ファンタジーレベル
 ルビ(ふりがな)
Safari /Google Chrome版はこちら
(その他ページ崩れを起こす方もこちらをクリック
 
タイトルロゴ「夢見の島の眠れる女神」

 第六章 夢見(ゆめみ)(むすめ)"選考会(せんこうかい)

 
 

「今年は四人……か」
 円卓に座した老人の一人が(おごそ)かに(つぶや)く。小女神宮(しょうめがみきゅう)の一室。居並(いなら)ぶ六人の審査官は皆、難しい顔で視線を()わし合う。
左様(さよう)。四人じゃ。しかも四人全員が14才。“朱鷺(とき)色の未年(ひつじどし)”生まれのレグナースは全員残っていることになる」
「有り()ないことではないとは言え、同じ年の生まれのレグナースが一人も()けずにこうしてそろうとは(めずら)しい。150年前の例の年(・・・)も、結局最後は一人に(しぼ)られたものの、直前まで同じ年の生まれのレグナースが全員残っていたとありますが……。やはり、どこか(かさ)なるものがありますね」
(みな)も薄々気づいていたであろう。島の夢雪の総量は年々減少している。報告によれば“千年雪(せんねんゆき)(おか)”でさえ積雪量(せきせつりょう)が減ってきているそうだ。150年前の記録と同じ……。これまでの例から考えれば、そろそろ“あれ”が来てもおかしくない(ころ)だ」
「しかし、早過ぎやせんか?間隔(かんかく)があまりにも短過ぎる。前回と前々回との間には300年近くの年月があったというのに、今回はたったの150年ですぞ?」
「それだけ“汚染(おせん)”のスピードが速まっているということでしょう。“あちら側”での人口の増加、文明の進化はともに150年前とは比べものにならぬ速度で進んでいるのですから」
 しばし重い沈黙(ちんもく)()りる。(だれ)もがその先を口にしたくない、この場から動きたくないとでも言うように(かた)い表情で(くちびる)を引き結んでいた。だが、そんな彼らに行動を(うなが)すかのように、部屋の外から(かね)()(ひび)く。
「……時間、ですか」
「ああ、行かねばならん。我々の手で選ばねばならぬのだ。この島の……いや、世界の命運を(にぎ)る者、真の(・・)夢見の娘を……」
「女神ならざる我々には荷の重過ぎる選択(せんたく)ではありませんか?『真の夢見の娘は女神の御手(みて)により選ばれる』と、伝承(でんしょう)にはあります。選考会を延期(えんき)して様子(ようす)を見てみては……」
「伝承が真実とは限らん。確かに前回は選考会を待たずして他の全てのレグナースがいなくなり(・・・・・)、ただ一人のレグナースだけが残されたと記録にあるが、それが女神の作為(さくい)によるものなのかどうかは誰にも分からぬのだからな。ぐずぐずと選択を延期していては先に事が起きてしまうかも知れん。そうなってからあわてて選ぶより、時間のあるうちにじっくり見極(みきわ)めて選んだ方が良かろう。人選(じんせん)(あやま)れば、また次回までの間隔(かんかく)が短くなってしまうのだからな」
「いずれにせよ、我々はただ、四人の中で最も夢見(ゆめみ)の力の強い者を選べばいい。それだけです。女神もそれを望まれているはずですから」
 六人は再び視線を()わし合い、大きく(うなず)くと椅子(いす)から立ち上がった。
「では、(まい)りましょうか。夢見の娘候補者(こうほしゃ)たちが待っています」
 そうして彼らは夢見の娘選考会の行われる小女神宮(しょうめがみきゅう)前庭(まえにわ)へ向け歩き出した。この先、島に(おとず)れる運命をこの時点で理解していたのは、まだ彼らと眠れる夢見(ゆめみ)女神(めがみ)だけだった。


 前庭には(すで)に数多くの見物人(けんぶつにん)が集まっていた。尼僧長(にそうちょう)アルメンドラは六人の審査官が席に()いたのを確認し、(おごそ)かに告げる。
「では、これより夢見の娘選考会を始めます」
 周囲から歓声(かんせい)が巻き起こった。夢見の娘選考会は一年のうちで唯一、一般の島民が小女神宮(しょうめがみきゅう)へ上がることが(ゆる)される日なのだ。会場は老若(ろうにゃく)男女(なんにょ)がひしめき合い、まるで祭のように盛り上がっている。
「まずは夢見島(ゆめみじま)守護神(しゅごしん)であらせられる夢見の女神“フレア”に感謝(かんしゃ)(いの)りを(ささ)げましょう」
 並んでいたシスターたちが一歩前へ進み、祈りの歌を歌い始める。その歌声が(ひび)く中、ラウラはひそりと(となり)のキルシェに(ささや)きかけた。
「ね、キルシェちゃん。フレアって、夢見の女神様のお名前だよね?」
「そうよ。あんた、まさか知らなかったわけじゃないでしょう?」
「ううん、知ってたけど……。でも何か変だなって思って。女神様の本当のお名前って、こういう(あらた)まった場でしか呼ばれないでしょう?普段(ふだん)は“夢見の女神”っていう呼び名ばっかり使われて。何でなんだろうなって思って」
「そりゃ、神聖(しんせい)なお名前だからみだりに使わないようにしてるんでしょ。……って言うか余裕(よゆう)あるね、あんた。これから選考会が始まるっていうのに」
 こそこそおしゃべりしているうちに、いつの間にか歌は()み、アルメンドラが(けわ)しい目つきで二人を見ていた。
「ラウラ・フラウラ!キルシェ・キルク!」
 (きび)しい声で名を呼ばれ、二人はびくりとして姿勢(しせい)を正す。だがアルメンドラは咳払(せきばら)いを一つしただけで説教(せっきょう)めいたことは口にせず、続けて他の二人の名を呼んだ。
「アメイシャ・アメシス、アプリコット・アプフェル。全員、前へ出なさい」
 夢見の娘候補者の四人が前に集まると、アルメンドラの横からシスターが一人、上部に穴のあいた白い木箱を(かか)げ持って進み出てきた。
「これより夢術(むじゅつ)演技(えんぎ)の順番を決めます。誕生日(たんじょうび)の早い者からくじを引いていきなさい」
「うわー……来た来た。夢見の女神様、どうかお願いします。一番最初と一番最後にだけはしないで下さい」
 四人の中で一番早く誕生日を(むか)えるキルシェが、口の中でぶつぶつと女神への祈りを(とな)えながら木箱に手を入れた。そして中から番号の書かれた(ふだ)を引き出し……そこに書かれた数字を確認(かくにん)した途端(とたん)にうなだれた。
「終わった……。よりにもよって一番最初なんて……。一番最初は点が(から)くなるものって相場(そうば)が決まってるのよね」
「ドンマイ、キルシェちゃん。考えようによってはいい順番だよ。あのメイシャちゃんの前に演技を見てもらえるんだから」
 二人がこそこそ会話を()わしている間にアメイシャが3番の(ふだ)を引いた。残る順番は2番目か一番最後。四人の中で一番誕生日の遅いラウラは、自分では札を選ぶことができない。そして、アプリコットが箱から札を取り出した。その手に(かか)げられた数字に、ラウラとキルシェは息を()む。
「アプリが2番ってことは……。ドンマイ、ラウラ。よりにもよって一番最後、しかもアメイシャの直後に演技だなんて……。私よりよっぽどツイてないよね」
 キルシェが心からの同情を()めて(なぐさ)める。だがラウラはしばらく何かを考えるように遠くを見つめた後、首を横に()った。
「ううん、むしろ燃える状況(じょうきょう)かも。皆、メイシャちゃんの優勝ばかりを予想して、誰も私に注目なんてしてない。だからこそ、そこですごい夢術(むじゅつ)を見せられたら皆をあっと言わせられると思うんだ。それにそういう逆転優勝みたいなの、すっごくドラマチックでおもしろいって思わない?」


 開会のセレモニーからほんの少しの準備時間をはさみ、すぐに一人目の演技(えんぎ)が始まる。
 白線で区切られた四畳半(よじょうはん)ほどの広さの演技スペースには地面いっぱいに夢雪がまかれ、その外には夢雪がすぐに()けてしまわぬよう、冷風を送り込む夢鉱器械(むこうきかい)が4台設置されていた。
 キルシェは緊張(きんちょう)した面持(おもも)ちで(しろがね)匙杖(しじょう)(かま)える。(つえ)()についたさくらんぼ(がた)珠飾(たまかざ)りが、()れてきらりと光を(はじ)いた。
「夢より(つむ)ぎ出されよ!『ガリヴァー旅行記』より、空飛ぶ島“ラピュータ”!」
 前庭中に(ひび)くように大きな声で(とな)えると、キルシェは(つえ)先端(せんたん)で演技スペースいっぱいに円を描いていった。一周し終えて円を()じると、キルシェはそのまま(あと)ずさり、演技スペースを(はな)れる。直後、夢雪の()もった地面が白銀(はくぎん)に輝き、そこから真円形(しんえんけい)の何かが轟音(ごうおん)とともにせり上がってきた。
 それは、側面(そくめん)幾重(いくえ)もの回廊(かいろう)に囲まれた島だった。回廊と回廊とは階段でつながれ、頂上(ちょうじょう)には宮殿(きゅうでん)らしき建物も見える。船医(せんい)ガリヴァーが遭難(そうなん)(すえ)辿(たど)()いた人工の浮島(うきしま)・ラピュータだ。
 島は完全に地表(ちひょう)に現れると、今度は空へ向けて上昇(じょうしょう)していく。それと同時にその姿はされにどんどん巨大化していき、ついには小女神宮(しょうめがみきゅう)全体を(おお)うほどになった。観客たちは首を真上へ()げ、空を指差(ゆびさ)しながら楽しげにざわめく。
「ほう、なんとダイナミックな……。それほど注目しておりませんでしたが、このレグナースもなかなかやりますな」
 審査官の一人が空を(あお)いだまま感嘆(かんたん)の声を()らした。
「うむ。しかし観客への()(かた)という点ではやや疑問(ぎもん)を感じますな。こうして上空に浮かんでいますと、我々から見えるのはラピュータの底部(ていぶ)のみ。ガリヴァー旅行記のラピュータでは島の底部はただの(たい)らな硬石(アダマント)ですから、見ていて何の面白味(おもしろみ)もない。そもそも真上にあるものをこうして見上げるというのは少し(こく)な見せ方ですな。首も(こし)も痛くて(かな)いません」
 この言葉にキルシェの(まゆ)がぴくりと上がる。
「……聞こえてるってば。勝手なこと言ってくれちゃって。あれだけのイメージを(つむ)ぎ出すのにどれだけこっちが苦労してると思ってんのよ。ま、いいわ。派手(はで)にすればいいんでしょ、派手にすればっ」
 キルシェは審査官たちに聞こえないよう小さく(どく)づいて、再度(つえ)()り上げた。
「まだまだ終わりじゃないよ!夢よ、()()のままに動け!ラピュータ、アクロバット飛行!」
 キルシェが杖を()り回すと、上空に浮かぶ島は元の大きさに(ちぢ)まり、まるで見えない糸で(あやつ)られているかのように杖の動きに合わせて動き出した。
 さながら航空ショーのアクロバット飛行のようにくるりと上下に一回転したかと思えば、一気にスピードを上げ、観客たちや審査官の前を縦横(じゅうおう)無尽(むじん)に飛び回る。観客たちは興奮(こうふん)し、口々に喝采(かっさい)した。だが、杖を()るキルシェの顔にはだんだんと(あせ)がにじみ、(かく)しきれぬ疲労(ひろう)の色が浮かんでくる。
「ラピュータ、最後に(みんな)の前を一周して」
 キルシェはふらつきながらも、かろうじてそれだけを告げる。島はその全貌(ぜんぼう)(みな)の目に見せつけるようにゆっくりと前庭を一周すると、光の(つぶ)となり一瞬(いっしゅん)で消え去った。


 演技を終えたキルシェはふらふらした足取(あしど)りでラウラの横まで来ると、へなへなとその場にへたり()んだ。
「あー……(つか)れた。脳みそを極限(きょくげん)まで使って疲れたわ」
「お(つか)れさま。すごかったよ、キルシェちゃん」
「あー……うん。でも、あれじゃダメだろうなー。いろいろイラッと来たもんだから、後半ヤケになってやり過ぎちゃったし。オリジナルのイメージぶち(こわ)しって言われて評価下げられそう……」
 キルシェは体育座りした(ひざ)に顔を()めてぼやく。その声には『もうダメだ』とでも言いたげな絶望の色がにじんでいた。
「でも、お客さんたちはすっごく喜んでたよ。すっごく迫力(はくりょく)あったし」
 特に(なぐさ)めを意識したわけではなく、ただありのままに感じたことをラウラは告げる。その声にキルシェは顔を上げ、力無く微笑(ほほえ)んだ。
「うん、そうだよね。私なりのベストは()くしたもんね。まぁ、私が全力を出したところで優勝はできないだろうけどさ。それでも、観客の(みんな)()かせられただけでも(たい)したものだよね?」
「キルシェちゃん……」
 ラウラが何か言葉をかけようとしたその時、アプリコットが(しろがね)匙杖(しじょう)を手に演技の場に進み出てきた。二人は(くちびる)の動きを止め、そちらに注目する。
 アプリコットは静かに(しろがね)匙杖(しじょう)を振り上げ、普段(ふだん)(おだ)やかな口調(くちょう)(とな)え始めた。
「夢より(つむ)ぎ出されよ。『万葉集(まんようしゅう)』より……」
 アプリコットの匙杖(しじょう)の先に、夢雪がひとひら、ひとひら、まるで磁石(じしゃく)のように引き寄せられていく。匙杖(しじょう)の周りに浮き上がりふわふわと(ただよ)うそれは、まるで霞草(かすみそう)花束(はなたば)のようだった。
「“(あめ)の海に雲の波立ち……”」
 アプリコットは歌うように続きを唱える。すると宙に浮かんでいた夢雪の()れが、爆発(ばくはつ)のように白銀の光を(はな)ちながら四方(しほう)へと(はじ)け飛んだ。閃光(せんこう)に目を(くら)まされた観客たちは、直後、思いもしなかった光景に戸惑(とまど)うようなざわめきを発した。
「え?(なん)か私、目がおかしくなっちゃった?暗くて、周りが見づらいんだけど……」
「私も。(なん)か目が変。今って昼間のはずよね?」
 ラウラとキルシェも不思議(ふしぎ)そうに目をこすって(あた)りを見渡(みわた)す。
 先ほどまで青空が広がっていたはずの小女神宮(しょうめがみきゅう)の前庭は、今や暗闇(くらやみ)に包まれていた。空が急に(くも)ったわけでもなく、日が(しず)んだわけでもない。だがなぜか選考会の会場周辺だけが、そこだけ黒いセロハンで(おお)ったかのように明度(めいど)を落していた。
 そして暗闇に包まれた地上には、水も無いのに波が立つ。それはただの波ではなく、ほのかに光るそれは、(こま)かな(あわ)(かたまり)のような雲だった。それがふわりふわりと形を変えながら、浜辺(はまべ)に打ち寄せる波のように、(やみ)の中を寄せては返していく。
 アプリコットは(なお)も言葉を続け、匙杖を(ふね)る。
「“……月の(ふね)星の林に()(かく)る見ゆ”」
 観客たちのざわめきは一瞬(いっしゅん)にして歓声(かんせい)に変わった。アプリコットの言葉が終わった途端(とたん)、皆の目の前に星の光を集めて(つく)ったかのような林が出現したのだ。
「きれーい……。クリスマスのイルミネーションみたい……」
 ラウラがうっとりと(つぶや)く。
 銀の星の林の合間(あいま)には金色に輝く三日月型(みかづきがた)のゴンドラが見え(かく)れしている。舟の()()月人壮士(つきひとおとこ)だ。
「ほぅ……。倭歌(わか)世界観(せかいかん)をそのまま具現化(ぐげんか)するとは、なかなかのアイディアですな」
 審査官の一人がため息()じりに(つぶや)く。
「先ほどのレグナースの夢術(むじゅつ)はダイナミックでしたが、こちらは詩的で美しい。今年注目すべきはアメイシャ・アメシス一人と思っておりましたが、他の候補者(こうほしゃ)たちもなかなかに見応(みごた)えがありますな」
「しかし、派手(はで)さと個性、具現化の(しつ)という点ではやや(なん)がありますかね。色数も少ないですし、夢晶体(むしょうたい)もやや平面的(へいめんてき)です。星の林も街頭(がいとう)のイルミネーションとさほど変わらない。夢術でなくてもアミューズメントパークのアトラクションなどで(つく)れてしまえそうな光景です」
 審査官たちはあくまでも冷静で手厳(てきび)しい。その声が聞こえているのかいないのか、アプリコットは(おだ)やかな表情のまま静かにお辞儀(じぎ)をし、演技を終了(しゅうりょう)させた。


 アプリコットが演技の場から立ち去ると、運営管理者席から幾人(いくにん)ものシスターたちが夢雪入りの(びん)や地面をならす道具を手に持ち出て来る。演技の場が整ってくるにつれ、観客たちの間で次の演技を待ちきれないとでも言うような奇妙(きみょう)興奮(こうふん)とざわめきが広がっていく。(みな)、次に演技するのが今年の夢見(ゆめみ)(むすめ)の最有力候補者であると知っているのだ。
 観客たちの重い視線をものともせず、アメイシャは泰然(たいぜん)と演技の場に進み出る。プレッシャーなど(はな)から感じていないかのような、人々の期待も歓声(かんせい)も当然のことと受け止めているかのような、そんな態度(たいど)に見えた。
 演技スペースの中央に静かに立ち、アメイシャは観客たちを見渡した。その顔にはうっすらと()みが浮かんでいる。それは余裕(よゆう)の笑みなどという生易(なまやさ)しいものではなかった。
 それは、女王の笑みだ。(おのれ)の敗北など微塵(みじん)も考えていない、それどころか、己の夢術を見るために集まってくれた客人たちに対し、感謝(かんしゃ)し、もてなそうとするかのような“主催者(しゅさいしゃ)”の笑みだった。
 アメイシャは(まい)でも()うかのように優雅(ゆうが)匙杖(しじょう)()り上げ、高らかに告げた。
「夢より(つむ)ぎ出されよ。“カンブリア紀の海”」
 そのままアメイシャは杖をそっと地に()れさせる。途端(とたん)、杖の先から(はげ)しい風が巻き起こる。それは地まかれた夢雪を巻き上げ、荒れ(くる)雪嵐(ゆきあらし)のように(はげ)しく吹きすさぶ。全てが白銀の色に(おお)()くされ、ホワイトアウトする。
 そして一瞬後に視界が晴れた時、世界は一変(いっぺん)していた。
「これは……!?」
「すごい。私たち、海の中にいるよ」
 そこかしこから驚嘆(きょうたん)の声が上がる。
 それまで芝生(しばふ)()きつめられていたはずの前庭は、白亜(はくあ)の砂が()()もった海の底へと変わっていた。天を見上げると(はる)か高くに、光のゆらめく水面(すいめん)が見える。そして人々の頭上(ずじょう)や真横を、今まで見たこともないような奇怪(きかい)な姿をした海洋生物がゆったりと泳ぎ回っている。
 それは恐竜(きょうりゅう)が生まれるよりも前の時代、海の中で生命が爆発的に進化した(ころ)の、誰も見たことがない過去の地球の光景だった。
「やーっ、ちょっと、何あれっ。何かキモチワルイ形してるっ。虫っぽいよ、目がいっぱいだよ、ウネウネしてるよっ。怖いぃーっ」
 悲鳴(ひめい)を上げて(うで)にしがみつくラウラに(かま)いもせず、キルシェは呆然(ぼうぜん)と口を(ひら)く。
見渡(みわた)(かぎ)り全部海の底だわ。()てが見えない。それになんてリアルなの……。私なんかとはスケールもレベルも全然(ちが)う……。やっぱりアメイシャは天才なんだ……」
 興奮(こうふん)して(さわ)ぎだす観客たちの横で、審査官たちも同様(どうよう)に興奮に(ほほ)()めていた。
素晴(すば)らしい!アノマロカリスオバピニアレアンコイリアピカイアハルキゲニアまで!カンブリア紀を生きた古代生物たちが細部に(いた)るまでリアルに再現されている!」
伝承(でんしょう)でも書物(しょもつ)でもなく“時代”を題材(だいざい)に選んだというのもまた、個性的で良いですな。確かに、“今ではない時代、今では存在しない生物たち”もまた、人々の夢見るもの。ロマンを感じます」
「これだけ広範囲(こうはんい)に渡って夢を(つむ)ぎ、かつあれだけ多くの夢晶体(むしょうたい)の生物を同時に動かしている。技術力も(もう)(ぶん)ありません。やはり他の候補者とはレベルが(ちが)いますな」
 審査官たちは先ほどまでの冷静な態度(たいど)(うそ)のようにはしゃいでいた。泳ぎ回る古代生物たちを一体一体指差(ゆびさ)し、名前を呼んではその詳細(しょうさい)な情報を仲間に説明する。その様子はまるで昆虫採集(こんちゅうさいしゅう)に来た少年のようだった。
 規定時間ギリギリまでたっぷりと古生代(こせいだい)の海の風景を見せつけて、アメイシャはようやく杖を下ろした。海の風景が()らいで(うす)れ、元の小女神宮(しょうめがみきゅう)の風景に(もど)る。だが観客たちも審査官たちもまだ興奮(こうふん)()めやらぬ表情で口々にアメイシャの演技について感想を()わし合っている。それはアメイシャが立ち去り、シスターたちが次の演技者のための準備を始めても変わらなかった。
 キルシェは気遣(きづか)わしげにラウラを見やり、力づけるようにその(かた)(たた)く。
「ラウラ、大丈夫(だいじょうぶ)?やりづらいかもしれないけど、平常心(へいじょうしん)よ!あんたはあんたの夢を(つむ)げばいいんだから」
 ラウラはきょとんとした顔でキルシェを見つめた後、にっこり笑って(うなず)いた。
「うん。大丈夫だよ。私の夢術(むじゅつ)はメイシャちゃんや(みんな)のほど派手(はで)じゃないけど、でも、絶対に皆の心に(とど)くって信じてるから!」
 そのままラウラは(しろがね)匙杖(しじょう)を手に元気良く()けだしていく。その顔に不安の色など一切(いっさい)ない。
 そこには、早く自分の夢を(つむ)ぎ出したくてたまらないとでも言いたげな、ワクワクした表情しか浮かんではいなかった。

 前の章へ戻るもくじへ戻る次のページへ進みます。
inserted by FC2 system