蛇足解説コラム

中世〜ヨーロッパ結婚事情

中世〜近世にかけてのヨーロッパはファンタジーの舞台などによく使われています。

しかし、ファンタジー(特にラノベやマンガ)に描かれるヨーロッパのイメージと、リアルなヨーロッパの歴史とでは若干の「違い」があるようです。

今回は管理人が歴史小説の資料調べをしていて気づいた、そんな“イメージとしてのヨーロッパ”と“リアルなヨーロッパ”の違いについて――特に結婚事情に関する部分をまとめていきたいと思います。

(学問として西洋史を専門的に学んだわけではないので、あくまで「資料を読み込んでいて気づいたこと」です。)

もちろん、ファンタジーはあくまでファンタジー、リアルな歴史はリアルな歴史ですので、ファンタジー作品の世界設定がリアルな歴史と異なっていようと関係はないのですが、「本格的な歴史モノ」を書きたい方は参考までに…。

キリスト教圏に「側室」は存在しない
 
宮廷恋愛モノや乙女ゲーム系の作品にはよく出て来る「正妃」や「第二妃」などの妃の序列…。
 
これはどうやらリアルなヨーロッパの歴史には、ほとんどと言って良いほど存在しないようです。
 
そもそもヨーロッパの王室には基本的に「後宮」というものが存在しません。
 
これはおそらくヨーロッパの国々にキリスト教を信仰する国が多いためであり、そのキリスト教が姦淫を禁じていることと関係があるかと思われます。
 
キリスト教において同時に持てる妻は一人だけ。
 
ゆえに堂々と「後宮」や「側室」を設けることはできないのではないかと推測されます。
 
ただし、側室の代わりに「愛妾」というものは存在します。
 
正式な妃ではなく、公然の秘密としての“愛人”なら普通に存在していたというあたり、信仰の建前と本音が透けて見えますね…。
 
ちなみに王の権力が絶大なものとなった絶対王政の頃のフランスでは、血統正しい貴族から選ばれた「公認の愛妾(メートレス・アン・テイトル)」というものも存在していました。
 
「離婚」はタブーでも「結婚の無効」ならアリ
 
キリスト教圏――特にカトリック信仰の国において「離婚」は基本的にタブーです。
 
(エリザベス1世の父ヘンリー8世は1人目の妃と「離婚」するために国教を変えたくらいですし…。)
 
しかし実は、夫婦が別れる手段は現実的に存在していました。
 
それが「結婚(婚姻)の無効」です。
 
「結婚が形だけのもので、実質的な夫婦生活は営まれていなかった」「相手に重大な問題があった」「そもそも正式な結婚として認められるようなものではなかった」等々の理由をつけ、結婚を「無かったこと」にしたのです。
 
結婚後に相手の家が反逆などの重罪を犯した場合や、政略結婚として物心つくかつかないかほどの子ども同士を結婚させ、後にもっと有益な政略結婚相手が現れた時などにこの「結婚の無効」が使われました。
 
愛妾の子には通常、王位継承権は無い
 
複数の妃に複数の王子・王女がいて、王位継承を争っている――これも、ファンタジー作品ではよくある設定ですが、実際のヨーロッパの歴史で“正式な妃の子”以外が王位を継承するのは稀なことのようです。
 
たとえばイギリス王室では、王妃に子が無く、愛妾には子がたくさんいるという場合でも、愛妾の子が即位することは認められず、代わりに王弟が王位を継いだりしています。
 
おそらく“正式な王妃の子”でなければ公に王の子とは認めることができず、王位継承権も認められなかったのでしょう。
 
かと言って王の子を無下に扱うこともできないとあってか、愛妾の子には公爵などの貴族の位が与えられることが多々ありました。
 
愛人をたくさん抱えて子だくさんだった王の時代には、公爵家がどっと増えた、という史実もあるくらいです。
 
エリザベス1世の父・ヘンリー8世は、王位を継ぐ男子が欲しいために妃を次々に取り替え、唯一生まれた“王子”は3人目の妃の男の子だけというのは有名な話ですが、実は妃以外に愛妾も持っていて、愛妾には男子が生まれていました。
 
唯一の“王子”は生来病弱だったため十代で没していますが、愛妾の産んだ男の子の方は公爵家の祖として生き残っています。
 
なお、エリザベス1世は母が王妃の身分を剥奪されて処刑されたため、一度、王女の身分と王位継承権を失っていますが、父の6人目の妃のとりなしにより何とか身分と権利を回復し、やがて王位を継ぐことになりました。
 
ちなみに、庶子の血統が王位を継いだ例も無いわけではありません。
 
カスティーリャ(現在のスペイン)では、愛妾の子が「残酷王」と呼ばれた王(正当な王妃の子であり、異母兄弟)を討って王位を継いだ例があります。
 
(ちなみに母親である愛妾は、その「残酷王」により処刑されていました。)
 
その他、正当な王家の血統が途絶え、なおかつ庶子の血統に生まれた男子に目ざましい功績があった場合などに「身分会議」で王位の継承が認めれた事例がポルトガルであります。
 
「近親婚」の範囲が広い
 
現代において「近親婚」と言えば「血縁が濃い相手との結婚」を指しますが、かつてのヨーロッパにおいては血縁の無い、たとえば「兄嫁を兄の死後にめとる」ことも「近親婚」とみなされました。
 
ヘンリー8世の1人目の妃は、兄の妃として嫁いできた王女でしたが、兄が結婚生活をまともに送れるような状態になく、すぐに亡くなってしまったため、弟であるヘンリーとの縁談が持ち上がりました。
 
ふたりは両想いでしたが、ここに立ちはだかったのが「近親婚の禁止」という掟でした。
 
この時は「兄との結婚は実質的な結婚には至らなかった」として「無効」とし、何とか結婚を果たしています。
 
が、そんな苦労の末に結ばれたふたりも、結局はヘンリー8世がエリザベス1世の母アン・ブーリンと結婚するために「離婚」ということになってしまったのです。
 

<参考資料:イギリス史・関連資料一覧&ウィキペディア>


 
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