって消えてしまいそうにか(ぼそ)く、悲痛(ひつう)な声が()こえる。
『タスケテ』『ダレデモイイカラ(ボク)ヲ見ツケテ』
『ドウシテ(ダレ)モ、タスケテクレナイノ』
『モウ誰モ、シンジラレナイ』
『イッソ全部、キエテシマエバイインダ。(ミンナ)モ、僕モ』
 ラウラは魔法の絨毯(じゅうたん)の上に立ち上がり、決意を()めた眼差(まなざ)しで口を(ひら)いた。
「助けるよ。……ううん、本当に助けられるかどうかは分からないけど、でも、私にできる(かぎ)りのことをする。だから、私は夢を(つむ)ぐよ」
 ラウラは大きく息を()()むと、(あざけ)りと(なげ)きに()れる花々へ向け銀の匙杖(シルヴァースプーンワンド)一閃(いっせん)させた。
「夢より(ひび)(わた)れ!“小さな世界(イッツ・ア・スモール・ワールド)”!」
 (ワンド)の先から七色の光が(はな)たれ、四方(しほう)へと()()っていく。それはまるで波紋(はもん)が広がるように、花園(はなぞの)()てまで広がっていった。
 光を()びた花々(はなばな)は、元の色を取り(もど)し、(はず)むような声で歌を歌い出す。花園を()たしていく明るいメロディーに、フィグは呆然(ぼうぜん)と聞き()った。
 それは、幼い(ころ)()いたことのある歌だった。幼い(ころ)、何の()()しに歌い、歌詞(かし)の意味など深く考えもしなかった歌だった。
 “世界(せかい)(ひと)つ”と歌う希望の声に(つつ)まれながら、ラウラはぽつりと(つぶや)いた。
世界中(せかいじゅう)、どこで生まれても、(そだ)ちも考えも何もかも(ちが)っていても、みんな、楽しいことがあれば(わら)うし、(かな)しいことがあれば()く……()っこの部分は何も変わらない、同じ人間なのにね。(だれ)もがみんな、それぞれに(あた)えられた人生(じんせい)の中で必死(ひっし)に“今”を生きているだけなのにね。それさえ()かっていれば、どんな(ちが)いがあっても、結局(けっきょく)は分かり合えなくても……、それでも、ままならない世界で一緒(いっしょ)足掻(あが)いている(もの)同士(どうし)、悲しみや(よろこ)びを共有(きょうゆう)できるはずなのに……。どうしてすれ(ちが)ったり、(きず)つけ合ったりしちゃうんだろうね……」
「ラウラ、お前は……この歌を、そんな(ふう)()いてきたんだな」
 フィグの声に、ラウラはそれまでの深刻(しんこく)態度(たいど)()れくさく思ったのか、誤魔化(ごまか)すように小さく(わら)った。
「子どもっぽい、かな?でも、私以外にもそんな(ふう)に思ってる人がいたからこそ、こんな歌が作られたんだと思うんだ。どんな時代にだってきっと、希望を信じて夢を(うた)う人はいるよ。私もそれを信じて、(つな)いでいきたいんだ。途絶(とだ)えないように、消えてしまわないように、夢を(つた)えていきたいんだ」
 花たちの歌う“小さな世界(イッツ・ア・スモール・ワールド)”に送られて、魔法の絨毯(じゅうたん)花歌(はなうた)(その)()けていく。だが花園(はなぞの)を出る間際(まぎわ)()からポッと黒い(あわ)()いて、花々の一部を(ふたた)び黒く()()げた。
『信ジナイ。(ミンナ)仲良(ナカヨ)クナレルナンテ、タダノ夢ダ。現実的ジャナイ』
 ラウラの言動(げんどう)否定(ひてい)するかのようなその声に、フィグは気遣(きづか)わしげにラウラを()(かえ)る。だが、ラウラは(きず)ついたような様子(ようす)(かな)しげな顔も一切(いっさい)見せず、ただ静かに前を見つめていた。
「『ただの夢』か……。(たし)かにそうかも知れないね」
 ラウラは花たちに(かた)りかけるように静かに(くちびる)を動かす。
「だけど、どんなに具体的(ぐたいてき)目標(もくひょう)も、どんなに途方(とほう)もない理想(りそう)も、(かな)えられるまではみんな『ただの夢』でしかないよ。今、()たり(まえ)に目の前にあるものだって、始まりはどこかの(だれ)かの『夢』だったんだ。自動車(じどうしゃ)も、飛行機(ひこうき)も、電灯(でんとう)も、数多(かずおお)くの病気を(なお)せる医療(いりょう)も、国の仕組(しく)みやルールを変えることさえも……。時には他人(ひと)嘲笑(わら)われて、時には(かべ)にぶつかってくじけそうになりながらも、必死に夢を(かな)えてきた人たちがいるから、今のこの世界があるんだ。(だれ)もが(みんな)(かな)うかどうかも分からないまま夢を追いかけて……、そうして()(かさ)ねられてきた努力(どりょく)苦労(くろう)(ひと)(ひと)つが、歴史(れきし)文明(ぶんめい)(つむ)いでいくんだよ。頑張(がんば)っても(かな)えられない夢は(たし)かにあるよ。でも、夢を見ることすらしなかったら何も始まらない。(だれ)かが()の中を変えてくれるのを()ち続けて、期待(きたい)裏切(うらぎ)られたと(なげ)くより、私は、笑われても夢を追いかける方を(えら)びたい。そうじゃないと、少なくとも私は、後悔(こうかい)すると思うから……」
 黒く()まった花たちは、ラウラの言葉にふるり、と(ふる)えた。だがその後を見届(みとど)けることなく、絨毯(じゅうたん)花園(はなぞの)(とお)()ぎていった。
 
 
 世界樹の切株(ユグドラシル・スタンプ)はその周囲を夢鉱石(むこうせき)の谷や流星の谷などから()る円形の深い谷に囲まれ、その谷をさらに小高(こだか)い山々が(まる)く囲んでいる。ラウラは夢鉱石の谷の外側にある山の一つで絨毯(じゅうたん)を止めた。
 そこは草木の一本も()えない岩山で、斜面(しゃめん)にはぽっかりと暗い洞窟(どうくつ)が口を()けている。それは人の手により少しずつ()り進められてできた坑道(こうどう)で、通称(つうしょう)瑠璃(るり)洞穴(どうけつ)”。山の一部がとてつもなく巨大(きょだい)瑠璃(ラピスラズリ)でできており、時折それを(けず)り出しに(おとず)れる者はあるが、普段(ふだん)はほとんど人の行き来の無い場所だ。内部は(あり)巣穴(すあな)のように枝分(えだわ)かれしており、その中には岩山を(つらぬ)いて反対側の斜面(しゃめん)へと(つな)がるトンネル(じょう)の道もできている。
「おい、こんな所に入ってどうするんだ?トンネルを()けたところで谷の真上に出るだけだぞ」
大丈夫(だいじょうぶ)。ここが一番の近道なんだよ。ついて来て」
 ラウラは躊躇(ちゅうちょ)もなく洞穴(ほらあな)に足を()()れる。(あら)(けず)られただけの坑道(こうどう)には(あか)りなど一切(いっさい)無く、暗闇(くらやみ)(つつ)まれていた。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!“光の精(ウィル・オー・ザ・ウィスプ)”!」
 ラウラは(さけ)び、銀の匙杖(シルヴァースプーンワンド)()る。(ワンド)の先からはいくつもの光球(こうきゅう)が生まれ、ラウラの周囲を明るく()らした。それを見て、フィグも銀の匙杖(シルヴァースプーンワンド)の先に夢雪(レネジュム)()りかけ(さけ)ぶ。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!“だまし火の妖精(イグニス・ファトゥス)”」
 (ワンド)の先からは(あや)しげにちらちら()れる鬼火(おにび)のような光の(たま)が飛び出してくる。
 身体(からだ)の周りをふよふよと(ただよ)う光の球を松明(たいまつ)()わりに、二人はトンネルを(おく)へ奥へと進んでいった。
 周りの(かべ)は全て瑠璃(ラピスラズリ)。まるで宵闇(よいやみ)の空のような藍色(あいいろ)の石の(かべ)の中で、黄鉄鉱(パイライト)微細(びさい)(つぶ)が光に()らされ、金の星を()りばめたかのようにきらめく。まるで夜空(よぞら)の中を散歩(さんぽ)しているような不思議(ふしぎ)空間(くうかん)を一時間ほど歩き続け、二人はやっとトンネルを()けた。
 そこは、山の斜面(しゃめん)(たい)らに整備(せいび)して(つく)った小さな展望台(てんぼうだい)だった。眼下(がんか)には急峻(きゅうしゅん)(がけ)とその下に広がる夢鉱石(むこうせき)の谷、谷を(はさ)んだ向こう(がわ)には世界樹の切株(ユグドラシル・スタンプ)――。景色(けしき)絶景(ぜっけい)と言うにふさわしいものだったが、つまりはこの先どこへも行けない行き止まりだ。空を飛んで向こう側へ(わた)ろうにも谷の上には不規則(ふきそく)な風が逆巻(さかま)いていて、下手(へた)な乗り物では風に(あお)られ墜落(ついらく)しかねない。
 フィグが「どうするんだ?」という顔で()り返ると、ラウラは(がけ)の手前まで歩を進め、杖を()った。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!七夕(たなばた)伝承(でんしょう)より“カササギの(わた)す橋”!」
 杖から飛び出した七色の光が次々と鳥に変わり、谷の上に一直線に(なら)んでいく。無数に並べられた(つばさ)は、やがて谷の両岸をつなぐ一本の橋となった。七夕(たなばた)の夜、織姫(おりひめ)彦星(ひこぼし)再会(さいかい)できるよう(あま)(がわ)()けられるという伝説(でんせつ)の橋だ。
 まるで手すりの無い()り橋のようなその橋に、ラウラはごくりと(つば)()()んだ。
「……すごく、高い。しかも長いよ……」
「でも行くしかないだろ。自分で(つむ)いだくせに何ビビッてんだ。負の想像(マイナスイメージ)夢晶体(レクリュスタルム)悪影響(あくえいきょう)(およ)ぼすんだからしっかりしとけよ」
「うん。それは分かってるんだけど……。でも高い所(こわ)いっていうのは本能的(ほんのうてき)なものだし……」
「だったら(こわ)くないように橋の横幅(よこはば)をもうちょい補正(ほせい)しろよ。あと、この橋は一人や二人(わた)ったくらいでびくともしない頑丈(がんじょう)なものだってちゃんとイメージしとけ」
 (きび)しい口調(くちょう)で次々と注文(ちゅうもん)を出しながらも、フィグは()たり(まえ)のようにラウラに手を()し出す。
「ほら、手ぇ()()ってってやるから。行くぞ」
 ラウラは一瞬(いっしゅん)目を見開(みひら)いた後、満面(まんめん)()みでフィグの手を(にぎ)りしめた。
「うんっ」
 

 (なん)()なしに手を差し出し、それに(こた)えてラウラがおずおずと手を(にぎ)ってきた瞬間(しゅんかん)()れた手のひらから(しび)れるような甘酸(あまず)っぱい感覚(かんかく)が走り()け、フィグは戸惑(とまど)った。
 同時に、祭前日の浜辺での光景が脳裏(のうり)(ひらめ)くように(よみがえ)る。
 忘れていたわけではないが、これまで無意識(むいしき)のうちに考えないようにしてきたことをうっかり意識(いしき)してしまい、フィグは今更(いまさら)ながらに動揺(どうよう)する。
「じゃあ……行く、か」
 心の内を(さと)られぬよう、わざと()()なくそう言って、フィグは橋を(わた)りだす。心臓(しんぞう)がやけに大きく脈打(みゃくう)っているが、それが高い橋の上を歩いているせいなのか、別の何かのせいなのか、フィグには判別(はんべつ)できなかった。
「うん」
 答えるラウラの声には何故(なぜ)かいつもの元気さが()りないように感じられた。()り返れば、フィグの耳が()()()まっていることに気づいたラウラの、()じらいと()れを(なん)とか()(ころ)そうとして、しかし(まった)くできていない表情(ひょうじょう)確認(かくにん)できたはずだが、ラウラの姿を極力(きょくりょく)見ないよう前だけを向いて進むフィグはそれに気づくことができなかった。
(何だ、今の元気無さげな声。もしかして俺、(いや)がられてないか?……やっぱ、あの時はいろいろとやらかしちまったよな。あのこと結局(けっきょく)、こいつはどう思ってんだ?『結婚(けっこん)してもいいくらい好き』とは言われたけど、こいつ精神的(せいしんてき)にはまだまだお子ちゃまっぽいしな……)
 そんなことをぐるぐると考えながら橋の三分の二ほどまで(わた)った時、ふいにラウラが(うし)ろから(かた)い声で()いかけてきた。
「……ねぇ、フィグって、走るの得意(とくい)だったよね?」
「は !? ああ、まぁ、得意な(ほう)だが……」
 質問の意図(いと)がまるで分からないままとりあえず答えると、ラウラは(かた)い声のまま言葉を続ける。
「あのね……、ちょっと橋を(わた)るスピード、(はや)めた(ほう)がいいかも。私達が(とお)ってきた(うし)ろの(ほう)……なんかちょっとずつ、黒くなってる気がするんだけど」
「は !? 」
 (おどろ)いて()り向くと、橋の出発地点の(あた)りに見覚(みおぼ)えのある黒い(あわ)がぷくぷくと()いているのが見えた。
「“悪夢(コシュマァル)”か !? まさか、この橋を()める気なのか !? 」
 見ている()にも(あわ)は橋を構成(こうせい)するカササギたちに取りついていく。その(からだ)は黒く()まり、別のものへと変貌(へんぼう)していく。
「カササギたちが……カラスに変わってく!」
 ラウラが悲鳴(ひめい)のような声を上げた。
 カラスに変わった鳥たちは橋の形を(たも)つことを放棄(ほうき)し、次々と空に飛び立っていく。
「走って!フィグ!橋がなくなっちゃう前に向こう岸に(わた)らないと!」
「ああ!」
 フィグはラウラの手を強く(にぎ)り直すと、カササギの橋の上を必死に走り出した。
 ふたりの(はげ)しい足音と(あら)呼吸(こきゅう)背後(はいご)で飛び()るカラスたちの羽音(はおと)ばかりがその場に(ひび)く。
「フィグ、手を(はな)して……っ。私を引っ()ってたら、フィグまで(おそ)くなっちゃう……っ」
「ばかっ!そんなこと、できるわけないだろ……っ!」
 悪夢(コシュマァル)浸蝕(しんしょく)徐々(じょじょ)速度(そくど)()げていく。フィグも全力で走ってはいるが、元々運動の得意(とくい)ではないラウラの手を引いているため思うようにスピードを出せてはいなかった。
大丈夫(だいじょうぶ)っ、私なら、夢術(レマギア)で何とかするから……っ。足場(あしば)がなくなっても落ちて死なないように頑張(がんば)るから……っ」
悪夢(コシュマァル)に追いつかれること前提(ぜんてい)で言うなよ!」
 フィグは舌打(したう)ちすると、(こし)にぶら()げていたガラス(びん)(ふた)を走りながら片手(かたて)器用(きよう)()け、中に()まっていた夢雪(レネジェム)をつかみ出して(さけ)んだ。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!『西遊記(さいゆうき)』より“如意棒(にょいぼう)”!」
 フィグの手の中で白銀の光が(はじ)け、美しく装飾(そうしょく)された一本の(ぼう)出現(しゅつげん)する。フィグはそれを片腕(かたうで)(かま)え、(ふたた)(さけ)んだ。
()びろっ!如意棒(にょいぼう)!」
 如意棒(にょいぼう)は白銀に光りながら世界樹の切株(ユグドラシル・スタンプ)へ向け矢の速度(そくど)()びていく。やがてそれは山の斜面(しゃめん)到達(とうたつ)し、深々(ふかぶか)()()()さった。
「つかまれ!ラウラ!」
「う、うんっ!」
 (うなが)され、ラウラはつないでいた手を(はな)し、両腕(りょううで)如意棒(にょいぼう)にしがみついた。
(ちぢ)め!如意棒(にょいぼう)!」
 フィグの叫びに(おう)じて、如意棒(にょいぼう)はふたりをぶら()げたまま世界樹の切株(ユグドラシル・スタンプ)の方へと(もう)スピードで(ちぢ)んでいく。
「ひゃぁああぁあぁっ!」
 ラウラはその速度にたまらず悲鳴(ひめい)()げた。
「やだっ!ちょ……っ、(はや)()ぎるよっ!つかまってられない……っ!」
我慢(がまん)しろ!もう少しで()く!」
「でも、(あせ)で手が(すべ)って……っ、あ……っ!」
 あとほんの(すう)(メートル)斜面(しゃめん)到達(とうたつ)するという寸前(すんぜん)で、ラウラは手を(すべ)らせた。その(ゆび)如意棒(にょいぼう)から(はな)れ、ラウラは谷底へ向け落ちていく。
(いや)ぁあぁぁぁぁぁっ!」
「ラウラっ!」
 先に斜面(しゃめん)辿(たど)()いたフィグはすぐさま如意棒(にょいぼう)から手を(はな)し、再び(こし)のガラス(びん)に手を()()んだ。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!“髪長姫(ラプンツェル)”!お前の(かみ)()らしてくれ!」
 その場に夢雪(レネジュム)をばら()くと、光が(はじ)け、途方(とほう)もなく長い(かみ)乙女(おとめ)(あらわ)れた。彼女が頭を()ると、その(かみ)は白銀の光を()()きながら谷底へ向かって(こぼ)れ落ち、落下(らっか)していくラウラの身を(から)()るように()きついていく。
 フィグはラプンツェルと二人がかりで(なん)とかラウラの身を引き上げた。
「……ありがとう、フィグ、ラプンツェル」
 ラウラが礼を言うと、ラプンツェルは微笑(ほほえ)みながら白銀の光の中に消えていった。


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