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 第九章 悪夢の宴(中編)

 
 


 流星の谷はその大部分が、大小さまざまの湖沼(こしょう)()められている。見ていると()()まれそうなほどに深く()んだ青い湖沼の合間(あいま)に、まるでマスクメロン網目(あみめ)のように(こま)かく複雑な白亜(はくあ)の道が()びている。水辺(みずべ)に建つ夢術師(むじゅつし)たちの(とう)は、(あわ)(ただよ)白霧(はくむ)の中、まるで水の上に()かんでいるようにも見えた。
 (すで)に日は()れ、谷の上空には星くずを集めたようにちらちらと発光する、ヴェールのような(うす)い雲がかかっていた。そこからは時折(ときおり)、谷の湖水(こすい)を目がけて星くずの雨が(こぼ)れ落ちる。それはシャラシャラと貝殻(かいがら)がこすれるような(かろ)やかな音を立てながら夜空を(すべ)り、きらきら輝いたまま水の底へと(しず)んでいく。

 
 夢見(ゆめみ)(むすめ)のパレードは谷の中央にある広場に辿(たど)()いていた。光る花で(かざ)り付けられた広場には、多くの島民が()めかけフィナーレの時を待っている。
 やがて広場の中心に、101匹の長靴(ながぐつ)()いた(ねこ)(したが)えたカボチャ(がた)の馬車が到着(とうちゃく)する。貴金属(ききんぞく)と宝石で造られた馬車の(とびら)が猫達の手で(うやうや)しく開かれると、夕闇色(ゆうやみいろ)のドレスに身を包んだラウラが、介添役(かいぞえやく)のキルシェとアプリコットに手を引かれて現れた。
 ラウラが馬車から()り立つと、広場に(ひか)えていた夢術師(むじゅつし)たちが一斉(いっせい)(つえ)()る。杖の先から(はな)たれたのは宙に浮かぶ(まぼろし)(あか)りだ。会場が一気に明るくなり、人々は歓声(かんせい)を上げた。祭の最後を()めくくる夢見の娘の夢術(むじゅつ)ショーの始まりだ。ラウラは舞台(ぶたい)の中央に進み出ると、緊張(きんちょう)した面持(おもも)ちで(しろがね)匙杖(しじょう)を振り上げ(くちびる)(ひら)いた。
「夢より(つむ)ぎ出されよ、思い出の……」
 しかしラウラは最後まで言葉を(つむ)ぐことができなかった。その目が一点へ向けられ、大きく見開かれる。異変(いへん)(さっ)しラウラの視線(しせん)を目で追った観客(かんきゃく)たちは次々に悲鳴(ひめい)を上げた。
 白く輝く幻の(あか)りに照らされるのは、黒く(よど)んだ不気味(ぶきみ)な夢晶体の()れ。広場はいつの間にか、黒い(あわ)をまとわりつかせた得体(えたい)の知れないモノたちに囲まれてしまっていた。
「身より()き出す黒い泡……。間違(まちが)いない。“悪夢(あくむ)”じゃ。やはり始まってしまったのじゃ」
 夢術師の一人が顔を(おお)(うめ)くように(つぶや)く。
(やつ)らの(ねら)いは夢見の娘だ!決して奴らを近づけさせてはならん!」
「観客の(みな)さん!あれに()れてはいけません!()げてください!」
 夢術師(むじゅつし)たちがヒステリックに(さわ)ぎだす中、キルシェとアプリコットはラウラを(かば)うように前に出て(しろがね)匙杖(しじょう)(かま)えた。
「あれが“悪夢(あくむ)”……。この目で見ることになるなんて……」
「何?アプリ、アレのこと知ってんの!?」
「シスター・アルメンドラに聞いたことがあるの。この島では数百年に一度、女神様の夢見の力が不安定になる時期に、ああして悪夢と呼ばれるモノが現れて、島の形を“(ゆが)めて”いくのだそうよ」
「“(ゆが)める”!? 何、ソレ。どういうこと!?」
 悪夢たちはじりじりとこちらに(せま)ってくる。その身から()えず()き上がり続ける黒い(あわ)が、宙に浮かぶ幻の(あか)りの一つに()れた。途端(とたん)(まばゆ)く輝いていた灯りは(あや)しく明滅(めいめつ)する鬼火(おにび)に姿を変えた。人々は再び悲鳴を上げ、少しでも悪夢から距離をとろうと後ずさる。
「……なるほど。アレに()れるとヤバイってわけね。でも()げろったって、四方を囲まれちゃってんのに、どこに()げろって言うのよ」
「戦って道を(ひら)く以外に方法は無いと思うわ。私の夢術でどこまでできるか分からないけど……」
「ちょっとアプリ、戦う前から弱気にならないでよ。(さいわ)いここは流星の谷。これだけ夢術の使い手がそろってるんだから、何とかなるでしょ」
 キルシェはわざと明るい声で笑う。だがその口元は(かく)しようもなく引きつっていた。

 
 キルシェや夢術師(むじゅつし)たちが悪夢との戦いを始める中、観客たちも必死に悪夢と格闘(かくとう)していた。夢術(むじゅつ)を使える者は(つえ)やその代わりになるものを振り、使えぬ者は夢鉱器械(むこうきかい)を使ったり物を投げつけたりして応戦(おうせん)する。その中にはパレードのフィナーレを見に来ていたフィグたちの姿もあった。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!……えっと、猟銃(りょうじゅう)!」
 カリュオンが(うで)を振り回すと、何も無かった虚空(こくう)から一丁(いっちょう)猟銃(りょうじゅう)が落ちてきた。カリュオンはすぐさまそれを(かた)(かか)え上げ、照準(しょうじゅん)を合わせる。だが(はな)たれた銃弾(じゅうだん)は悪夢の()れにかすりもせず、広場を(かざ)る花の一つに当たり、その花びらをはらりと散らした。
「おっ前、何でこの場面で何の変哲(へんてつ)もないただの猟銃(りょうじゅう)だよ?いつもながら変に現実的だな。夢術なんだからもっとスゲェ武器(つむ)げばいいだろ?」
「うるさい!だったらお前が(つむ)げよ!将来夢術師(むじゅつし)になるんだろ!?」
「もちろん(つむ)ぐさ!見てろよ!……夢より紡ぎ出されよ!“俺・デザインロボット第28号”その名も“ドリルンガー”!」
 リモンは背に()っていたシャベルを、まるで大剣を()り下ろすかのように大袈裟(おおげさ)に振り下ろした。(あた)りの空気が白銀にきらめき、直後目の前に全長3mほどのロボットが出現した。両腕(りょううで)にドリルを装着(そうちゃく)したどこかアンバランスなそのロボットは、前へならえのような姿勢(しせい)で悪夢へ向け突進(とっしん)していく。
「おおっ、すげぇ。デザインは五歳児(ごさいじ)(なみ)だけど威力(いりょく)はありそうじゃん」
 カリュオンは思わず猟銃(りょうじゅう)を下ろしてロボットの行方(ゆくえ)を見守る。しかしロボットは徐々(じょじょ)にスピードを落としていき、やがて悪夢に到達(とうたつ)する前に止まってしまった。よく見てみると、その背には巨大なゼンマイが()さっており、それがギィギィ音を立てながらゆっくり止まろうとしている。
 カリュオンは思わず真顔(まがお)でリモンを()り返っていた。
「…………リモン、いろいろとツッコミたいことはあるが一つだけ()く。何でゼンマイ式にしたんだ」
「だってさ、ガソリンも電気も使わずに動くんだぜ。すっげぇエコじゃん!」
天然(てんねん)か!天然ボケなのか!?」
「……ちょっと二人とも、ふざけてないで真面目(まじめ)にやってくれないかな。このままだと本気でアーちゃん……アプリ様たちがピンチなんだけど」
 ビルネが物腰(ものごし)(おだ)やかなまま、その声音(こわね)だけを(かぎ)りなく低くして二人を(いさ)める。普段滅多(めった)(おこ)らない友人の静かな(いか)りを感じ取り、二人は一気に硬直(こうちょく)した。
「使いこなせない武器や相手に届かない兵器じゃ駄目(だめ)だ。確実に(やつ)らを仕留(しと)められるものじゃないと。……夢より(つむ)ぎ出されよ!伝説の弓の名手(めいしゅ)ウィリアム・テル”、“那須与一(なすのよいち)”!」
 ビルネが(さけ)ぶと白銀の光が(はじ)け、目の前に伝説の弓の名手(めいしゅ)が二人現れた。背中合わせに立ったウィリアム・テルと那須与一(なすのよいち)は、交互(こうご)に矢をつがえ、悪夢へ向け寸暇(すんか)も無く弓弦(ゆづる)(はじ)き続ける。ひゅふ、と風を切り放たれたその矢は、青闇(あおやみ)()まり始めた空になめらかな()(えが)き、確実に悪夢の一体一体を射抜(いぬ)いていく。
「なるほど、百発百中(ひゃっぱつひゃうちゅう)武器(ぶき)か」
 フィグはひとり(ごと)のように(つぶや)くと、カリュオンの方へ向き直った。
「おい、カリュオン。その猟銃(りょうじゅう)()せ」
「え?いいけど。お前そんなに(じゅう)腕前(うでまえ)あったっけ?」
腕前(うでまえ)なんてあろうがなかろうが100%当たるようにすればいいんだ。夢より(つむ)ぎ出されよ!歌劇(かげき)魔弾(まだん)射手(しゃしゅ)』より“猟魔(りょうま)ザミエルより(あた)えられし魔弾(まだん)”!」
 フィグは人差(ひとさ)し指で(くう)()く。するとその軌跡(きせき)をなぞるように宙に白銀の光の帯が現れ、やがてそれが七つの光の(たま)凝縮(ぎょうしゅく)されていった。フィグが両手を差し出すと、光の珠は七つの弾丸(だんがん)に変わり、その手のひらの上にぽとぽとと(ころ)がった。
 フィグはすぐさまその弾丸を猟銃(りょうじゅう)()め、引鉄(ひきがね)を引く。白銀の光を()りまきながら飛び出した弾丸(だんがん)は、通常ならあり()ないような軌道(きどう)(えが)き、何体もの悪夢を同時に()()いた。
「フィグ!分かってると思うけど、七発目は絶対に()っちゃ駄目(だめ)だよ!」
「分かってるさ。歌劇(かげき)と同じ間違(まちが)いは(おか)さない。最後に射手(しゃしゅ)を裏切る七発目さえ()たなければ、あとの六発は無敵の魔弾(まだん)なんだからな」
 フィグは悪夢から目を()らさぬまま答えを返し、猟銃(りょうじゅう)に二発目の弾丸を装填(そうてん)した。

 
「へ〜っ、島の男子(だんし)たちも意外にやるじゃん。なるほど、飛び道具ね。いい選択(せんたく)だわ」
 遠目(とおめ)からフィグたちの活躍(かつやく)を見ていたキルシェは感心したように小さく(うなず)く。アプリコットはウィリアム・テルと那須与一(なすのよいち)後方(こうほう)にたたずむビルネに目を向け、そっと頭を下げた。
「ルネ君……。ありがとう」
「よっし!私たちも負けてらんないね!行っくぞ!」
 気合(きあい)を入れるように()け声を上げてから、キルシェは(しろがね)匙杖(しじょう)を大きく()り上げた。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!“(なまり)兵隊(へいたい)”!」
 キルシェは振り下ろした匙杖(しじょう)先端(せんたん)を悪夢に向け、()()ぐに右腕(みぎうで)()ばす。直後、匙杖(しじょう)の先端から銃声(じゅうせい)のような音と白銀の光が連続して(はな)たれた。マシンガンのような(いきお)いで次々と匙杖(しじょう)の先から飛び出してきたのは、銃剣(じゅうけん)を手にした鉛製(なまりせい)の兵隊人形の()れだった。
 鉛の兵隊たちはけたたましい突撃(とつげき)ラッパの音とともに鉛弾(なまりだま)のように宙を()け、悪夢に()()んで行く。その勢いに悪夢の群れは一瞬(いっしゅん)(ひる)んで後ずさったかのように見えた。
 だがその時、その動きに反するように一体の悪夢が()れの中から進み出た。それは身から吹き出す黒い泡を、まるで(そう)レースの黒いロングドレスのように全身にまとった一人の女性だった。彼女は黒くまだらに変色(へんしょく)した匙型(さじがた)(つえ)を振り上げ、静かに(くちびる)(ひら)く。
悪夢(あくむ)より(つむ)ぎ出されよ、“地獄(じごく)業火(ごうか)”」
 振り下ろされた杖の先から、炎の(うず)()き出し兵隊人形たちを呑み込んでいく。炎はそれだけに(とど)まらず、(あた)りを火の海に変えながら、夢術師や島民たちが悪夢に対抗(たいこう)するために紡ぎ出した夢晶体(むしょうたい)のことごとくを焼き()くしていく。彼女は業火(ごうか)に消えていく夢晶体の()れを冷たく見つめ、薄く笑った。禍々(まがまが)しい炎に()らされたその姿を見て、ラウラたちの顔色が変わる。
「あれは……まさか、メイシャちゃん……?」
「え……?どうしてアメイシャが?まさか、(すで)に悪夢に()()まれてしまっていたと言うの?」
(うそ)でしょ?アメイシャが(てき)に回るなんて……。百年に一人の天才相手にどう戦えってのよ!?」
 業火(ごうか)は夢術師たちの(つむ)いだ大量の水属性の夢晶体(むしょうたい)によりすぐに消し止められたが、アメイシャは全く動じることなく再び杖を振り上げる。
「悪夢より紡ぎ出されよ、十六小地獄より“剣林地獄”」
 振り下ろされた杖の先で地面が()れ、剣の葉を持つ銀色の木が次々と顔を出す。それは人々を串刺(くしざ)しにしようとするように、一斉(いっせい)(たお)れかかってきた。
「夢より紡ぎ出されよ!故事成語(こじせいご)矛盾(むじゅん)』より“何ものも()き通せぬ(たて)”!」
 アプリコットが(さけ)んで杖を振ると、巨大な(たて)が空中に出現し、()りかかる剣の葉をことごとく(はじ)き返した。
「あっぶなかったー……。サンキュー、アプリ」
「礼を言われるようなことじゃないわ。でも、どうしましょう。アメイシャが相手では生半可(なまはんか)攻撃(こうげき)は通用しないわ」
「て言うか、下手(へた)なものを(つむ)いだんじゃ、逆にあっちに取り込まれて向こうの戦力にされちゃうみたいなんだけど」
 キルシェは強張(こわば)った顔で周囲を指差(ゆびさ)す。広場では相変わらず、夢術師や島民たちがそれぞれ必死に悪夢と戦っていた。だがどんな夢術も夢鉱器械も、悪夢の群れに決定的なダメージを(あた)えてはいない。それどころか攻撃(こうげき)に失敗した夢晶体(むしょうたい)たちが次々と悪夢に()()まれ、変質し、逆にこちらに向かって来るという皮肉(ひにく)な結果を生み出していた。
「悪夢を一網打尽(いちもうだじん)にできるような武器とか、何かないかな。えっと……」
「神話級の武器や(わざ)だったらどうかしら。特に神々の使う雷撃系(らいげきけい)の技は威力(いりょく)が強いと思うのだけれど」
「でもソレ、下手(へた)すると広場ごと吹き飛んだりしない?」
 悪夢へ向け油断(ゆだん)なく杖を(かま)えながら、キルシェとアプリコットは相談を続ける。ラウラはずっと()(だま)ったまま、困惑(こんわく)した表情でそれを聞いていた。その目はじっと何かを(さぐ)るように悪夢の()れに向けられている。
 悪夢の群れは一心(いっしん)にラウラを見つめ、もがくようにその手を()ばしていた。それは夢見の娘を(がい)そうとしていると言うよりも、まるで必死に助けを求めているようにも見えた。ラウラはその視線をゆっくりとアメイシャへ(うつ)す。アメイシャは変わらず酷薄(こくはく)()みを浮かべ、悪夢(あくむ)のような夢晶体(むしょうたい)(つむ)ぎ続けている。だがその(まなじり)一瞬(いっしゅん)きらりと光るものを見た気がして、ラウラは息を()んだ。
「よし!じゃあ、とりあえずその路線(ろせん)でやってみようか。神話系はあんたの方が(くわ)しいから(まか)せるわ、アプリ!」
「ええ。じゃあ行くわ。夢より(つむ)ぎ出されよ“インドラの……”」
 相談を終え、武器となる夢晶体(むしょうたい)を紡ぎだそうと(しろがね)匙杖(しじょう)を振り上げるアプリコットを、ラウラはあわてて止める。
「アプリちゃん、待って。メイシャちゃんたちを攻撃(こうげき)しないで。メイシャちゃんも、悪夢(あのこ)たちも、(みんな)()いてる。本当は私たちに(すく)いを求めてるんじゃないかな」
「は?何言ってんのよラウラ。攻撃しないとこっちが(あぶ)ないでしょ」
「アメイシャのことを心配しているの?大丈夫(だいじょうぶ)よ。アメイシャの命に危険が(およ)ばないよう、細心(さいしん)の注意は(はら)うわ。でも気絶(きぜつ)させるくらいのことはしないと、こちらが(あぶ)ないの」
 不思議(ふしぎ)そうな顔を向けてくる二人に、ラウラは(はげ)しく首を横に振った。
(ちが)うよ!攻撃(こうげき)じゃダメなんだよ!攻撃されたからって攻撃し返しても、悪夢(あのこ)たちを増幅(ぞうふく)させるだけな気がする。それじゃいつまで()っても悪夢(あくむ)は終わらないよ」
「え?じゃあどうしろってのよ?このまま(だま)って悪夢に()みこまれろっての?」
 キルシェの言葉に、ラウラは再び首を横に()る。
「ねぇ、夢術って、夢を(つむ)ぐためにあるものでしょ?だったら攻撃じゃなくて、もっと(ちが)うやり方があるはずだよ。きっともっと優しい方法で、悪夢を消すことができるんじゃないかな」
 ラウラが静かに(うった)えたその時、ふいにその耳元を一陣(いちじん)の風が通り抜けた。
『――そう。“悪夢”に対し、どんな武器を()るったところで意味はありません。悪夢とは、人間(ヒト)の不安や絶望やストレスが顕在化(けんざいか)した、実体(じったい)の無いモノ。戦って打ち消せる(たぐい)のものではないのですから』
 風に乗って届いたその(ささや)きは、ひどく(なつ)かしい声をしていた。
「シスター……フレーズ……?」
 (ひらめ)くように思い出したその名を(おどろ)いたように(くちびる)に乗せ、ラウラは目を見開(みひら)く。
『考えなさい。(しん)なる夢見の娘、ラウラ・フラウラ。あなたになら分かるはずです。何が悪夢を打ち消すのかを。そして、(つむ)ぎなさい。あなたにしか(つむ)げぬ夢を――』
 ふいに(だま)()んだラウラを、キルシェとアプリコットが怪訝(けげん)な表情で見つめる。そんな二人の前で、ラウラはぱっと顔を上げた。その(ひとみ)は、()()もなく悪夢の()れに囲まれた絶望的(ぜつぼうてき)状況(じょうきょう)になどまるで似つかわしくなく、明るく(かがや)いていた。
「分かった!悪夢を打ち消すもの!」
 ラウラは(しろがね)匙杖(しじょう)(にぎ)りしめ、悪夢の()れの前へと()け出していく。
「ちょっと!何してんのラウラ!(あぶ)ないよ!」
 キルシェの制止(せいし)()り切り、ラウラは笑って答えた。
大丈夫(だいじょうぶ)(あぶ)なくないよ!だって、どうすればいいのかもう全部分かったから!」
 
 
 ドレスの(すそ)を片手でつまみ、無理矢理(むりやり)サイズを調節(ちょうせつ)したハイヒールでぎこちなく走り出したラウラは、何度も(ころ)びそうによろけながら、何とかアメイシャの正面までたどり()いた。
「メイシャちゃん!」
 大声で名を呼ぶと、アメイシャはその顔から()みを消した。
「ラウラ・フラウラ……。私から夢見の娘を(うば)ったレグナース……!」
 怨嗟(えんさ)の表情にその顔を(ゆが)め、アメイシャが(つえ)()り上げる。
「消えろ!私の代用品の夢見の娘!悪夢より(つむ)ぎ出されよ“砲煙弾雨(ほうえんだんう)”!」
 杖の先端(せんたん)から黒い(あわ)が吹き出す。それはきな(くさ)(けむり)を上げながら上空に渦巻(うずま)いたかと思うと、次の瞬間(しゅんかん)無数(むすう)銃弾(じゅうだん)の雨となりラウラの頭上(ずじょう)()(そそ)いだ。
「ラウラーっ!」
 見守っていた者達が蒼白(そうはく)になって悲鳴を上げる中、ラウラは声を上げることも恐怖(きょうふ)に顔色を変えることもなく、ただ(しろがね)匙杖(しじょう)頭上(ずじょう)高くふりかざした。
「夢より(つむ)ぎ出されよ、“花の雨”!」
 その言葉に呼応(こおう)するように、ラウラの身を(つらぬ)こうとしていた銃弾の雨が白銀の光となって(はじ)ける。花火のような(まばゆ)閃光(せんこう)の後に現れたのは、まるで月光に()らされた花のように(あわ)く光を宿(やど)した色とりどりの花びらだった。
 まともな(あか)りも無いに(ひと)しい薄暗(うすくら)がりの中、それ自体がほのかな光を(はな)ちながら()(そそ)ぐ花の雨は、まるで優しい灯火(ともしび)のように(あた)りを(やわ)らかく照らしていく。ひらひらと()()る花あかりの中を、ラウラはゆっくりとアメイシャに(あゆ)()っていった。そして、いつもと変わらぬ()みで手を()()べる。
「メイシャちゃん、悪夢から()け出して。(もど)って来てよ」
 だがアメイシャは(はげ)しく首を()り、その手を(こば)んだ。そして(おのれ)の姿を見せつけるかのように黒泡(くろあわ)のドレスの(すそ)をつまみ、(かわ)いた笑い声を上げながら一回転してみせた。
「見ろ、この姿を。私はもうこんなにも(みにく)(ゆが)んでしまった。もう(みな)と同じ場所へ(もど)ることなどできはしないのだ」
 言いながら、アメイシャはなおも笑う。それはまるで自分自身を嘲笑(あざわら)っているかのような、ひどく悲しい声音(こわね)だった。
「そんなことない!(あきら)めてしまわないで!ひとりで悪夢を()(はら)えないなら、私が手伝(てつだ)うから!」
 言ってラウラは(しろがね)匙杖(しじょう)()り上げ、(さけ)んだ。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!――………………!」
 その声は周囲で(いま)()り広げられている悪夢との戦闘(せんとう)の音に()き消され、ほとんどの人間は耳にすることができなかった。だがアメイシャの耳にだけはしっかりと(とど)いていた。
「……何を…………」
 アメイシャは目を見開(みひら)き、困惑(こんわく)した顔でラウラを見つめる。
 ラウラの匙杖(しじょう)からふわり、とリボンのように長くゆらめく幾筋(いくすじ)もの白銀の光が(はな)たれた。それは風にそよぐようにふわふわと()れながらアメイシャへと向かっていく。
「何をする気だ……!?」
 白銀の光のリボンは、まるで布を()り上げていくように(たが)いに(から)まり合い、ゆるやかにアメイシャの身を包み込んでいく。その光に()れるたびに、悪夢の黒い(あわ)はぷちぷちと音を立てて(はじ)け、空気に()けていく。まるで暗闇(くらやみ)に光が(とも)っていくように、アメイシャのドレスは黒から白銀へと()()えられようとしていた。…………だが……。
「……やめろ!そんな夢、私は(のぞ)んでいない!君に(あわ)れみをかけられるなど御免(ごめん)だ!私の悪夢を()みにじるな!」
 アメイシャはその光に(あらが)うように(おのれ)の身を()(いだ)き、悲鳴のように(さけ)んだ。(ふる)えるその両腕(りょううで)から再び黒い(あわ)()き出し、白銀の光のドレスを再び(やみ)の色に()めていく。
「そんな……ラウラの夢見の力が押されている!?」
 アプリコットが動揺(どうよう)に声を(ふる)わせる。
「やっぱり百年に一人の天才なだけあるってことか……。でもこれって、マズくない?」
 (あせ)ったようにそう言いながらも、どうすることもできず立ち()くすしかないキルシェの目の前で、黒い泡はアメイシャのドレスのみならず、ラウラの杖から伸びる白銀のリボンをも浸蝕(しんしょく)し始めていた。初めのうちはじわじわとゆるやかだったその速度は(すさ)まじい(いきお)いで上がっていき、ついには奔流(ほんりゅう)となってラウラめがけて逆流(ぎゃくりゅう)していく。
「ラウラっ!()げてっ!」
 声を上げるが()に合わず、悪夢の黒い(あわ)はすぐにラウラの手元にまで到達(とうたつ)した。そしてホースの先から泥水(どろみず)()き出すかのように、どっと杖の先端(せんたん)から(あふ)れ出す。ラウラは悲鳴を上げる()もなく黒い(あわ)(かたまり)()()まれた。
「ラウラっ!!」
 そこかしこから悲痛(ひつう)(さけ)びと絶望の(うめ)きがこぼれる。アメイシャはすっかり(やみ)の色に(もど)ったドレスの(すそ)をなびかせ、勝ち(ほこ)ったように笑った。
 
 

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