祭の日の朝は早い。夜明けと同時に島中の
腕によりをかけ紡ぎ出された
夢追いの祭は特別な一日。一年のうちで最も
だが、この祭の何よりの目玉は、まるで
正午になると同時に
「フラウラさん、もうちょっと頭下げて。……うん、そう。じゃあ載せるわよ」
綺麗に整えられたラウラの髪の上に、ミルククラウンのような形をした透明な
耳には“
そしてその身にまとうのは“空織のドレス”。島の南西“
多くの島民の手をかけて作られたこれら
「……よし!いい感じだわ。即興でやったわりには我ながら良い出来ね。ドレスの方も何とか見映えが良くなったし」
衣裳の着付け及びヘアメイク担当のマリアン・カリヨンがやや遠くからラウラの全身を眺め、満足そうに頷いた。
「でも、少しバランスが悪い気がします。リリアン、左肩の所、リボンを追加してみてください」
衣裳のデザイン担当であるミリアン・カリヨンが冷静に指示を出す。
「はいはーい。でもぉ、私としては肩だけじゃなくてもっとあちこちにリボンとかレースとかフリルとか、ゴージャスに縫いつけたいんだけど」
縫製の総責任者リリアン・カリヨンが縫い針を手に伺うように
「ダメです。
言ってミリアンはちらりと柱時計に目をやった。
「え……っ、うそっ、もうこんな時間!?やばっ、私としたことが衣裳のサイズ変更ごときでこんなに時間をとられるなんてっ」
「まぁ、それは仕方が無いでしょう。サイズだけでなく、フラウラさんの印象に合わせてデザインも多少変更しましたし」
既に用意されていた
「あの……、いろいろとすみません。朝早くからご迷惑をかけて……」
ラウラが恐縮して頭を下げると、マリアンは軽く顔をしかめてみせた。
「こら、ダメよ。あなたは今日は
「そうそう。あんたは余計なことなんて考えずにパレードにだけ集中してなさい。それに、これはなるべくしてなったことだって私は思うわ。アメイシャよりあんたの方が
マリアンの言葉に同意するように何度も深く頷きながら入室してきたのは、普段のラフな格好とは違い、純白のワンピースの上にきっちりとローブを着こなしたキルシェ・キルクだった。
「……キルシェちゃん、それに、アプリちゃんも……」
アプリコットもキルシェと同じ姿でこちらに歩み寄ってくる。二人は今日は
「アプリちゃん……メイシャちゃんは、大丈夫?」
ラウラは硬い声で問う。キルシェとアプリコットは何とも言えない表情で顔を見合わせた。
「……ショックを受けて部屋に引き籠もっているわ。アメイシャの性格からして、私たちから慰めの言葉なんて欲しくはないでしょう。今はそっとしておいてあげて」
ラウラは無言でうなずく。夢に見た
「もうっ!辛気臭いのはやめにしましょ!私たちが凹んでたところでアメイシャのことはもうどうにもならないんだから。それよりスマイルよ、スマイル!祭の主役、
キルシェがその場に漂う重い空気を吹き飛ばすように明るく言う。
「うん。そうだよね。ピンチヒッターでもちゃんとやらなきゃ、お祭を楽しみにしてる皆に悪いもんね」
「それじゃあ行きましょう。もう準備はできているわ」
アプリコットが色とりどりの絹リボンで飾られたラウラの
「夢より紡ぎ出されよ!“めくるめく四季”パレード・バージョン!」
ラウラが
次いでラウラが杖を振ると、今度は先端から瑞々しい若葉の群れが飛び出してきた。パレードを囲むように一面に広がった緑の葉のカーテンには、まるで水面に反射した日光のような、涼やかな金の波模様が描かれる。
ラウラはパレードの進行に合わせ、何度も杖を振る。そのたびに杖の先から出るものは変化していく。
若葉の次には錦絵のように色鮮やかな紅葉、その次には陽光にきらめくダイヤモンドダスト。そしてその後は再び花の冠。全てラウラが四季の光景の中で“好きなもの、綺麗だと思ったもの”だ。沿道の人々は歓声を上げてラウラの紡ぐ夢に見惚れた。だがその中に、その
彼女は目深にかぶったフードの下で唇を噛みしめる。我慢できず見には来たものの、その胸にはやはり昏い感情しか湧いてはこなかった。本来であれば、あの場で喝采を浴びているのは彼女のはずだったのだ。
アメイシャはうつむいたまま人の輪からそっと離れる。どこか静かな所、祭の喧騒の届かぬ所へ行きたかった。
街を抜け、橋を渡り、濠のように丸く都を取り囲む川を越えると葬花砂漠――花雲から降った花びらが、いつしか都の外に風で運ばれ、色鮮やかなまま砂となり、そっと葬られる場所だ。
砂を踏みしめるたびに花の香の立ち上るこの砂漠は、その場所場所によりまた細かく呼び名が分かれている。黄色い砂ばかりが広がる黄花砂漠に、薄紅色の砂が広がる桃花砂漠、幾色もの砂が混じり合う七色砂漠、そして今アメイシャの進む純白の砂漠は白薔薇砂漠と呼ばれている。甘い薔薇の香の漂う、まるで雪原のように真っ白な、地平線まで続く砂漠だ。
しばらく行ったところでアメイシャは下腹部の痛みに思わずうずくまった。少しも自分が望んだものではないその痛みに眉を寄せ、彼女は全てを投げ出すように砂の上に横たわる。甘やかな香りに包まれながら、アメイシャは全てを拒むかのように固く、固く目を閉じる。
「……なぜなんだ。なぜ、こんなことで
固く閉じた瞳から、涙が溢れて頬をつたう。
「何という理不尽だ。こんな、自らの意思ではどうにもならない肉体の成長によって、夢を奪われなければならないのか?こんなことで、今までの努力の何もかもが否定されるなど……認めない。そんな世界は、私が絶対に認めない」
アメイシャの唇から低く小さな笑いが零れだす。ラウラが己の全てを懸けて
――『アメイシャ、あなたなら最高の
脳裏に蘇るのは母の声。自らの果たせなかった夢を娘に託し、まるで刷り込みのように何度も何度も言い聞かせ続けてきた母親の声だった。
まるで呪いのように刻みつけられたその言葉が、いつしかアメイシャの存在理由となっていた。それが砕け散ってしまった今、アメイシャの心は空っぽだった。この先何をすれば良いのか、何をしたいのかすら分からない。今まで通りに食事をし、眠り、当たり前の日常を送る気力すら失われて、それでも『死んでしまいたい』という思いすら浮かばぬほどの、ひたすらに空っぽで虚ろな心。
「……要らない。もう、何もかも消えてしまえばいい。運命が私を選ばなかったと言うなら、そんな運命を紡ぎ出す世界など、私は要らない。祭も
笑い声は徐々に大きくなっていく。アメイシャは涙を流したまま、狂ったように笑い続けた。
その笑い声に応えるかのように、純白の砂原に異変が現れた。雪のような白一面の世界に、まるでそれを汚すかのようにどこからともなく滲み出してきたのは、影のような黒い染みだった。
白い布に墨汁が染みていくかのようにじわじわと砂原を染めていくそれは、やがてくぷりと音を立て、空気をはらんで宙空に浮かび上がってくる。
分裂し、増殖しながら地表や宙をゆらゆらと漂うそれは、まるでシャボンの泡のようだった。ただしそれはシャボンの泡のように光を受けて七色にきらめくことはなく、むしろ光も色も何もかもを呑み込んでしまいそうな、どこまでも深淵な闇の色をしていた。
瞳を閉ざしたままのアメイシャは、己の身をゆっくりと覆っていくその闇に気づかない。
黒い泡は、まるで浸蝕するかのように彼女の身を覆っていく。まるで、彼女の存在そのものを闇に包み隠していくかのように……。
異変は島の各地で起きていた。葬花砂漠で泡が出現するのと同時に、島のあちらこちらで同様に地から黒い泡が湧き出していた。
黒い泡は島民たちの紡ぎ出した
呑み込まれた
変質した
目指す先は皆同じ、