第1話: :第5章 
 ヘルプ・マーク ビジュアルガイド(ページの見方)
ファンタジーレベルファンタジーレベルを強にします
ルビ(ふりがな)

第五章 星のめぐる夜の夢

 ラウラは夢を見ていた。
 まだ幼い小さな手に手を引かれて、暗い森の中を歩いていく夢。
 つながれた手と手、伝わってくるほのかなぬくもりだけが世界の全てのような気がしていた、遠い日の夢。
 これから自分たちがどこへ向かおうとしているのか、ラウラは知っていた。
「大丈夫。ぜったい見つからないさ。“時狂いの森”には誰も入っちゃいけないんだからな」
 まだ7才のフィグがこちらを振り返り、不敵に笑う。
 小さなカバンと服のポケットに思いつく限りの荷物を詰め込んで、禁じられた森の中を、奥へ奥へと進んでいく。
 それはラウラが6才になってすぐの、ある夜の夢。小女神宮に上がるのが嫌でフィグと一緒に逃げ出した、ラウラにとって一番大切な夜の記憶だ。
「わっ……、フィグっ、見て見てっ。空気が水玉模様になってる!」
 幼いラウラの指さす先には、星明かりを受けて銀色にきらめく小さな水の珠が、いくつも宙に留まっていた。
「ああ、それは雨だよ。森の魔力で雨の落ちる速度がものすごくゆっくりになってるんだ。だから雨粒が空中で止まっているように見えるんだよ」
「すごいすごい!こんなのよそじゃ見たことないよ!」
「これだけじゃない。もっとすごいものがいっぱいあるはずだぞ。この森では百年に一度しか咲かないはずの花が十日で咲くし、セミは七日を過ぎても生き続ける。水面にできた波紋は半日経っても消えないし、流れ星だって蛇が地を這うようにゆっくり空を流れるんだ。この森は時間の流れが他とは違うからな」
 それは曲がりなりにも駆け落ちであったはずなのに、二人に悲壮感はなかった。
 胸の中にあったのはこの思いきった冒険に対する期待と興奮だけで、この先どうしたら良いのかという不安など欠片も湧いてはこなかった。この頃はただ無邪気に、二人でいれば何でもできると信じていられたのだ。
「俺、この森に来たらぜったいに行きたいと思ってた場所が一つあるんだ」
「え?どこどこ?どんな場所?」
「行ってからのお楽しみ。でもラウラもぜったい気に入るよ」
 フィグはポケットから小瓶を取り出し、中に詰まっていた夢雪を自分の手のひらの上に振りかけた。
「夢より紡ぎ出されよ!魔法のコンパス!」
 現れたのは星くずのようなラメが散りばめられた青透明の硝子板に細い銀の針がついた方位磁石。ラウラは興味津々の顔でフィグの手の中のそれを覗き込む。
「コンパスよ、“星めぐりの丘”の場所を示せ!」
 フィグが叫ぶと、コンパスの針は硝子の円盤の上をぐるぐると回り、やがてぴたりとある方角を指し示した。
「行こう。こっちだ」
 フィグに手を引かれるまま歩き出し、ラウラはその時覚えた感情を素直に口に出した。
「フィグはすごいね。何でもできて」
 フィグは驚いたように振り返り、ほんの少し頬を染めて沈黙した後、くすぐったそうに笑った。
「ラウラだってできるさ。この島では夢見る力さえあれば何でもできるんだからな」
「夢見る力……」
「ラウラにもあるだろう?夢が」
 問われてラウラはしばし黙る。この頃のラウラには具体的な将来の夢などまだ無かった。あったのは、この時芽生え始めた、ひどく漠然とした感情だけ。
(夢なんて、まだよく分かんない。でも、もし願いが叶うなら……この手を離したくないな。この先もフィグとずっといっしょにいたいよ。……フィグは、どう思ってるのかな。ラウラとずっといっしょにいたいって、思ってくれてるかな?)
「フィグは?フィグの夢は何?」
 つないだ手に力を込め、フィグの想いを確かめるように問う。その問いに彼は一瞬ひどく遠い目をした。その目にラウラはわけもなく不安を覚えた。
「丘に着いたらゆっくり話すよ」
 その宣言通り、フィグは丘に着くまでその話は一切口にしなかった。


 コンパスの針が指し示すまま森を進むラウラには、自分がもうどのくらい歩き続けているのか全く分からなかった。自分の中の時間感覚では、もう丸一日以上歩き続けている気がするのに、一向に夜は明けないし、空腹も感じない。
「着いた。きっとここだ。星めぐりの丘」
 平坦だった地面がふいにゆるやかに傾斜しだした。木々の数はまばらになり、風の中に微かに潮の匂いが混ざる。
 二人は無意識のうちに早足になっていた。最後には走るようにして丘の頂上まで一気に駆け上る。
「うわぁ……」
 ラウラは感嘆の声を発したきり、しばらくは喋ることも忘れてしまった。
 丘の頂は広く開けた草原だった。遮るもののない空には満天の星が輝いている。
「ラウラ、座るか寝っころがるかしろよ。立って見てると目を回すぞ」
 既に草の上に足を伸ばしていたフィグが自分の隣をぽんと叩く。ラウラは言われるままフィグの横に腰を下ろした。そうして改めて空を仰ぐ。
「そっか……。だから“星めぐりの丘”なんだね」
 ラウラは感心したように呟いた。
 丘の上から見る星空は、北極星を中心にまるでディスクオルゴールのようにゆったりと、しかし通常ならばあり得ない速度で回転していた。
 そして星がめぐるたびに、天空から微かに音が零れてくる。水琴窟に水が滴るような涼やかなその音色は、廻る星々が弾き出す音だ。音楽にもなっていないような不思議な、だがどこか懐かしいような気のするその音の連なりに、二人はしばし聴き入った。
「俺の夢は何かって、さっき訊いたよな」
 めぐる星の音の合間、フィグが口を開く。
「俺さ、この島の()の世界へ行ってみたいんだ」
「えっ!?」
 ラウラはフィグが何を言ったのか、一瞬理解できなかった。フィグが口にしたのはそれほどに突飛なことだったからだ。
「この島には“果て”がある。船に乗って海へ出ても、これ以上はどうしたって進めないっていう境界があるんだ。でもこの島の外の世界にはそれがない。どこまで行っても果てがない。世界をぐるりと一周できるし、星空へだって飛んでいけるんだ」
「でも、外の世界って、この島みたいに夢粒子から夢を結晶化したりできないんでしょ?」
「それは分からないさ。ただ単に向こうの人間が夢の紡ぎ方を知らないだけかもしれない。夢見島の住人が向こうへ渡ったことは一度もないんだからな。それに向こうの世界の人間は夢術が使えるわけでもないのに、自分の頭の中だけで、その世界に実際には存在しないような動物や景色やいろんな物語を生み出してるんだぞ。この島で夢術を山ほど見て育った俺たちより、よほどすごいと思わないか?」
 ラウラには何も言えなかった。ただ、目を輝かせて夢を語るフィグの顔を黙って見つめることしかできなかった。
「いつか俺はこの島の外に出るんだ。ギリシャ神話やケルトの妖精や神仙の生まれた国を自分の足で巡ってみたい。そしてそんな“夢”たちがどうやって生み出されたのかを知りたい。いつかきっと、ここよりもっと広い“果てのない”世界を旅するんだ!」
(……やだよ。私を置いて知らない世界に行っちゃやだ。置いていかないで。ずっといっしょにいたいのに……)
 ラウラの不安に揺れる瞳に気づかず、フィグは笑顔で話を続ける。
「だから、その時はいっしょに来いよな、ラウラ」
「え……?」
「『え?』じゃないだろ。俺を一人ぼっちにする気かよ。いっしょに来るよな?な?」
「行く!」
 ラウラは何も考えずに即答していた。
「行く!ぜったい行く!だからいっしょに連れてって!」
「ああ、もちろん。だからお前もその時までに、もっと夢術を上達させておけよ。この島の外に出るには、きっとものすごい夢見の力が必要になるんだからな」
(そっか。この先もフィグといっしょにいるためには、今のままの私じゃダメなんだ。もっと力がないと。フィグみたいに何でもできるようにならないと。そうじゃなかったら、きっと置いていかれちゃう……)
 見上げた先には、眩しいほどのフィグの笑顔と、廻り続ける星空。ラウラはこの光景を、一生忘れないだろうと幼心に思った。


 翌朝、目が覚めると、いつの間にか頬が濡れていた。
 ラウラはネグリジェの袖でそれを拭い、見た夢を思い返してみる。
 結局あの後、星の音を聴いているうちにうとうとしてしまった二人は、丘の上で眠り込んでいるところを捜索隊の夢術師たちに発見され、家に連れ戻された。時間の狂う森で二人が一日半を過ごしている間に、森の外では二週間が経っていたらしく、二人は憔悴した両親に泣きつかれたり、こっぴどく叱られたりした。
「懐かしいな……」
 思い出し、思わずくすりと笑みを零す。
「どうしたの、ラウラ。朝からご機嫌そうね」
 同室のキルシェが、今洗顔をしてきたばかりという格好で部屋に入ってくる。
「うん、ちょっと懐かしい夢を見ちゃって。夢の中って、すごく鮮明に記憶が再現されるものなんだね。覚えてるつもりで忘れてたいろんなこと、全部思い出した……」
 そこまで言って、ラウラは自分で自分の言葉に驚いたように唇の動きを止めた。
「ん?どうしたの?ラウラ」
「……そっか。忘れてる思い出。美しいだけじゃない、思い入れの籠もった愛しい風景……。これが、答えになるかも知れない」
「え?あんた何言ってんの?」
「キルシェちゃん!私、ちょっと花歌の園まで行ってくる!」
 ラウラはがばっと起き上がり、脱いだ寝巻きをぽいぽいとベッドの上に放り出す。
「は !? あんた、朝食は !? 顔もまだ洗ってないでしょ !?」
「ダッシュで戻ってくるから大丈夫!今行っとかないと、せっかく浮かんだアイディアがしぼんじゃいそうなの!」
 適当な服に身を包み部屋の窓を全開にしたラウラは、小瓶に詰めた夢雪を銀の匙杖に振りかけ叫ぶ。
「夢より紡ぎ出されよ!ジェットエンジン搭載・耐火耐熱装備付空飛ぶホウキ!」
「ジェットエンジンって、あんたソレ、前に失敗してホウキ燃やしたやつじゃ……」
「だから今回は燃えない装備にしたの!じゃあキルシェちゃん、行ってくるねーっ!」
 銀色に輝くホウキにまたがったラウラは、音速の速さで部屋を飛び出し、その一瞬後にはもう小女神宮の屋根の遥か上空にいた。「きゃー」という悲鳴とエンジンの轟音が残響のように残される。
 エンジンの爆風で物がめちゃくちゃに散乱した部屋に一人残され、キルシェはしばらくの間、呆然と立ち尽くしていたが、やがて不気味に笑いだした。
「ラウラめ……。この後始末の貸しはでかいわよ。覚えてなさい」


前の章へ戻る もくじへ戻る次の章へ進む

このページは津籠 睦月による夢と魔法の純愛ファンタジー・ネット小説「夢の降る島」第1話夢見の島の眠れる女神の本文ページです。
 ジャンル(構成要素)は恋愛(初恋・幼馴染)・青春・冒険・アクションなどです。
最初(序章)からご覧になりたい方は上の「もくじ」をクリックして、もくじページへ移動してください。
個人の趣味による創作物のため、全章無料でお読みいただけますが、
著作権は放棄していませんので、無断転載等はおやめください。
 

 
【ミニ内容紹介】幼なじみ二人の切ない初恋の行方をつづる胸キュン純愛ファンタジー小説。
幼き逃避行の果てに二人が目にした光景は…?
inserted by FC2 system