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タイトルロゴ「夢見の島の眠れる女神」

 第七章 ラウラの(つむ)ぐ夢

 
 

「うわー、可哀想(かわいそう)だな、お前の幼なじみ。よりにもよってアメイシャ様の後に演技だなんて。こりゃ、(みんな)まともに見やしないぞ」
 (いま)だアメイシャの夢術(むじゅつ)()いしれざわめく人ごみの中、リモンが本気の同情を込めて言う。その声にフィグは(かた)い表情でうなずいた。
 夢見(ゆめみ)(むすめ)選考会は島の少年たちにとっても重大な関心事だ。フィグたち四人も当然のように選考会の見物に(おとず)れていた。だが、演技スペースがよく見える前方の場所は(すで)に他の島民たちで()まっており、フィグたちは人と人の合間(あいま)から必死にのぞき見ることしかできなずにいた。フィグがここにいることに、おそらくラウラはまだ気づいていない。
 フィグはもどかしい思いで歯噛(はが)みした。せめて顔が見える位置にいれば、これから演技の場に出るラウラにエールを送ることができるのに、こんな後ろの場所ではそれすらもできない。
「ダメ元で大声で応援(おうえん)してみる?こんなにザワザワした中じゃ向こうに聞えないかもしれないけど」
 ビルネの提案(ていあん)にフィグはうなずきかけ、だがすぐに首を横に()った。人垣(ひとがき)隙間(すきま)から一瞬、演技の場へ()けてくるラウラの顔が見えたからだ。
 フィグは強張(こわば)っていた表情を(ゆる)め、ラウラにつられたように(かす)かな()みを浮かべた。
「……大丈夫(だいじょうぶ)だ。あいつは緊張(きんちょう)動揺(どうよう)もしていない。心から選考会を楽しんでる」


 ラウラは演技スペースの中央にちょこんと立つと、まだざわめきの(おさ)まらない周囲へ向け、ぺこりとお辞儀(じぎ)をした。
「じゃあ、行きます!」
 大きく()り上げた杖の先端(せんたん)を、夢雪の()もった地に()()してラウラは(さけ)ぶ。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!“思い出の走馬灯(そうまとう)”!」
(……“思い出の走馬灯(そうまとう)”?)
 聞き慣れないその言葉に、フィグも、周りの人垣(ひとがき)もさすがに雑談(ざつだん)()一斉(いっせい)にラウラに目を向けた。静まりかえった会場の中、だが、地に積もった夢雪にはっきりとした変化は何も起こらない。
(何だ……?一体、何をやろうとしてるんだ、ラウラ……)
 人々が疑問(ぎもん)の声にざわめきだす中、ふと一人の島民がラウラの足下を指差した。
「……何だ、あれ。(けむり)か?」
 演技スペースに振り()かれた一面の夢雪から、水蒸気(すいじょうき)のように(あわ)くほのかな白銀の光が立ち(のぼ)ってくる。それは徐々(じょじょ)にその密度を()し、(きり)のように(あた)りに(ただよ)い始めた。同時に、不思議な“音”が(ひび)き始める。
 それは、降り積もった雪が一粒一粒(ひとつぶひとつぶ)()けていくような、あるいはソーダ(すい)(あわ)(はじ)けるような、風が木の葉を()らすような、誰かのひそかな(ささや)きのような、ささやかな、しかし確かに鼓膜(こまく)をくすぐる音。初めは途切(とぎ)途切(とぎ)れに聞こえてきたそれは、(かさ)なり合い、(ひび)き合い、一つのメロディーを()()していく。
(これは……“思い出のアルバム”か?あの日、ラウラと花歌(はなうた)(その)()いた……)
 呆然(ぼうぜん)と立ち()くすフィグの耳に、聞き()れた声が吹き込まれる。
『思イ出シテ、イツカノ思イ出ヲ』
「ラウラ……!?」
 間近(まぢか)(ささや)かれたように聞こえたそれに思わず振り返るが、そこにラウラはいない。いつの間にか周りは白霧(はくむ)に包まれていた。景色(けしき)すらぼやけていて、よく見えない。そしてそこには変わらず、不思議なメロディーと声が聞こえていた。
『思イ出シテ。タクサンノ記憶(キオク)ノ中ニ(ウズ)モレタ、アナタノ一番大切ナ思イ出ヲ』
 まるで子守唄(こもりうた)のようなその声とメロディーに、フィグは眠りに(さそ)われるように意識を(うす)れさせていく。
『思イ出シテ。忘レテイナイツモリデ忘レテシマッタ、ソノ思イ出ノ細部(サイブ)マデヲ……』
 夢現(ゆめうつつ)のぼんやりとした意識の中、フィグは、何かが自分の目の前でからからと音を立てて(まわ)っているのを感じた。それは光を(とも)しながら回転し、その光で(きり)の中にいくつもの光景を映し出しては消していく。
 それは、アルバムの写真のように切り取られた、フィグの記憶(きおく)の一場面一場面だった。まるで、死の間際(まぎわ)に現れると伝えられているもののように、今まで生きてきた人生の記憶が走馬灯(そうまとう)のように次々と映し出されては消えていく。めまぐるしく(うつ)り変わる景色の中で、ふいにある一つの光景がフィグの心に引っかかった。
「あ……っ」
 通り過ぎていくそれを、引きとめようとするように思わず手を()ばす。その手が目の前で(まわ)り続ける(あか)りに()れた瞬間(しゅんかん)、フィグは白銀の光に包まれた。


 気がつくと、フィグは丘に座っていた。空は暗く、頭上(ずじょう)では銀の星々が神秘的な音を(かな)でながら、ゆっくりと(まわ)っている。忘れもしない、星めぐりの丘の風景だ。
 フィグは呆然(ぼうぜん)とした。自分が直前まで選考会の会場にいたことは(おぼ)えている。これがラウラの(つむ)いだ“夢”なのだろうということも理解できる。だが、今フィグの目に映るこの風景は、夢とはとても思えないほど、何もかもがあまりにもリアルだった。草の(にお)いも、空から(こぼ)れる星の()も、(ほお)に当たる風も、そして……
「この島の外、かぁ。一体、何があるのかなぁ?」
 (かたわ)らで幼い声が問いかけてくる。フィグの(となり)にはあの日と同じ、六才になったばかりのラウラがいた。ラウラは眠気(ねむけ)に半分負けたような声で、それでも一生懸命(いっしょうけんめい)に言葉を続ける。
「どこまで行っても()てがないなら、きっと、いつまでだって、見たことのない何かを探して冒険(ぼうけん)ができるね。ずっと、ずーっと、終わりのない、果てしない冒険が……。ねぇ、フィグ。約束だよ。私を置いていかないでね。私も、フィグとずーっと、いっしょに……」
 そこまで言って、ラウラはついに眠気に負けた。フィグの右肩(みぎかた)にぽすりと重みが(くわ)わる。そして肩越(かたご)しに小さな寝息(ねいき)とぬくもりが(つた)わってきた。
 何もかもがあの日と同じ……、もう二度と戻れないと思っていた夜の風景。当たり前に二人一緒にいられた最後の夜の風景だ。フィグは、ふいに胸がいっぱいになった。
(ラウラ……)
 右肩にもたれかかって眠る小さなラウラに()れたくて、手を()ばそうとする。だが、その手は指一本ですら、フィグの意のままにならなかった。そしてあの日と同じように、ラウラの体温を感じながら、フィグのまぶたも次第(しだい)にとろんと重くなってきた。このまま眠って、その先ふたりがどうなってしまうのか、もうフィグは知っている。
(……(いや)だ。ここでまた眠ってしまうのは、もう嫌だ……)
 運命に(あらが)うように、フィグは必死に指を動かそうとする。眠るラウラの肩に触れて、()り起こして、失われてしまったあの日の続きを見ようとでもするように……。
(いや)だ……。俺は、もっと、お前と一緒(いっしょ)に………………)


 眠りからふいに()めたように、フィグはハッと目を見開(みひら)いた。そこはもう星めぐりの丘ではなく、元通りの小女神宮の前庭。(あた)りにたちこめていた白い霧も、聴こえていたメロディーも、全てが消えてなくなっていた。まるで、初めからそこに無かった夢幻(ゆめまぼろし)のように。
 会場は不思議に静まりかえっていた。歓声(かんせい)拍手(はくしゅ)も起こらない。ある者は(なみだ)を流し、ある者は(ほお)に幸せそうな笑みをたたえ、(みな)(みな)(われ)を忘れたようにその場に立ち()くしていた。
 やがて、一人、また一人と夢から()めたように周囲を見回し、(せき)を切ったように(しゃべ)りだす。
「おい!すごいぞフィグ!俺、生まれて初めて夢術が成功(せいこう)した日のこと、思い出した!」
 リモンが興奮(こうふん)した顔でフィグの肩をつかみ、(はげ)しく()さぶる。
「僕はアーちゃ……アプリ様の小さい(ころ)のこと、思い出した……」
 ビルネがまだ半分夢の中にいるような表情でぼんやりと(つぶや)く。
「俺なんて、死んだひいばあちゃんに会ったぜ。俺のこと、すごく可愛(かわい)がってくれてたんだ」
 カリュオンが目尻(めじり)の涙を(ぬぐ)いながら言う。
「そうか。(みんな)、それぞれ見たものは違うのか」
(それぞれの人間にとっての、一番大切な思い出……。それを思い出させるための夢術だったんだな。ラウラ、お前、なんてものを(つむ)ぎ出したんだ。こんな夢術、前代未聞(ぜんだいみもん)だ。しかも、俺にさえ何をどうやったのか、夢術の構成(こうせい)がさっぱり分からないなんて……)
 その時フィグの胸の内に()いたのは、紡ぎ出された光景に対する(なつ)かしさや感動よりも、得体(えたい)の知れない(おそ)れの方が(まさ)っていた。今までよく知っていたはずのラウラが、急に見知らぬ、とてつもなく大きな存在になってしまったかのような感覚を(おぼ)え、フィグは知らず身震(みぶる)いする。
 やがて、さざ波のように少しずつ、拍手(はくしゅ)が巻き起こっていった。それはすぐに会場全体に広がり、嵐のように鳴り(ひび)く。拍手を送られたラウラは再びぺこりとお辞儀(じぎ)をし、()れたような表情で自分の席へと(もど)っていった。


「ラウラ!あんたってスゴイわ!一体どうやってあの夢を(つむ)いだの!?あの思い出はあんたの全然知らないことのはずなのに」
 元の席に戻ったラウラを、キルシェがきつく()きしめて出迎(でむか)える。
「えっとね、あれは私が(つむ)いだわけじゃないよ。元々(みんな)記憶(きおく)の中にあったものを引き出しただけ。人間って本当は、すごくはっきり昔のことを(おぼ)えてるものだって、私は思うんだ。でも後からどんどん新しい記憶が積み(かさ)なっていって、()もれてしまって、見えなくなるの。だから夢の中とか死の間際(まぎわ)とか、そういう特殊(とくしゅ)状況(じょうきょう)でないと思い出せないんだよ。だから私は皆がそれを思い出せすお手伝いをしようと思って、あの夢を紡いだの。たくさんの記憶の中から、一番大切な記憶を見つけられるように、そしてそれが胸に(きざ)んだそのままの形で頭の中に再生されるように、そういう(いの)りを()めて夢を紡ぎ出しただけだよ」
「ううん、あんたはスゴイわよ。あんな夢、あんたにしか紡げない。(だれ)にも真似(まね)できない。アメイシャだってそう思ってる」
 そう言ってキルシェが指差した先では、いつもクールで表情を(くず)さないはずのアメイシャが(めずら)しく動揺(どうよう)したようにうろうろと視線を彷徨(さまよ)わせ、心なしか青ざめた顔で(くちびる)()みしめていた。ラウラはそこで初めて(おのれ)状況(じょうきょう)に思い(いた)る。
「え……。私、もしかして……優勝できちゃうかも?」
「『かも』じゃないわよ。もう、あんたで決まりでしょ!全く、あれだけの夢を(つむ)いでおきながら相変(あいか)わらずボケボケしてるんだから」
「え?うわわわわっ、ど、どうしよう、キルシェちゃんっ」
「とりあえず落ち着きなさい。まぁ、何にせよ、発表は審査会議の後なんだから、その間に優勝者スピーチの内容でも考えてなさいよ。どうせあんたのことだから、今まで何も考えてないでしょ?」
「うぅう……、そういうの、苦手だよ。『うれしいです、ありがとうございます』だけじゃダメかなぁ?」
「ダメに決まってるでしょ。そんな一言二言(ひとことふたこと)だけで帰られちゃ、(みんな)唖然(あぜん)としちゃうってば」


 夢見の娘選考会は、小女神宮の人間と一般の島民が()れ合える数少ない機会(きかい)だ。小女神宮の奥で審査会議が行われている間にも、外では模擬店(もぎてん)(げき)・ダンスの披露(ひろう)などの交流行事が行われ、そこは普段(ふだん)とは(ちが)う、ちょっとしたお祭のような雰囲気(ふんいき)になる。
 見物に(おとず)れた島民たちは、そんな雰囲気を楽しみながらも、話題(わだい)は先刻行われた選考会のことでもちきりだった。とは言え話題の中心は、例年のように誰が夢見の娘に選ばれるかということではない。ほとんどの人間が目を輝かせて語るのは、ラウラの夢術によって自分がどんな思い出を(よみがえ)らせたのかということだった。
 やがて数時間ほどの時を()て、審査会議の終わりが告げられる。その合図(あいず)は審査官の一人が夢術(むじゅつ)で打ち上げる煙火(えんか)だった。それは青空のキャンバスにするすると(ふで)を走らせるように、(くれない)(けむり)華麗(かれい)薔薇(ばら)の花を(えが)いていく。爆音(ばくおん)の代わりに(ひび)(わた)るのは重厚(じゅうこう)なオーケストラのファンファーレだ。人々はその合図を()に、再び選考会場へと集まっていく。
「それではこれより夢見の娘選考会の選考結果を発表(いた)します」
 尼僧長(にそうちょう)・アルメンドラの(おごそ)かな声に、ざわついていた会場が一気に静まりかえる。
 観客たちの視線は尼僧長(にそうちょう)の前に(なら)ぶ四人のレグナースのうちの一人――ラウラ・フラウラに熱く(そそ)がれていた。結果発表を待つまでもなく、(すで)に夢見の娘は決定しているとでもいうように。
 キルシェは自分のことのような(ほこ)らしげな顔でラウラを見つめ、アメイシャは表情を(かく)すようにうつむき、アプリコットはそんなアメイシャを気遣(きづか)わしげに見ている。そしてウラウラは、緊張(きんちょう)のあまりガチガチに固まり、(ぼう)のようにその場に立っていた。
厳正(げんせい)なる審査の結果、今年度の“夢見の娘”に選ばれたのは……」
 アルメンドラは勿体(もったい)をつけるようなわずかの()を置き、今までと変わらぬ声音(こわね)でそれを()げた。
「アメイシャ・アメシス」
 呼ばれたその名に、人々の間からどよめきが起こる。信じられないことを聞いたとでも言うような、納得(なっとく)できないとでも言いたげな声だった。
 夢見の娘候補者(こうほしゃ)たち四人も信じられないという表情でアルメンドラを見つめている。名を呼ばれたアメイシャ当人でさえそうだった。アルメンドラは大きく咳払(せきばら)いをし、言葉を続ける。
「レグナース・ラウラ・フラウラの夢術は、確かに素晴(すば)らしいアイディアを持った、今までにないものでした。しかし、その夢術はラウラ・フラウラ自身の力のみで(つむ)がれたものではなく、あくまで(みな)の思い出を引き出す“補助的役割(ほじょてきやくわり)”を()たしたに過ぎません。それを、(みずか)らの力のみを(もち)いて夢術を紡いだ他の候補者(こうほしゃ)と同等に(くら)べることはできない、というのが審査官の皆さんの意見でした。よってその分を差し引き、夢晶体の量・(しつ)範囲(はんい)細部(さいぶ)までの描写力(びょうしゃりょく)構成力(こうせいりょく)発想力(はっそうりょく)などにより総合的(そうごうてき)に判断した結果、優勝者はアメイシャ・アメシスと決定したのです」
 初めこそ(おどろ)いた表情で固まっていたアメイシャだったが、その顔には次第(しだい)にいつもの皮肉(ひにく)()みが(もど)っていった。アメイシャは(いま)呆然(ぼうぜん)と立ち()くすラウラにくすりと笑って(ささや)きかける。
「『策士(さくし)(さく)(おぼ)れる』とはこういうことだな。君の夢術は確かに人々を感動させた。だが実際のところ、君は形となるものは何一つ紡ぎ出していない。審査官たちはそのことを冷静に見定(みさだ)めていたようだ。残念だったな」
「アメイシャ、打ちひしがれている人にそんなことを言ってはダメ」
 アプリコットがたしなめる。だがアメイシャは(あやま)りもせず、優雅(ゆうが)足取(あしど)りで優勝者の席へと歩いていく。
「以下の順位は次の通りです。二位ラウラ・フラウラ、三位アプリコット・アプフェル、四位キルシェ・キルク……」
 順位の発表もアメイシャによるスピーチもラウラの耳には全く入っていないようだった。ラウラはただ(こお)りついたように前を向いたままその場に立ち続け、全てが終わるなり、()げるようにその場から走り出した。キルシェもアプリコットも()ける言葉が見つからず、ただ(だま)ってそれを見送ることしかできなかった。



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