TOP(INDEXページ) 小説・夢の降る島|もくじ 第1話: 小説|夢見の島の眠れる女神 :第12章(後)
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第十二章 夢路の果て


 

「……じゃあ、私はもう行くわ。この後のことは分かっているわね?ラウラ」
 フィグへの説明を終え、フレアは確認するようにラウラの顔を覗き込む。
「うん。大丈夫」
 ラウラは悪夢(コシュマァル)の詰まった卵を大切そうに胸に抱きかかえ、今にも泣きそうな顔でフレアを見つめ返した。フレアはそんなラウラに、ただ微笑んでみせる。何もかもから解き放たれた晴れやかな笑顔だった。
「あんたはこれからどうなるんだ?」
 訊くべきかどうか散々迷った末、フィグは結局、躊躇いながらもそれを訊いた。ラウラの今後を思うと、訊かずにはいられなかったのだ。
「……さぁ。私にも分からないわ」
 あまりにもあっさりと予想外の答えを返され、フィグは目を剥く。
「分からない !? あんた、それでいいのか !?」
「ええ。いいの。知らないことがあるって素敵なことよ。知らないからこそ見られる夢があるもの。『もしも生まれ変わることができるなら、今度は普通の女の子として人生を全うしたい』とか、ね」
 その身体の透明度と反比例するように、フレアを包む光は徐々にその強さを増していく。ラウラとフィグは瞬きもせずにそれを見守った。
「さよなら、ラウラ、フィグ。あなたたちの夢がずっと素敵なものであることを祈っているわ」
 光が弾ける。周囲が一瞬白光に包まれ、何も見えなくなる。そして光の止んだ後、その場所にはもう何ひとつ存在していなかった。フィグは無言でラウラを振り返る。ラウラはフィグが何を言いたいのかを悟り、小さく苦笑した。
「私なら大丈夫だよ。ちゃんと、全部分かっててこの役目を受け入れたんだもん」
 ラウラは悪夢(コシュマァル)の卵を両腕で強く抱き締めたまま、湖へ向け歩き出す。フレアの紡いだ睡蓮の葉の道は既に消えていたが、ラウラはためらいもせずに水上に足を踏み出した。だがその足は湖水に沈むこともなく、ただ水面に(かす)かな波紋を刻んでいく。
 湖の中央に辿り着いた時、ラウラは振り向き、フィグへ向け微笑んだ。
「じゃあ行くよ、フィグ。覚悟はいい?」
 その問いに『はい』と答えてしまえば、別れの瞬間が来てしまう。できることならば、このまま永遠に唇を閉ざしていたかった。
 だが、そうやって無言でラウラの顔を見つめているうちに、フィグは気づいてしまった。ラウラが今、笑顔の裏で必死に泣くのをこらえていることに。
(……そうだよな。最後は笑顔で別れたいって、お前なら思うよな。こんな哀しいだけの別れまでの時間を、永遠に引き延ばしてるわけにはいかないよな)
 フィグは一度、大きく息を吸い込んだ。それから、ゆっくりと口を開く。
「ああ。覚悟はできてる。いつでもいいぞ」
 言い終わり唇を閉じた瞬間、ラウラの足元の水が勢いよく盛り上がった。それはまるで水でできた繭のようにラウラの全身を包み込み、そのまま湖の底へと引きずり込んでいく。
「ラウラ!」
(ワンド)を構えて、フィグ。私が沈みきったらすぐにでも夢雪(レネジュム)が噴き出すから。頑張ってね。私、信じてるよ。フィグなら必ず夢を叶えられるって』
 眦からにじみ、零れ出ようとする涙を乱暴に拭い、フィグは匙杖(スプーンワンド)を構えた。
 ラウラを沈めた湖はその後もしばらく波立っていたが、やがてそれも治まり、水面は静まりかえっていった。代わりに水底からどんどん七色の光が溢れてくる。そして湖面に花が咲くように、大量の夢雪(レネジュム)が姿を現した。それはすぐに湖を覆い尽くし、それでも止まずに増殖し続け、雪崩のような奔流となってフィグに襲いかかってきた。
『今だよ、フィグ!』
 湖の底から響く声に導かれるように、フィグは(ワンド)を握った右手を前へ突き出した。
「夢より紡ぎ出されよ!エジプト神話より“太陽の船(マンジェト)”!」
夢雪(レネジュム)が吸い寄せられるように銀の匙杖(シルヴァースプーンワンド)の周りに集まってくる。
 それは一瞬の閃光の後に一艘の木船へと姿を変え、フィグを乗せて七色に輝く夢雪(レネジュム)の波に乗る。ガレー船を思わせる長く平たい船体と、首長竜(プレシオサウルス)の首のように高く反り返った船首を持つそれは、天空を渡る太陽神の船だ。
 船は噴水のように噴き上がる夢雪(レネジュム)に真下から押し上げられ、上へ上へと昇っていく。フィグは船縁に必死にしがみつき、その振動に耐えた。
 その高さは山の頂を遥かに超し、島が眼下に一望できるほどにまで達する。だが、そこで上昇は止まった。垂直に上へ伸び続けていた夢雪(レネジュム)の流れは次第にその勢いを緩め、水平に四方へと広がりだす。
 空一面が夢雪(レネジュム)に覆われていき、太陽の船(マンジェト)はまるでその虹色にきらめく雲海を漂っているようだった。
「ここがフレアの言う“ある程度の高さ”ってことか。ここから先は俺の実力次第ってことだな……」
 フィグは船上に立ち上がり、銀の匙杖(シルヴァースプーンワンド)を改めて握り締め、鋭く声を発する。
「“太陽の船(マンジェト)”よ!天空を翔けろ!あの天上の穴まで俺を導け!」
 その声に応じるように、船は舳先をわずかに持ち上げ、自らの力で浮き上がり始める。フィグは太陽の船(マンジェト)が天空を進むイメージを頭の中に保ちつつ、現在地と目的の“穴”との距離を測ろうと上空を仰いだ。だがそこで、天空の穴に思いもよらぬ現象が起き始めていることに気づく。
「何だ !? あれは、まさか……穴がふさがってきているのか !?」
 フィグは思わず愕然として叫ぶ。
 まるで時間を逆に回しているかのように、剥がれ落ちたはずの空の破片が次々と浮き上がり、パズルのピースをはめ込むように空の隙間を埋めていく。夢見の女神(レグナリア・レヴァリム)の継承完了により新たなる女神(レグナリア)・ラウラの夢見の力を取り込んだ夢見(レヴァリム)島が、夢現剥離と悪夢(コシュマァル)の侵蝕により壊れた箇所の自動修復を始めたのだ。
「……まずい!夢より紡ぎ出されよ!“風神の風袋”!」
 カルデラからの夢雪(レネジュム)噴出の際に船内に雪崩れ落ちていた夢雪(レネジュム)銀の匙杖(シルヴァースプーンワンド)ですくい上げ、素早く垂直に跳ね飛ばしながらフィグが叫ぶ。一瞬の閃光の後フィグの肩の上に現れたのは、風船のように大きくふくらんだ白い袋だった。
 フィグが船尾へ向け袋の口をゆるめると、中から凄まじい勢いの風が吹き出す。船はその強風に押され速度を上げた。しかし天空に開いた穴は、そんなフィグの機転を嘲笑うかのようにさらに修復の速度を上げ、急速なスピードで閉じていく。
「くそっ……ここまで来て間に合わないのかよ !?」
 絶望の呻きが唇から零れる。その時、ふいにどこからか声が聞こえた。
『“夢”よ、彼の船に翼を与えよ』
 それは初めて聞く声だった。直後、船の両で何かが光を放つ。その光はすぐに、白銀にきらめく鋼鉄の翼へと変わった。
『“夢”よ、彼の船の道筋に虹の橋を架けよ』
 再び声が聞こえた。先ほどとは違う声だ。直後、光が弾け、天空の穴と船との間にレールのような虹の橋が結ばれる。
『“夢”よ。彼の船の船尾にジェットエンジンをお願い。燃料はもちろん、夢雪(レネジュム)でネ』
 今度はどこか茶目っ気のある女性の声だ。直後、閃光とともに船尾に巨大なエンジンが現れ、白銀の炎を噴出する。船はほぼ垂直な虹の橋の上を白銀の炎を上げながらロケットのように駆けていく。
「な…… !? 何だ !? どうなってるんだ !?」
 必死に船にしがみつき、その振動に舌を噛みそうになりながらも、フィグは疑問の声を漏らさずにはいられなかった。その耳に再び声が聞こえてくる。
『どうか叶えてくれ。我々の宿願を……!』
『我らの“夢”を、君に託す。つないでくれ、希望を』
『ずっと待っていたんだ。僕たちの“夢”を継いでくれる人を』
『これは叶わない夢なんかじゃないんだって、私たちが夢見たことは無駄なんかじゃなかったんだって、証明して!お願い!』
 フィグへ向け語りかけられるいくつもの声、そして願い――それは船の中に雪崩れ落ちていた無数の夢雪(レネジュム)の塊から聞こえていた。
夢雪(レネジュム)が……しゃべった?こいつら、意思を持ってたのか?」
『ううん。それはちょっと違うかな。これはね、意思じゃなくて想いのカケラ。夢術(レマギア)の源となる夢粒子(レフロゥム)はね、誰かが何かを夢見た時に、この世に生み出されるの。実現する夢だけじゃなく、叶わず破れた夢のカケラたちも、この島の水や土や空気の中を漂って、やがては別の誰かの夢となり、この世に紡ぎ出されるんだよ』
「ラウラ!」
 その声は島から吹く上昇気流に乗って聞こえてきた。
『もう大丈夫だね、フィグ。この島を出て行けるね』
 見下ろせば、島はもう遥かに遠い。七色の夢雪(レネジュム)の雲に包まれた故郷は、まるで青い海に縫い留められた宝石細工のように輝いて見えた。
「ああ。もう大丈夫だ。ありがとう、ラウラ」
 万感の想いを込めて囁くと、柔らかな風が頬を撫でた。不思議とラウラが微笑んでくれているような気がして、目頭が熱くなる。
『行ってらっしゃい、フィグ。忘れないでね。もし旅の途中でフィグが夢を忘れそうになったら、私が“希望(ゆめ)”を送るから。この島で育まれたフィグの夢の原点を、子どもの頃のあの想いを、思い出させてあげるから。だから安心して旅を楽しんでね。フィグの夢見たどこまでも“果てのない”旅を……』
 どこまでも明るい声がフィグを送り出す。振り返れば天空の穴はもう目の前だった。船は吸い込まれるように穴に飛び込んでいく。
 瞬間、視界が闇に覆われた。何も見えないまま、ただ凄まじい引力のようなものに船が引っ張られていくのを感じる。まるで底無しの穴の中に猛スピードで落ちていくようだった。フィグは最早座っていることさえできず、船底に倒れ伏し、へばりつく。
 やがて船は闇を抜け、目を開けていられぬほどの光の渦へと飛び込んでいく。視界に一瞬、青空と雲と太陽が映ったような気がしたが、それを確認することもできぬまま、フィグは強烈な重力負荷にも似た圧迫感に意識を失っていった。
 


 

 その日、一艘の船が天空の穴から島の外へ旅立ったことに気づいたのは、ごくわずかの限られた人々だけだった。
 早朝にも関わらず、島民のほとんどは何かに導かれるように自然と目を覚ましていた。だが彼らの視界に映ったものは、薄紅から紫のグラデーションを描く美しい夜明けの空に、淡いヴェールのような虹色の雲がかかっている光景だけだった。
 やがて、夢のように美しいその空から、陽光に照らされたクリスタル・ガラスのように七色にきらめく雪が降ってくる。それは地に降り積もり、全てを覆い尽くし、悪夢(コシュマァル)に変えられた島を美しい夢の姿へと塗り替えていく。
 それは未知の光景ではなかった。いつか夢追いの宴のフィナーレで夢見の娘(フィーユ・レヴァリム)となった小女神(レグナース)のドレスに現れた光景だった。
「やがてこの島に訪れる……数百年に一度の夜明け……」
 小女神宮(レグナスコラ)の礼拝堂の薔薇窓越しにからその景色を眺めながら、キルシェはいつか耳にした言葉を口の中で繰り返す。
 礼拝堂には小女神宮(レグナスコラ)の全ての人間が集められ、女神への祈りを捧げていた。
「今、新たなる夢見の女神(レグナリア・レヴァリム)がその座に就かれました。島を悪夢(コシュマァル)の手から救ってくださった新しき女神(レグナリア)・ラウラに感謝を捧げ、役目を終えられた女神(レグナリア)・フレアの安らかなる眠りを祈りましょう」
 シスター長アルメンドラの言葉の後、鐘楼の組鐘(カリヨン)が厳かに鎮魂歌(レクイエム)を奏で始める。だが小女神(レグナース)たちは心ここにあらずの様子でただ空から舞い降りる雪を見つめていた。
「ラウラ……あんた、無事に辿り着けたのね」
 どこへ向けて呼びかけたら良いのか分からないように、キルシェはただ虚空へ向け呟く。
「あんた、まだ死んだわけじゃないんだもんね。きっと、私のこと、見ててくれるよね……?」
 今にも涙声に変わりそうなその呟きは、鐘の音とシスターたちの祈りの声に溶け混じり、消えていった。
 


 

「…………う…っ…」
 小さな呻き声とともに、フィグは目を覚ました。ぼんやりする意識でまず感じたのは、浮遊感にも似たゆるやかな波の振動だった。
 フィグはゆっくりと目を開け、身を起こす。
 穴に飛び込む前と変わらず、フィグは船の上にいた。ただし鋼鉄の翼やエンジンは消え、首長竜(プレシオサウルス)の首のようだった船首も折れ、船自体もあちこちが傷つき削れてみすぼらしい姿に変わり果てていた。
「ここは……?俺は、辿り着けたのか……?」
 目に映るのはどこまでも続く海原とその上に広がる空ばかり。静かな波間に一人漂い、不安を感じ始めたその時、フィグの耳が遠く微かに響く汽笛の音を拾った。
「船か…… !?」
 目を凝らし水平線をにらむと、こちらへ向け近づいてくる船影がある。エンジンの音とスクリューの波を立てながら走ってくるそれは、鋼鉄の船体を持つ漁船のようだった。フィグは船上に立ち上がり、上着を脱いで旗代わりに振りながら、その船を待った。


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このページは津籠 睦月によるオリジナル・オンライン小説「夢の降る島」第1話夢見の島の眠れる女神の本文ページです。
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【ミニ内容紹介】ついに島を出る決意をしたフィグ。
そしてふたりに別れの瞬間が訪れる…。
 
 
 
 
 
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