TOP(INDEXページ) 小説・夢の降る島|もくじ 第1話: 小説|夢見の島の眠れる女神 :第12章(後)
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結 20××年、倫敦

 
 ロンドン中心部、地下鉄ベイカールー線とピカデリー線が交差するレスター・スクエア駅。そこからほど近いパブを彼が訪れたのは、国会議事堂の大時計が午後6時を指す頃だった。背に大きな荷物を負った、いかにも旅行者という風体の青年を、店主は温かく迎え入れる。
「いらっしゃい。注文は何にする?」
「ライト・エールを半パイントキドニー・パイを一つ、付け合わせはチップスで」
 慣れた様子で注文を済ませテーブルに着くと、隣席の既にだいぶ出来上がった様子の男が話しかけてきた。
「やぁ。君も旅行者か?」
「ああ。今朝イギリスに着いたんだ。そちらは家族旅行か何かで?」
 青年の視線の先には、つまらなそうな顔でプディングをつつく16、7才と7、8才と思しき二人の少年の姿があった。
「ああ。妻の実家がこっちでね。里帰りにつき合うついでに観光旅行というわけさ」
 そう言いながら男は、何が可笑しいのか大声で笑いだす。
「パパお酒呑み過ぎ。ママが戻って来たら怒られるよ」
「何を言う。旅行の楽しみと言ったら現地の美味い酒を味わうことではないか。私はこれくらいではまだまだ酔わんぞ。君、スタウトはもう呑んでみたかね?おすすめの銘柄があるんだ。君もぜひ呑んでみたまえ!」
 陽気に笑い肩を叩いてくる男に、青年は苦笑いを浮かべ適当に相づちを打つ。
「これのどこが酔ってないって言うんだか……。保護者の自覚無さ過ぎ。子どもを放置してる罪とかで捕まっちゃえばいいのに」
 二人兄弟の兄の方が辛辣に吐き捨てる。一方弟は興味津々の表情で青年の姿を眺めていた。
「ねぇねぇ、何で腰に空っぽの瓶を二つも下げてるの?」
「空っぽ、か……」
 青年はくすりと笑い、腰に吊るしてあった硝子瓶をベルトから外して少年の目の前に置いた。
「君にはただの空瓶にしか見えないだろうけど、この中にはそれはそれは美しい白銀の雪が詰まっているんだ」
「えー?何それ」
 弟は不思議そうに首を傾げ、兄の方はただ白けたような顔で瓶を一瞥する。
「ほうほう!常人の目には見えない雪の詰まった瓶か!なかなかロマンティックそうな話じゃないか!旅先での醍醐味の一つは偶然出会う不思議な物語や言い伝え!君、ぜひ語ってくれたまえ!」
 酒席での余興とばかりにすっかり話を聞く気になっている男の様子に、ほんの一瞬だけ躊躇いの表情を浮かべた後、青年は語り始めた。彼の生い立ち、空から夢の結晶が降ってくる美しい故郷の島の話、そして幼なじみと別れこの世界へやって来た経緯までを。
「おぉ……夢と幻想に満ち溢れた島か……。行けるものなら、私も是非行ってみたいものだ……。君、作家志望か何かなのかね?これから出版社でも探すつもりかね?L・M・モンゴメリJ・K・ローリングのように」
 酔った男はそれをただの“物語”と信じて疑わない。
「まぁ、物語の語り口としてなら面白いのかも知れないけどさ“異世界から来た旅人”なんて話、よくそんな真面目な顔で言えるよね。酔っ払いと子ども相手だからってイマドキ信じないよ」
 二人兄弟の兄の方はそう言ったきり、もう興味はないとばかりにグラスの中のサイダーを呑み始める。素直に瞳を輝かせたのは弟一人だった。
「じゃあ、その瓶の中には夢雪が入ってるんだね !? 今でも夢術が使えるの !?」
「こらこらエミル、無理を言ってお兄さんを困らせてはいけないよ。おや?もう杯が空っぽだ。では私が取って来よう。君は何がいいかな?」
「じゃあ、あなたのおすすめのスタウトを」
 男が酒を取りに席を立つと、青年はおもむろに首から何かを外した。それは、柄の先に羽根飾りのついた銀のスプーンのペンダントだった。
「よく目を凝らして見ていてごらん」
 言って青年は瓶のフタを開けると、その中から見えない何かをスプーンですくい出した。
「夢より紡ぎ出されよ。『ピーター・パン』より“ティンカー・ベル”」
 青年がスプーンの先を傾けると、それまで何もなかったはずのテーブルの上にポゥッと白銀の光が点った。最初は球体だったその光はすぐに光り輝く小さな人の姿へと変わる。背に透き通った羽を生やした妖精の少女は、光をまき散らしながらテーブルの上をくるくる踊ると、弾けるように消えた。
 弟は手を叩き歓声を上げ、兄の方は口をあんぐりと開け、サイダーのグラスを危うく取り落としそうになる。
「すごいすごい!本当に夢を紡ぎ出せるんだ!ねぇねぇ、それであなたは、幼なじみの女神様とまた会うことはできたの?」
 無邪気な問いかけに、青年は一瞬無言になった後、遠くを見るような目で答えを返した。
「……残念ながら、まだ、だな。いろいろ手段を講じてはいるんだが。今夜もまた、一つの方法を試してみるつもりだ」

 

  

 深夜零時。明日の目的地の下調べや荷物の整理を終えやっと人心地ついた青年は、ホテルのベッドに身を投げ出し目を閉じた。
 夕刻の酒の名残りか、眠気はすぐに訪れた。ふわふわとしてひどく心地の良い波のような睡魔に、青年は抗わずそのまま身をゆだねる。
 一瞬の意識の空白の後、気づけば青年は白い霧の中に立っていた。自分以外何も見えない乳白色の世界で、しかし青年はあわてることも取り乱すこともなく、むしろこの場面を待ち望んでいたとでもいうように、ゆっくりと口を開いた。
「夢より紡ぎ出されよ……“紅線”」
 白銀の光が弾ける。直後、青年の足首にふわりと紅いリボンが現れた。蝶々結びのそのリボンは片方の端だけが長く、その先は白い霧の彼方へと続いている。
 縄でも足枷でもないそれはいかにも頼りなく、まるで「いつでも自由に解いていいんだよ」とでも言いたげに、ゆるやかに風に揺れている。
「全て、俺に委ねるとでも言うつもりか?……ばかだな。今さら他の相手なんて考えられるわけないだろう」
 青年は苦笑してその場に屈み、何かに引っ掛ければ簡単に解けてしまいそうなそのリボンを強く、固く、結びなおした。
「この先に……いるのか?」
 高鳴る胸を押さえ、青年はリボンの端をたどり白霧の中を進んでいく。
 やがて霧は晴れていき、目の前に野原が広がった。まるで苺の実を敷きつめたように赤い野原だ。まるで赤い小波のように風が吹くたび揺れるのは、クリムソン・クローバーの赤い花穂。
 そこは、幼い頃によく遊んだ苺ロウソクの野だった。空には翼を生やした船のような形の雲がいくつも浮かび、そこから絶えず七色の雪を降らせている。
 そして赤い野原の真ん中には、苺の花のような真っ白なドレスを着た人影があった。長いスカートをふわりふわりと風に泳がせるその後ろ姿に、青年は一瞬息をするのも忘れて立ち尽くす。
 はやる気持ちを抑えながら、それでもどこか不安をにじませながら、紅いリボンのつながる先、その人影へ向け、青年は呼びかける。かつて故郷の島で、飽きるほどに呼んできた彼女の名を。
 その声に弾かれたように、小さな肩がぴくりと跳ね、彼女が振り返る。大きく見開かれたその瞳が次第に潤んでいくのを、青年は静かに見守った。
「……信じてた。きっと、会いに来てくれるって」
 懐かしいその声は、まぎれもなく青年のよく知る幼なじみのものだった。
「……ごめん。遅くなって」
 歩み寄り、目の前で謝罪の言葉を告げる。彼女はそれを否定するように激しく首を横に振った。
「信じてた。でも、本当は、ずっと怖かったんだ。私がこうなって(・・・・・)しまった以上、この紅線はやっぱり切るべきなんじゃないのかって、ずっと迷ってた。でも、あなたがあの時『勝手な決めつけで一方的にこの“糸”を切られてたまるか』って言ってくれたから……」
 青年は彼女の肩に手をかけ、ゆっくりと首を振る。
「これで良かったんだ。この紅線がまだつながっているおかげで、俺たちはこうして再び会うことができた。そうだろう?」
「……私でいいの?だって、私はもう……」
「いいんだ。たとえもう現実では会うことができなくても。……夢の中なら毎晩会えるんだろう?これからは」
 青年の答えに、彼女は泣き笑いのような顔で微笑む。
「うん。あなたが世界中のどこにいたって、いつまでもずっと一緒だよ」
「だったら、構わない。世の中にこんな恋がひとつくらいはあってもいいだろう?……と言うか、お前の方こそ俺でいいのか?俺はお前とは違って、これからも普通に歳をとり続けていくし、そのうちには……」
 その先を躊躇って言葉を切り、青年は目の前の幼なじみの姿をじっと見つめる。
 その姿は別れた当時とまるで変わらない。むしろ青年の背が伸びた分、小さくなって見えるほどだ。
「いいんだよ。いつか置いていかれるとしても、思い出は残るから」
 そう言って、彼女は青年の顔をじっと見上げた。
「私ね、いろんな人の夢の中を渡り歩くようになってから、思うようになったことがあるんだ。……人間って、思い出を集めるために生きてるんじゃないかなって。もちろん思い出は楽しいことばかりじゃない。忘れられないくらいに悲しくて辛い思い出もあると思う。でもね、本当に嬉しくて、幸せだったっていう思い出は、そのイメージを何倍にも増幅されて記憶の中に刻まれるんだよ。それはたとえ歳をとって、自分の名前や家族の顔さえ忘れてしまって、その思い出の意味すら本人に分からなくなってしまったとしても、決して消え去ることはなく、頭のどこかに残り続けるんだよ」
 言って、彼女は微笑みながら周囲の景色を指し示す。
「この野原も、ここに降る雪も、全てあなたの記憶の断片から構成されたもの。たとえもう二度と戻れない場所でも、会えない人でも、記憶の中には残り続ける。それはたとえ現実の中で、時の流れや様々な事情で奪われてしまったとしても、決して失われることのないものなんだよ。そして記憶の中に残り続けるなら、いつか再び会うこともできる。心の中や、夢の中、あるいは命の終わりの走馬灯の中で。いつかひとりでこの世を旅立つ時が来ても、優しい思い出たちと一緒なら、きっと寂しくない。そう、思うんだ」
「……そうか」
 短く答える青年の脳裏には、わずかの躊躇いも不安の影も見せず、微笑みながら消えていったかつての女神の姿が浮かんでいた。
「だから、思い出を紡いでいこう。これからは、ふたり一緒に……」
 青年は返事の代わりに、言葉もなく彼女の身を抱きしめた。朝が来れば夢の終わりとともに儚く消えてしまうそのぬくもりが、それでも今はしっかりと肌に伝わることを確かめるために。
「……会いたかった。長かったよ。振り返ってみればたったの数年でも、俺にとっては……」
「うん……。そうだね。たったひとりで、見知らぬ世界で、大変なことがいろいろあったよね」
 彼女は幼いままの手のひらで、大きな背中を優しく撫でる。そして改めて青年の顔を見つめ、唇を開く。
おかえりなさい(・・・・・・・)、フィグ」
 その瞬間、フィグの脳裏にこれまでの旅の記憶が一気に駆け巡った。自ら望んで選んだ旅路でも、育ってきた環境とのあまりの違いに苦しむことは多々あった。二度と戻れない故郷が無性に恋しくなって胸を苛まれることもあった。それでも今この瞬間は、全てが正しい選択だったのだと受け入れることができる。
「ただいま、ラウラ。……お前に話したいこと、見せたいものがたくさんあるんだ。俺がこれまでこの世界で見てきたもの、美しいと圧倒された全てのものたちを、お前にも共有してもらいたいんだ。たとえ肉体は一緒に旅ができなくても、これなら一緒に旅しているのと同じことだろう?いつかあの丘で約束した通りに」
 ラウラは一瞬驚いたように目を見張り、涙をこぼしながらうなずいた。その顔を見つめながら、フィグは改めて決意する。
 初め、“果てのない”旅をすることは彼だけの夢だった。けれど今は、彼女のためにも旅を続けようと、強く思う。
 誰かの悲しみや痛みにさらされ続ける彼女に、ほんの束の間でも楽しい思い出、美しい夢を贈れるように。彼女の夢が絶望だけで塗りつぶされてしまわないように、これまでにこの世界の中で見つけてきた“希望”を、教えてあげようと思うのだ。
「この世界は、思っていたより悲しい世界だった。でも、思っていたよりずっと強かで、綺麗なものもいっぱいあるんだ」

Fin
 
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このページは津籠 睦月によるオリジナル・オンライン小説「夢の降る島」第1話夢見の島の眠れる女神の本文ページです。
 ジャンル(構成要素)はファンタジー・恋愛・冒険・アクションなどです。
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【ミニ内容紹介】20XX年、ロンドン。
とあるパブを訪れた青年は、隣席の客に請われるまま昔話を始める…。
 
 
 
 
 
※この物語はフィクションです。
実在の人物・団体・事件・歴史的事実等とは関係ありません。
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