第九章 悪夢の宴(うたげ)（前編）

　祭の日の朝は早い。夜明けと同時に島中の夢術師(むじゅつし)及(およ)びその弟子(でし)たちが一斉(いっせい)に夢晶体(むしょうたい)を紡(つむ)ぎ出し、野に放(はな)つ。
　腕(うで)によりをかけ紡(つむ)ぎ出された夢晶体(むしょうたい)たちは、普段(ふだん)とは異(こと)なり、祭の日が終わるまで溶(と)けて消えることはない。
　夢追いの祭は特別な一日。一年のうちで最(もっと)も夢見(ゆめみ)の女神(めがみ)の影響力(えいきょうりょく)が強まる日だ。島の大気中には常(つね)より濃(こ)い夢粒子(むりゅうし)が漂(ただよ)い、この日だけは夢雪を使わなくても、ただ杖(つえ)を振(ふ)るだけで夢晶体を紡(つむ)ぎ出すことができる。島で夢術(むじゅつ)を使えるありとあらゆる者が好きに夢晶体を紡ぎ出し、島は一日中、夢幻(むげん)の生物や美しい幻想(げんそう)で溢(あふ)れかえる。
　だが、この祭の何よりの目玉は、まるで女神そのもののように美しく着飾(きかざ)った夢見(ゆめみ)の娘(むすめ)のパレードだ。
　正午(しょうご)になると同時に小女神宮(しょうめがみきゅう)を出発するパレードは、クリスタルガラスでできたクラシックカーに、虹色(にじいろ)の蝶(ちょう)の群(む)れが運ぶ花の輿(こし)、天馬(てんま)と一角獣(いっかくじゅう)が引く宝石細工(ほうせきざいく)の馬車(ばしゃ)と次々に乗り物を変え、夢見の娘の紡(つむ)ぐ夢晶体を引き連れて島中を巡(めぐ)るのだ。

「フラウラさん、もうちょっと頭下(さ)げて。……うん、そう。じゃあ載(の)せるわよ」
　綺麗(きれい)に整えられたラウラの髪(かみ)の上に、ミルククラウンのような形をした透明(とうめい)な宝冠(ほうかん)が載(の)せられる。女神の涙と呼ばれる聖なる泉の水面に水滴(すいてき)が落ちた瞬間(しゅんかん)を、雪の女王の吐息(といき)により一瞬で凍(こお)らせ、特殊(とくしゅ)な断熱(だんねつ)加工(かこう)を施(ほどこ)した“涙珠宝冠(るいしゅほうかん)”だ。
　耳には“貴婦人(きふじん)の耳飾(みみかざ)り”の異名(いみょう)を持つ優美(ゆうび)なフクシアの花を飾(かざ)り、首にはカスミソウと淡水(たんすい)真珠(しんじゅ)で編(あ)まれた繊細(せんさい)で儚(はかな)げな印象のラリエットを巻く。足に履(は)くのは、硝子(がらす)のような光沢(こうたく)と透明度がありながら、同時に絶妙(ぜつみょう)な弾力(だんりょく)と伸縮性(しんしゅくせい)をあわせ持つ“クリスタル・ドラゴンの鱗(うろこ)”の革靴(かわぐつ)だ。
　そしてその身にまとうのは“空織(そらおり)のドレス”。島の南西“空鏡塩原(そらかがみえんげん)”で採(と)れる“空映(そらうつ)しの水”に丸一日浸(ひた)した糸を使い、地平線まで続く広い草原の大きな空の下、数十人がかりで織(お)り上げられたそのドレスの布地は、昼は澄(す)んだセレスト・ブルーに白い雲模様、夕方は燃えるような夕焼けの茜色(あかねいろ)、夜は濃紺(のうこん)から黒のグラデーションに金銀の星のラメと刻々とその色と模様を変えていく。その時々の空模様(そらもよう)を生地(きじ)の上に浮かび上がらせる特殊(とくしゅ)なドレスなのだ。
　多くの島民の手をかけて作られたこれら夢見の娘の衣裳(いしょう)は、夢追いの祭のただ一日のためだけに用意されたもの。祭が終われば全て炎に投(とう)じられ、女神の元へ還(かえ)される運命(さだめ)にある。
「……よし！いい感じだわ。即興(そっきょう)でやったわりには我(われ)ながら良い出来(でき)ね。ドレスの方も何とか見映(みば)えが良くなったし」
　衣裳(いしょう)の着付(きつ)け及びヘアメイク担当(たんとう)のマリアン・カリヨンがやや遠くからラウラの全身を眺(なが)め、満足(まんぞく)そうに頷(うなず)いた。
「でも、少しバランスが悪い気がします。リリアン、左肩(ひだりかた)の所、リボンを追加(ついか)してみてください」
　衣裳(いしょう)のデザイン担当であるミリアン・カリヨンが冷静に指示(しじ)を出す。
「はいはーい。でもぉ、私としては肩(かた)だけじゃなくてもっとあちこちにリボンとかレースとかフリルとか、ゴージャスに縫(ぬ)いつけたいんだけど」
　縫製(ほうせい)の総責任者リリアン・カリヨンが縫(ぬ)い針(ばり)を手に伺(うかが)うように姉を見る。
「ダメです。夢見の娘の衣裳(いしょう)は島の古い文献(ぶんけん)を元に、夢見の女神の最古(さいこ)の衣裳を再現したもの。多少のアレンジは許(ゆる)されても、あまりゴテゴテ盛(も)り付けては女神の清楚(せいそ)なイメージを損(そこ)なってしまいます。それに、もう時間もそれほど無いでしょう」
　言ってミリアンはちらりと柱時計(はしらどけい)に目をやった。
「え……っ、うそっ、もうこんな時間!?やばっ、私としたことが衣裳(いしょう)のサイズ変更(へんこう)ごときでこんなに時間をとられるなんてっ」
「まぁ、それは仕方が無いでしょう。サイズだけでなく、フラウラさんの印象に合わせてデザインも多少変更しましたし」
　既(すで)に用意されていた夢見の娘の衣裳(いしょう)は、全てアメイシャをイメージしてデザイン及(およ)び製作されたものだ。当然ラウラにはサイズが合わず、デザインも大人(おとな)っぽ過ぎてラウラには似合(にあ)わない。それを何とか調節(ちょうせつ)するために、夢見の娘の衣裳に係(かか)わるカリヨン三姉妹が早朝から集まって作業(さぎょう)を続けてきたのだ。
「あの……、いろいろとすみません。朝早くからご迷惑(めいわく)をかけて……」
　ラウラが恐縮(きょうしゅく)して頭を下げると、マリアンは軽く顔をしかめてみせた。
「こら、ダメよ。あなたは今日は女神の娘なんだから、そんな顔してちゃダメ。それにあなたのせいじゃないもの。謝(あやま)る必要なんて無いわ」
「そうそう。あんたは余計(よけい)なことなんて考えずにパレードにだけ集中してなさい。それに、これはなるべくしてなったことだって私は思うわ。アメイシャよりあんたの方が夢見の娘にふさわしいって、私は今でも思ってるし」
　マリアンの言葉に同意(どうい)するように何度も深く頷(うなず)きながら入室してきたのは、普段のラフな格好(かっこう)とは違い、純白のワンピースの上にきっちりとローブを着こなしたキルシェ・キルクだった。
「……キルシェちゃん、それに、アプリちゃんも……」
　アプリコットもキルシェと同じ姿でこちらに歩(あゆ)み寄ってくる。二人は今日は夢見の娘の介添役(かいぞえやく)として一緒にパレードを巡(めぐ)るのだ。本来(ほんらい)であればラウラも同じように介添役(かいぞえやく)としてアメイシャのパレードに同行(どうこう)するはずだったのだが……。
「アプリちゃん……メイシャちゃんは、大丈夫？」
　ラウラは硬(かた)い声で問う。キルシェとアプリコットは何とも言えない表情で顔を見合わせた。
「……ショックを受けて部屋に引き籠(こ)もっているわ。アメイシャの性格からして、私たちから慰(なぐさ)めの言葉なんて欲しくはないでしょう。今はそっとしておいてあげて」
　ラウラは無言(むごん)でうなずく。夢に見た夢見の娘になれたというのに、胸を満(み)たすのは複雑(ふくざつ)な思いばかりで、喜びも嬉(うれ)しさも一向(いっこう)に湧(わ)いて来ない。
「もうっ！辛気(しんき)臭(くさ)いのはやめにしましょ！私たちが凹(へこ)んでたところでアメイシャのことはもうどうにもならないんだから。それよりスマイルよ、スマイル！祭の主役、夢見の娘がそんな顔しててどうするの！」
　キルシェがその場に漂(ただよ)う重い空気を吹き飛ばすように明るく言う。
「うん。そうだよね。ピンチヒッターでもちゃんとやらなきゃ、お祭を楽しみにしてる皆(みんな)に悪いもんね」　
「それじゃあ行きましょう。もう準備はできているわ」
　アプリコットが色とりどりの絹(きぬ)リボンで飾(かざ)られたラウラの銀(しろがね)の匙杖(しじょう)を渡(わた)してくる。ラウラはそれを、ややぎこちない笑顔で受け取った。

「夢より紡(つむ)ぎ出されよ！“めくるめく四季”パレード・バージョン！」
　ラウラが銀(しろがね)の匙杖(しじょう)を振(ふ)ると、杖(つえ)の先から色とりどりの花々が飛び出してきた。それらは互(たが)いに茎(くき)と茎(くき)を絡(から)ませ合い、ひとりでに花冠(はなかんむり)となって沿道(えんどう)の人々の頭の上にふわりふわりと載(の)せられていく。ラウラの好きな“春”の姿だ。
　次(つ)いでラウラが杖を振ると、今度は先端(せんたん)から瑞々(みずみず)しい若葉の群(む)れが飛び出してきた。パレードを囲むように一面に広がった緑の葉のカーテンには、まるで水面に反射(はんしゃ)した日光のような、涼(すず)やかな金の波模様が描(えが)かれる。
　ラウラはパレードの進行に合わせ、何度も杖を振る。そのたびに杖の先から出るものは変化していく。
　若葉の次には錦絵(にしきえ)のように色鮮(あざ)やかな紅葉(もみじ)、その次には陽光(ようこう)にきらめくダイヤモンドダスト。そしてその後は再び花の冠(かんむり)。全てラウラが四季の光景(こうけい)の中で“好きなもの、綺麗(きれい)だと思ったもの”だ。沿道(えんどう)の人々は歓声(かんせい)を上げてラウラの紡(つむ)ぐ夢に見惚(みと)れた。だがその中に、その夢術から目を逸(そ)らすようにうつむく者がいた。小女神宮の部屋をこっそり一人で抜(ぬ)け出したアメイシャ・アメシスだ。
　彼女は目深(まぶか)にかぶったフードの下で唇(くちびる)を噛(か)みしめる。我慢(がまん)できず見には来たものの、その胸にはやはり昏(くら)い感情しか湧(わ)いてはこなかった。本来であれば、あの場で喝采(かっさい)を浴(あ)びているのは彼女のはずだったのだ。
　アメイシャはうつむいたまま人の輪(わ)からそっと離(はな)れる。どこか静かな所、祭の喧騒(けんそう)の届(とど)かぬ所へ行きたかった。

　街を抜(ぬ)け、橋を渡り、濠(ほり)のように丸く都(みやこ)を取り囲む川を越(こ)えると葬花砂漠(そうかさばく)――花雲(はなぐも)から降(ふ)った花びらが、いつしか都の外に風で運ばれ、色鮮(あざ)やかなまま砂となり、そっと葬(ほうむ)られる場所だ。
　砂を踏(ふ)みしめるたびに花の香の立ち上(のぼ)るこの砂漠(さばく)は、その場所場所によりまた細(こま)かく呼び名が分かれている。黄色い砂ばかりが広がる黄花砂漠(きばなさばく)に、薄紅色(うすべにいろ)の砂が広がる桃花砂漠(とうかさばく)、幾色(いくしょく)もの砂が混(ま)じり合う七色砂漠、そして今アメイシャの進む純白(じゅんぱく)の砂漠は白薔薇(しろばら)砂漠(さばく)と呼ばれている。甘い薔薇(ばら)の香(か)の漂(ただよ)う、まるで雪原(せつげん)のように真っ白な、地平線(ちへいせん)まで続く砂漠(さばく)だ。
　しばらく行ったところでアメイシャは下腹部(かふくぶ)の痛みに思わずうずくまった。少しも自分が望(のぞ)んだものではないその痛みに眉(まゆ)を寄せ、彼女は全てを投げ出すように砂の上に横たわる。甘やかな香りに包まれながら、アメイシャは全てを拒(こば)むかのように固く、固く目を閉(と)じる。
「……なぜなんだ。なぜ、こんなことで夢見の娘の座(ざ)を奪(うば)われなければならない？」
　固く閉じた瞳(ひとみ)から、涙(なみだ)が溢(あふ)れて頬(ほほ)をつたう。
「何という理不尽(りふじん)だ。こんな、自(みずか)らの意思ではどうにもならない肉体の成長によって、夢を奪(うば)われなければならないのか？こんなことで、今までの努力の何もかもが否定(ひてい)されるなど……認(みと)めない。そんな世界は、私が絶対(ぜったい)に認めない」
　アメイシャの唇(くちびる)から低く小さな笑いが零(こぼ)れだす。ラウラが己(おのれ)の全てを懸(か)けて夢見の娘という夢を追っていたように、アメイシャもまた、己の人生を懸(か)けてその夢を追っていた。そうしなければならない理由が、彼女にはあった。
　――『アメイシャ、あなたなら最高の夢見の娘になれるわ。母さまに叶(かな)えられなかった夢を、あなたなら叶(かな)えられる』
　脳裏(のうり)に蘇(よみがえ)るのは母の声。自(みずか)らの果(は)たせなかった夢を娘に託(たく)し、まるで刷(す)り込(こ)みのように何度も何度も言い聞かせ続けてきた母親の声だった。
　まるで呪(のろ)いのように刻(きざ)みつけられたその言葉が、いつしかアメイシャの存在理由となっていた。それが砕(くだ)け散(ち)ってしまった今、アメイシャの心は空(から)っぽだった。この先何をすれば良いのか、何をしたいのかすら分からない。今まで通りに食事をし、眠(ねむ)り、当たり前の日常(にちじょう)を送る気力(きりょく)すら失われて、それでも『死んでしまいたい』という思いすら浮かばぬほどの、ひたすらに空(から)っぽで虚(うつ)ろな心。
「……要(い)らない。もう、何もかも消えてしまえばいい。運命が私を選ばなかったと言うなら、そんな運命を紡(つむ)ぎ出す世界など、私は要(い)らない。祭も夢見の娘もこの島も私も……全てなくなってしまえばいいんだ」
　笑い声は徐々(じょじょ)に大きくなっていく。アメイシャは涙(なみだ)を流したまま、狂(くる)ったように笑い続けた。
　その笑い声に応(こた)えるかのように、純白の砂原(すなはら)に異変(いへん)が現れた。雪のような白一面の世界に、まるでそれを汚(けが)すかのようにどこからともなく滲(にじ)み出してきたのは、影のような黒い染(し)みだった。
　白い布に墨汁が染(し)みていくかのようにじわじわと砂原を染(そ)めていくそれは、やがてくぷりと音を立て、空気をはらんで宙空(ちゅうくう)に浮(う)かび上がってくる。
　分裂(ぶんれつ)し、増殖(ぞうしょく)しながら地表(ちひょう)や宙をゆらゆらと漂(ただよ)うそれは、まるでシャボンの泡(あわ)のようだった。ただしそれはシャボンの泡(あわ)のように光を受けて七色にきらめくことはなく、むしろ光も色も何もかもを呑(の)み込んでしまいそうな、どこまでも深淵(しんえん)な闇(やみ)の色をしていた。
　瞳(ひとみ)を閉(と)ざしたままのアメイシャは、己(おのれ)の身をゆっくりと覆(おお)っていくその闇(やみ)に気づかない。
　黒い泡(あわ)は、まるで浸蝕(しんしょく)するかのように彼女の身を覆(おお)っていく。まるで、彼女の存在そのものを闇(やみ)に包み隠(かく)していくかのように……。

　異変(いへん)は島の各地(かくち)で起きていた。葬花砂漠(そうかさばく)で泡(あわ)が出現するのと同時に、島のあちらこちらで同様(どうよう)に地から黒い泡が湧(わ)き出していた。
　黒い泡は島民たちの紡(つむ)ぎ出した夢晶体を次々に呑(の)み込んでいく。
　呑み込まれた夢晶体たちは、皆その姿を禍々(まがまが)しく変化させていった。七色の蝶(ちょう)は毒々(どくどく)しいまだら模様(もよう)の蛾(が)に変わり、純白の小鳥は黒々としたコウモリに、長くひらめいていたリボンは長く躯(からだ)をくねらせる蛇(ヘビ)に、あらゆるものが不気味(ぶきみ)に変貌(へんぼう)を遂(と)げていく。
　変質(へんしつ)した夢晶体たちは、その身からこぽこぽと黒い泡(あわ)を立ち上(のぼ)らせながら、ゆっくりと移動を始めた。
　目指(めざ)す先は皆(みな)同じ、世界樹(せかいじゅ)の切株(きりかぶ)を取り囲む谷の一角(いっかく)。“流星(りゅうせい)の谷”と呼ばれるその場所は、多くの夢術師たちが暮(く)らす学術(がくじゅつ)都市(とし)であり、夢見の娘のパレードが最後に到達(とうたつ)する祭のフィナーレの場所でもあった。