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 第九章 悪夢の宴(後編)

 
 

 
 ラウラを()()んだ悪夢は、まるで巨大な(まゆ)(さなぎ)のようにその場にわだかまり、黒い(あわ)()き出し続ける。ラウラはその中に閉じ込められ、(おぼ)れるようにもがいていた。
(……つめたい。暗い。これが、悪夢……)
 視界(しかい)は黒い泡に(おお)われて何も見えず、全身は氷水(こおりみず)()かってでもいるかのように冷たく()やされていく。その暗さ、冷たさは、肉体だけでなく心すらじわじわと(むしば)んでいくようだった。
(どうしよう、私の“夢”が(つう)じない。メイシャちゃんを悪夢から(すく)い出してあげられないよ。どうしたらいいんだろう。私、何か間違(まちが)ってたのかな?もっと(ちが)う方法じゃなきゃダメだったのかな?)
 一度()き出した不安や疑念(ぎねん)は、泡がふくらむように次々とふくれ上がり、ラウラの心を(さいな)む。否定的(ひていてき)なことばかりが頭をめぐり、ラウラは()(すべ)もなく(ひとみ)(なみだ)をにじませた。
 だがその時、そんなラウラを(なだ)めるかのように、優しい声が(やみ)(ひび)いた。
『いいえ、あなたの考えは間違(まちが)っていません。ただ、少し過程(かてい)()りなかっただけ。絶望(ぜつぼう)(やみ)(しず)んだ者は、すぐには希望を信じることなどできません。何かを信じるということは、とてもエネルギーの()ることですから。まずは彼女が(かか)えている(きず)(いや)し、心を回復してあげなければ』
 その声は、まるでラウラの頭の中に直接(ひび)いているかのようだった。ラウラはすぐにその声の(ぬし)(さと)る。
(シスター・フレーズ。……でも、どうすれば……)
 心の中で問いかけると、ラウラの戸惑(とまど)いや(まよ)いを読み取ったかのように、(さと)すような強い声が返ってきた。
『その答えは、(すで)にあなたの中にあります。力を()(はな)ちなさい、私の夢見の娘。他の(だれ)でもないあなた自身が、その人生の中で(なや)み苦しんで(つか)み取ったその力を、今こそ目覚(めざ)めさせるのです』
(私の中の答え……?メイシャちゃんの傷を(いや)すもの……。これまでの人生の中で(つか)み取った、私の力?)
 ラウラの脳裏(のうり)に、これまで辿(たど)ってきた人生が走馬灯(そうまとう)のように流れる。浮かんでは消える幾千(いくせん)もの日々の中、一瞬(いっしゅん)()かんだある光景に、ラウラはハッと目を見開(みひら)いた。
(――そうだ。私、知ってた。夢が(やぶ)れた悲しみや絶望を、私、もう知ってる。忘れずに(おぼ)えてる)
 それは、いつかの夕暮(ゆうぐ)れの情景だった。必死に追いかけてきた夢が破れた日、茜色(あかねいろ)()まった花びらを見つめながら、ラウラは途方(とほう)も無い無力感(むりょくかん)や胸の(いた)みと静かに戦っていた。過去(かこ)の思い出として(うす)れることもなく、まるでその日のままのように(あざ)やかに生々(なまなま)しく(よみがえ)ったその感情に、ラウラの両目から涙が(あふ)れた。その涙は(ほほ)(すべ)り、だが、そのまま(あわ)の中に()()じることはなく、まるで水晶(すいしょう)(つぶ)のように涙の形を(たも)ったまま、その場に(ただよ)う。
(ゆる)せない気持ちも、(くや)しい気持ちも、分かる。私もあの時は、私の夢を(こわ)した人たちに(いか)りを(おぼ)えたり、(うら)んだりしたもの。……それから、どうしたんだっけ?私、どうやって立ち直ったんだっけ?)
 ラウラは夢(やぶ)れた日から今日(きょう)までの自分を、順を追ってゆっくりと思い出す。
(シスター・フレーズに(なぐさ)められて、私の(つむ)いだ夢を一番だって言ってくれる人もいるんだって知って、少し心が(いや)されて……。それから、思い出したんだ。私があの夢を思いついた時のこと。夢見の娘よりもっと素敵(すてき)な夢……私の(つむ)いだ夢で(みんな)笑顔(えがお)になったり、喜びの(なみだ)を流してくれるなら、それで私も幸せになれるんだってこと……)
 ラウラの顔にはいつしか()みが浮かんでいた。泣き笑いの顔で、ラウラは涙を流す。いつの()にかその周りには水晶(すいしょう)のような涙の(しずく)七粒(ななつぶ)(ただよ)い、(あわ)い光を(はな)ち始めていた。
 それは一つとして同じ色はなく、(みな)(ちが)う色を宿(やど)して(かがや)いている。悲しみを宿(やど)したかのような(せつ)ない青の光に、絶望を(うつ)したかのような深い(あい)の光、(いか)りに燃えているかのような赤、(うら)みにゆらめく(むらさき)、心(いや)されるような緑、喜びに(あふ)れた明るい黄、そして、灯火(ともしび)のようにあたたかく優しい、(だいだい)色の光……。
(……そっか。そういうことなんだね。あの日の悲しみ、絶望(ぜつぼう)、怒り、(うら)み……何もかも全部、無駄(むだ)なものなんかじゃなかった。その気持ちを知っている私だから、できることがある。記憶(きおく)の中にあるそれが、同じように苦しむ誰かを(いや)す力になるんだね。……ううん、(ちが)う。『なる』のを()つんじゃなくて、自分で『する』んだ。私は何一つ、無駄(むだ)になんかしないよ。今まで(おぼ)えた全ての感情、全ての記憶(きおく)。私の(あゆ)んできた人生の全て……きっと、力に変えられる。変えてみせる!)
 ラウラは(いの)るように両手を組む。その手のひらに、引き()せられるように七色の(なみだ)が集まってくる。それは一つの大きな光となり、プリズムの光のように虹色(にじいろ)にきらめいた。
 
 
 ラウラを(つつ)んでいた黒泡の(まゆ)隙間(すきま)から、まるで雲間(くもま)から()の光が(こぼ)れ出すように虹色の光が()れだした。それは見る()(まばゆ)さを()していき、黒い泡をゆっくりと()かし消していく。その中から現れたラウラはまるで、闇色(やみいろ)(さなぎ)から七色の光をまとって生まれてきた(ちょう)のようだった。
 その場にいた(だれ)もが(みな)呆然(ぼうぜん)とその姿に見入(みい)る。(くら)がりの中でもはっきりと輝く空織のドレスは、悪夢に()み込まれる前とはまるで(ちが)っていた。星の(またた)く夜空を映していたはずのドレスは今や、島の誰もが見たことのない景色(けしき)を映し出している。
 それは、夜明(よあ)間際(まぎわ)の空に無数(むすう)の雪が()(そそ)ぐ光景。しかもそれは見慣(みな)れた白銀(はくぎん)の雪ではなく、()の光にきらめくクリスタルガラスのようにきらきらと虹色(にじいろ)の光を(はな)ちながら()る雪だった。
「何、あの模様(もよう)……。あんな空、見たことない。一体この島のどこにあんな空模様(そらもよう)があるって言うの?」
 呆然(ぼうぜん)(つぶや)くキルシェの背後(はいご)で、夢術師(むじゅつし)の一人が感極(かんきわ)まったように涙をながし、(ひざ)をつく。
「あれこそ、真の夢見の娘の(あかし)……。今現在の空ではなく、未来を暗示(あんじ)する空模様(そらもよう)……。あれは、やがてこの島に(おとず)れる数百年に一度の夜明けの光景だ」
 ラウラは()じていたまぶたを上げ、()()ぐにアメイシャを見つめた。アメイシャは(おび)えたように身を(ふる)わせ(あと)ずさる。ラウラはそんなアメイシャへ向け(ふたた)び手を()()べ、(くちびる)(ひら)いた。
「ねぇ、メイシャちゃん。私がメイシャちゃんに手を差し出すのは、『(あわ)れみ』なんかじゃないよ。だって、私もその悪夢を知ってるから。苦しいよね。(つら)いよね。すぐには希望を信じられないよね。でもね、世界がそんな悪夢だけじゃないことも、私はもう知ってるよ」
 それは母が赤子(あかご)に語りかけるような、優しい、優しい声だった。
「この世界は、全ての夢が(かな)うような世界じゃない。自分自身のせいだけじゃなくて、他人の都合(つごう)や運命のせいで夢が(こわ)されることもある。だけどね、きっと(だれ)にも壊せない夢だってあるよ。他人の作った夢、誰かに用意された夢じゃなく、自分自身で(えが)きあげた夢なら。それはきっと、自分が(あきら)めない(かぎ)りは誰にも(こわ)せない。だから、大丈夫(だいじょうぶ)だよ。安心して夢を見ていいんだよ」
 それでもアメイシャは首を横に()る。駄々(だだ)をこねる子のように、どこか(おさな)げな仕草(しぐさ)懸命(けんめい)に首を振る。
「……無理だ。私にはもう夢など見られない。私の中は(うつ)ろだ。もう何もかも失われてしまったのだ」
 強張(こわば)った顔で(うった)えるアメイシャに、ラウラは微笑(ほほえ)みかけた。
「ねぇ、メイシャちゃん。夢って、(やぶ)れてしまえばそれでお(しま)いなのかな?もう何の価値(かち)もなくなっちゃうものなのかな?メイシャちゃんは『もう何もかも失われた』って言ったけど、私はそうは思わないよ。だって、今のメイシャちゃんには“力”があるはずだから。夢を追う日々(ひび)の中で、努力して、苦しんで、少しずつ身につけてきた力が(たし)かにあるはずだから。それは自分でもあるかどうか信じられないような種類の力かも知れない。目に見える実力とかじゃなく、感性(かんせい)とか精神力(せいしんりょく)とかそういう自分でもその存在(そんざい)に気づけないような力かも知れない。でもきっと、何かの力になってるよ。何一つ生み出さない努力(どりょく)なんて無いよ」
 アメイシャの顔が泣きそうに(ゆが)む。
「力、だと?そんなもの、今更(いまさら)もう何の役にも立たないではないか。私は(すで)に夢見の娘の資格(しかく)喪失(そうしつ)してしまったのだから」
「役に立つか立たないかはメイシャちゃん次第(しだい)だよ。その力は夢見の娘という夢を(かな)えることはできなかった。でも、別の新しい夢を叶える力にはなるかも知れない。きっとどんなすごい力だって、メイシャちゃんが(あきら)めてしまえば何も()たせずに()ちていくだけだよ。でも、そんなのもったいないよ。悲しいよ」
 (ほお)微笑(びしょう)(きざ)んだまま、ラウラは(せつ)なげに(まゆ)を寄せてアメイシャを見つめる。それは夢破れる苦しみや痛みを知ってなお、そこから何かをすくい上げようともがいたラウラがたどり()いた、精一杯(せいいっぱい)微笑(ほほえ)みだった。
 アメイシャは一瞬、その()みに()い寄せられるように手を()ばしかけた。だが、すぐにその手を引っ込め、きつく(にぎ)り込む。その身を包む黒い(あわ)が、彼女の動揺(どうよう)を表すように(はげ)しく音を立てて泡立(あわだ)った。
(いや)、だ……。君に(すく)われるのは嫌だ。どんなに苦しくても、君に救われるくらいなら……っ!」
 アメイシャにとって、ラウラに(すく)われることは『負け』を意味していた。今だけでなくこれまでもずっと、アメイシャは他の(だれ)でもない、ラウラにだけは絶対(ぜったい)に負けたくなかった。
 だが、ラウラは静かに首を横に()る。
「ううん、(ちが)うよ。メイシャちゃんを救うのは私じゃない。メイシャちゃん自身だよ。今、そんな(ふう)に泣いて苦しんでいるメイシャちゃんを救ってあげられるのは、きっと未来のメイシャちゃんだけだから」
 ラウラは世界の全てを見通し、(いつく)しむかのような眼差(まなざ)しで言葉を続ける。
「メイシャちゃんの追ってきた夢の軌跡(キセキ)は、きっとメイシャちゃん自身にしか分からない。メイシャちゃんが今までどれだけ努力して苦しんできたのかは、メイシャちゃんだけしか知らない。たとえどんなに近くにいた人でも、(した)しい友達でも、決してその全部を知ることはできないよ。だからせめて自分だけはちゃんと(おぼ)えていて、(いとお)しんであげなきゃ、一生懸命(いっしょうけんめい)頑張(がんば)ってきたこれまでの自分が可哀相(かわいそう)だよ。その努力や苦しみを無駄(むだ)で無意味なだけの思い出にしちゃわないで、何かに()かしてあげようよ。そうすれば、いつかの未来でその日々を()り返った時、自分自身に言ってあげられるよ。『あの時の涙や苦しみは無駄(むだ)なんかじゃなかった』って。だから、ねぇ、いつまでも悪夢の中でもがかないで、夢を見よう。新しい夢を(さが)そう。夢見ることは無駄(むだ)になんてならないから。夢はきっと、お星様みたいに人生を()らしてくれるから」
 ()()べられたままの小さな手のひらを、アメイシャはじっと見つめた。()りし日の記憶(きおく)が、その脳裏(のうり)(よみがえ)ってくる。
 
 
 小女神宮(しょうめがみきゅう)で出会ったばかりの(ころ)、アメイシャはラウラのことを本気で馬鹿(ばか)にし、見下(みくだ)していた。
『君の夢術(むじゅつ)は欠点だらけだな。そんなことでは到底(とうてい)、夢見の娘になど(えら)ばれまい』
 アメイシャにとって、同世代(どうせだい)のレグナースは全て夢見の娘を(ねら)うライバルでしかなかった。だからその欠点をつつき、夢見の娘を目指(めざ)す気など()くしてしまうほど心を(きず)つけることに何のためらいも(いだ)いてはいなかった。落ちこぼれで欠点だらけのラウラはそんなアメイシャにとって恰好(かっこう)標的(ひょうてき)に見えたのだが……。
『そっかぁ……欠点だらけかぁ。じゃあ、その欠点を一個一個克服(こくふく)していかなきゃ、だね!』
 アメイシャの言葉に、(はじ)めのうちこそ落ち込んだように項垂(うなだ)れていたラウラだったが、次の瞬間(しゅんかん)にはもう前向きなことを言い笑っていた。予想外の反応に面食(めんく)らいながらも、アメイシャは攻撃(こうげき)の手をゆるめなかった。
『なぜそんな(ふう)に笑っていられる?私は君に夢見の娘の可能性が無いと言ったのだぞ』
『え?だって、今はそうでも将来(しょうらい)は分からないでしょ?欠点があるってことは、それを乗り()えれば、その分確実(かくじつ)に成長できるってことだし。自分のやるべきことがはっきり分かってるってことだから、(なん)て言うか、えっと……『便利(べんり)』な気がするけどな』
 そう言ってへらへらと笑ったラウラを、アメイシャはただ(しら)けた顔で見るばかりだった。
(『便利』って、この子、馬鹿(ばか)なのか?)
『分かっていないな。欠点をいくら克服(こくふく)したところで、所詮(しょせん)やっと人並(ひとな)みになれるだけだ。他人(ひと)と同じ才能で選ばれるわけなどない』
 (とど)めを()すくらいのつもりで言い(はな)った言葉は、だがラウラにきょとんとした顔で受け止められただけだった。ラウラは不思議(ふしぎ)そうな表情で何事(なにごと)か考え込んだ後、ぱっと顔を輝かせた。その後()げられた言葉は、完全にアメイシャの理解を()えていた。
『そっか。他人(ひと)に言われたからって、自分でもダメだと思い込んですぐに欠点(あつか)いしちゃうのって、良くないよね。もしかしたらその中に、思ってもみなかったスッゴイ長所に()ける“何か”があるかもしれないのに』
 その時アメイシャは、自分の言った台詞(セリフ)を思いもよらなかった方向へ曲解(きょっかい)されたことよりも、ラウラのその言葉の内容の方にすっかり気を取られていた。
『何を言っているのだ、君は。他人(ひと)からけなされたことが長所に()けるだと?そんなこと、あるものか』
『え?あるものかも何も、普通(ふつう)にあることだよね?アヒルの子としてはみにくくて、周りから馬鹿(ばか)にされてばかりだったヒナが、大きくなったら他のヒナたちよりずっと美しい白鳥(はくちょう)になった、みたいなこと』
 間髪(かんぱつ)()れずにあっさりとそう返され、アメイシャは絶句(ぜっく)した。すぐには言い返す言葉も見つからず、アメイシャは、今の今までただの馬鹿(ばか)だと思っていた相手の顔をまじまじと凝視(ぎょうし)することしかできなかった。
(この子は、もしかしたら……我々(われわれ)とは全く(ちが)次元(じげん)物事(ものごと)()ているのかもしれない)
 ただ(おさな)く考えなしなだけだと思っていたレグナースが、アメイシャにはその時、得体(えたい)の知れない()(もの)のように見えた。
 その時からアメイシャは、(ひそ)かにラウラのことを(おそ)れていた。だが、そんな(おそ)れを(いだ)いていることすら(みと)めたくなくて、アメイシャは徹底的(てっていてき)にラウラを(こば)み、ことあるごとにわざと傷つけるような言葉ばかりぶつけてきた……つもりだった。
(なのに君は、私の悪意(あくい)にさえ気づかない。出会った(ころ)と変わらぬまま、こうして私に手を()()べて……)
 差し()べられた手のひらを見つめたまま、アメイシャは覚悟(かくご)を決めたように深く()め息をついた。出会って以来、何度も何度も(こば)んできたその手のひらに、アメイシャは初めて自らの意思(いし)()れる。想像していた以上に小さく、(たよ)りなく、けれどひどくあたたかな手のひらだった。
(……ずっと知っていた。君が、私が決して持ちえぬ“何か”を持っていることを。だからこそ、私は君にだけは絶対(ぜったい)に負けたくなかった)
 負けたくないと、(かたく)ななまでに思うのは、心のどこかで『この子には負けるかもしれない』という思いがあったからだ。アメイシャは今まで必死に目を(そむ)けてきたその心に向き合い、受け入れる。
今更(いまさら)なことだな。私はもう、とっくの昔に君に負けていたのだ。それを(みと)めたくなくて、君という存在を拒絶(きょぜつ)してきただけのことだ)
 次の瞬間(しゅんかん)、つないだ手を(つた)って虹色の光がなだれ込んできた。その光に包まれて、アメイシャの身を(おお)っていた悪夢の黒い(あわ)(あら)い流されるように消えていく。そうして悪夢が消え()った後、アメイシャの姿はそれまでと全く(ちが)うものに変わっていた。
 黒い泡のドレスは金銀の星のラメを()りばめた夜空(よぞら)の色のドレスに、そして足には透明(とうめい)革靴(かわぐつ)、耳にはフクシアの耳飾(みみかざ)り、頭上(ずじょう)には涙珠宝冠(るいしゅほうかん)。それはアメイシャが身につけるはずだった、夢見の娘の衣裳(いしょう)だった。
「……“夢見の娘になったアメイシャ・アメシス”か」
 アメイシャは(おのれ)の姿を見下(みお)ろし、小さく(つぶや)く。それは悪夢に()()まれる直前にラウラがアメイシャにかけた夢術だった。
「なぜ、私にこの夢術(むじゅつ)をかけた?」
 それが単なる(あわ)れみによる(ほどこ)しなどでないことは(すで)に知っている。だがそうでなければ何なのか、ラウラの真意(しんい)がどうにもつかめず、アメイシャは問いかけた。
「え?だって、運命とか他人の都合(つごう)とか、そんな自分ではどうにもならないことで夢が失われるなんて、他人事(ひとごと)だとしてもやっぱり(ゆる)せないと思ったから。元々、夢見の娘が一人じゃなきゃいけないなんてルールはないはずだし、レグナースじゃなくなったって夢見の力を失うわけじゃないんだもん。(みんな)でなっちゃえばいいんじゃないのかなって思ったんだよね」
 ラウラはあっさりととんでもないことを言い(はな)つ。
「それに、そもそも(みんな)それぞれ夢術の個性(こせい)得意(とくい)分野(ぶんや)(ちが)うんだもん。無理に取捨選択(しゅしゃせんたく)することばっかり考えるんじゃなくて、全部を上手(うま)く活かせる方法を考えてみてもいいんじゃないかな。この世に万能(ばんのう)な人なんていないから、ひとりだけじゃ()りない部分がきっとあるはずだし、それを(みんな)(おぎな)い合っていけば、今までに(だれ)(つむ)げなかったようなすごい夢が紡げるかもしれないでしょ?それこそ、夢追いの祭のフィナーレにふさわしいって思うんだけどな」
 あまりにもラウラらしい言葉に、アメイシャは一瞬沈黙(ちんもく)した後、思わず下を向いて()きだしていた。あまりにも(めずら)しいその笑いに、(ぎゃく)にラウラの方がきょとんとした顔になる。
「……まったく君は本当に、常識(じょうしき)(とら)われないにもほどがあるな」
「え?え?何、それ。私、何かヘンなこと言ったかな?」
 ラウラはなぜ笑われているのか分かっていないというようにうろたえる。アメイシャはそんなラウラから顔を(そむ)け、なおも笑い続けた。その(ほほ)を涙が一滴(ひとしずく)、そっと流れ落ちる。
「本当に……そんなだから私は、君が『(きら)い』なんだ」
 いつも()(かえ)してきた言葉を、アメイシャはラウラに聞こえないように小さく()げる。だがその声音(こわね)は言葉の内容とはうらはらに、ひどく優しくあたたかい(ひび)きをしていた。
 
 
「えっと……一体、何がどうなってそうなったの?」
 アメイシャの手を引き(もど)ってきたラウラを、キルシェが疑問符(ぎもんふ)だらけの顔で(むか)える。
「うん。だから、メイシャちゃんを悪夢から取り(もど)したんだよ」
「それは分かってるけど、あんた一体何したのよ?(みんな)があんなに苦戦(くせん)してる悪夢をあんな(ふう)に消しちゃうなんて」
「うん、だからね、悪夢を消すにはそれに負けないくらい素敵(すてき)な“夢”を(つむ)げばいいってことだよ。不安には安心を、絶望(ぜつぼう)には希望(きぼう)を、ストレスには(いや)しを(あた)えれば消えるでしょう?だから悪夢には“夢”をぶつければいいんだよ」
 言いながらラウラはアメイシャとつないだままの手をキルシェとアプリコットの方へ()し出す。
「キルシェちゃんとアプリちゃんも手伝(てつだ)って。この島の全ての悪夢を夢で上書(うわが)きするには、私とメイシャちゃんだけじゃ()りないから。一緒(いっしょ)に夢見の娘になって夢追いの祭のフィナーレをやり直そう」
 (うなず)いて手を(かさ)ねようとし、キルシェはふと引っかかりを(おぼ)えて動きを止めた。
「『一緒(いっしょ)に夢見の娘になって』……ってあんた、まさか私とアプリまで夢見の娘にするつもり!?」
「うん。だって私とメイシャちゃんだけじゃ不公平(ふこうへい)だし」
「そういう問題(もんだい)じゃないでしょ!って言うか、夢術に協力(きょうりょく)するだけならわざわざ夢見の娘になる必要なんてないじゃない!」
「必要はないかもしれないけど、その方が楽しいと思うし。楽しい夢を(つむ)ぐには、まず夢の(つむ)()が思いきり楽しまないとダメだもん。キルシェちゃんはなりたくないの?夢見の娘に」
 キルシェはぐっと()まった後、くしゃくしゃと(かみ)をかき()(さけ)ぶ。
「ああ、もうっ!あんたには負けたわ。なりたいに決まってるでしょ。ずっと(あこが)れてたんだから!」
「アプリちゃんは?」
「なりたくないと言ったら(うそ)になるけど……いいのかしら?前代未聞(ぜんだいみもん)よ。夢見の娘が一度に四人なんて」
「良いではないか。前例(ぜんれい)などいつかは(やぶ)られるものだ」
 ためらうアプリコットにアメイシャが笑いかける。キルシェとアプリコットは顔を見合わせた。
「なんか……アメイシャ、感じが変わった?」
「ええ。何だか雰囲気(ふんいき)(やわ)らかくなったみたい」
「べつに何も変わってはいない。ただ、今まで(とら)われていた些細(ささい)なこだわりを一つ捨てただけだ」
 言ってアメイシャは(まぶ)しいものでも見るようにラウラを見つめる。ラウラは四人の手を無理矢理一つに(かさ)ね、()いた方の手で杖を()り上げた。
「じゃあ行くよ!夢より(つむ)ぎ出されよ!“夢見の娘になったキルシェ・キルク(およ)びアプリコット・アプフェル”!」
 (かさ)ねられた手を中心に七色の光を()びた風が巻き起こり、キルシェとアプリコットを一瞬で夢見の娘の姿に変える。
 四人の夢見の娘は右手を高く(かか)げ、四本の(しろがね)匙杖(しじょう)の先を(かさ)ね合わせた。杖の先で光が渦巻(うずま)く。キルシェ、アプリコット、アメイシャの杖の先から立ち(のぼ)る三本の光の(おび)を、ラウラの杖の先から出る七色の光が一つにまとめ、より合わせ、一本の巨大で(まばゆ)い光の(たば)に変え、高く高く(のぼ)っていく。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!」
 ラウラは微笑(ほほえ)みを浮かべて(さけぶ)ぶ。
「“ラピュータの浮かぶ天の海を泳ぐ、カンブリアの海洋生物(かいようせいぶつ)、そしてその中に(ただよ)う思い出の幻影(げんえい)”!」
 ラウラが(さけ)び終わるのと同時に四人の真上で光がはじけた。それは島全体を(おお)いつくすような巨大(きょだい)閃光(せんこう)だった。(だれ)もが(まぶ)しさに視力を(うば)われる。そして光が()(みな)が視力を取り(もど)したその時、誰もが言葉を失った。
 広場は一瞬(いっしゅん)のうちにすっかり変貌(へんぼう)()げていた。周囲を取り(かこ)んでいた悪夢たちは跡形(あとかた)もなく消え()り、それどころか地面(じめん)も会場も谷の建物(たてもの)も何もかもが消え、そこにはただ()てもなく広がる星の海が()った。彼方(かなた)には無数の(あか)りを(とも)したラピュータが浮かび、間近(まぢか)には三葉虫(さんようちゅう)やオバピニアなどカンブリア()を生きた海洋生物たちがゆったりと泳ぎ回る。そして……。
「うわ!これ、昔なくした超合金(ちょうごうきん)ロボじゃん!(なん)でこんな所に()いてんだよ!?」
「あれ!?あのアノマロカリスの背中(せなか)にいるの、俺のひいばあちゃんだ!(なん)で!?」
 リモンとカリュオンが不思議(ふしぎ)そうに何もない空間(くうかん)指差(ゆびさ)す。その周りで他の島民たちも、口々に何か(さわ)ぎながら(あた)りを見渡(みわた)している。
「これは……“思い出の走馬灯”の変化形(へんかけい)だね。その人の記憶(きおく)の中にある、今は()くした(なつ)かしく(いとお)しいものたちが幻影(げんえい)として(あた)りに投影(とうえい)されているんだ」
 ビルネは他の人間には見えない(なつ)かしい何かを見つめながら、そんな考察(こうさつ)を口にする。フィグは(あせ)(ぬぐ)い、その場にへたり込みながら口を(ひら)いた。
(あめ)の海に、ラピュータに、カンブリアの生物に、思い出……。つまりこれは選考会(せんこうかい)で四人が(つむ)いだ夢の『全部盛(ぜんぶも)り』ってことか。さすが、ラウラらしいと言えばラウラらしい発想(はっそう)だが……なんてカオスな光景なんだ」
 (あき)れたようなフィグの(となり)でビルネが笑う。
「でも、今まで見た夢追いの祭の中でも最高のフィナーレだと思うけどな。(みんな)、さっきまでの戦いも(わす)れて夢中だし」
「そうかぁ?」
 懐疑的(かいぎてき)な声とは対照的(たいしょうてき)に、フィグの目は優しく(ほそ)められていた。
 その視線の先には昔なくしたオモチャや絵本、(あこが)れていたヒーローや小さい(ころ)(つむ)いだことのある数々の夢晶体(むしょうたい)()じり、一緒(いっしょ)に時狂いの森を冒険(ぼうけん)した日の(おさな)いラウラとフィグの姿があった。
 幼いラウラとフィグは当時と変わらぬ無邪気(むじゃき)笑顔(えがお)で、周りのオモチャや夢晶体と(たわむ)れている。見つめていると、記憶(きおく)とともにその(ころ)の気持ちまでもが自然と(よみがえ)ってくる。夢を見ることに何の不安もなかった頃のこと、自分の力や可能性を何の疑問(ぎもん)もなく信じていられた(ころ)の気持ちが……。
 フィグはにじんでくる(なみだ)もそのままに、忘れかけていた(いと)しい思い出たちを()きることなく見つめ続けた。
 
 
 その夜、ラウラは夢の中でシスター・フレーズと再会した。
 彼女はラウラに(おのれ)の正体を()かし、島の悪夢が(いま)(おさ)まってはいないことと、この悪夢を終わらせるためにラウラが()たすべき真の役割を()げる。
 それは(あわ)恋心(こいごころ)(ささ)えに新しい夢へ向け(あゆ)み出そうとしていたラウラにとって、あまりにも重く、過酷(かこく)な役割だった。
 

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