ジェーン・グレイ
【Lady Jane Grey】

母方の祖母にイングランド国王ヘンリー8世の妹を持ち、義父の謀略により王位に就けられたものの、わずか9日間で廃位された少女。

生没年:1537年10月12日?〜1554年2月12日

享年16歳と4ヶ月。

歳の近いエドワード6世(ヘンリー8世の息子)の妃候補となるべく、ギリシャ語・ラテン語・ヘブライ語・イタリア語・フランス語の他、お裁縫やダンスまで厳しい教育を施された。

10歳の頃には先王ヘンリー8世の元王妃キャサリン・パーの元で行儀見習いを務め、キャサリンが死去した際には喪主を務めている。

(この行儀見習い時代にはエドワード6世や後のメアリー1世、エリザベス1世とも交流があった。)

13歳の頃にはプラトンの「パイドン(ファイドン)」を原語であるギリシャ語で読むことを楽しんでいた。

ちなみにこの「パイドン」とは死刑判決を受けたソクラテスが死の直前に弟子たちと行った最期の対話(「死」についての議論)、そして毒ニンジンの杯を飲み干して臨終するまでの様子を描いたものである。

エドワード6世に別の縁談が持ち上がった後、ジェーンはエドワード6世の伯父として権力を握っていたサマセット公エドワード・シーモアの同名の長男エドワード・シーモア(後の初代ハートフォード伯)と婚約する。

が、サマセット公は謀略にはまり処刑され、シーモア家は爵位を没収される。

そのため、両親はこの婚約を破棄(資料によっては元々「婚約」には至らず「縁談」だけで終わっていたとするものもある。)、サマセット公を処刑に追い込んだジョン・ダドリーの六男(1、2番目の兄が早世したため実質上の四男)ギルフォード・ダドリーとジェーンを結婚させる。

ジョン・ダドリーは病弱なエドワード6世の死後にカトリックのメアリー王女が王位に就くと失脚する可能性が高かったため、義理の娘であるジェーンを女王にしようと病床の王を説得し遺言書にジェーンの名を書かせる。

エドワード6世の死後、ジェーンは遺言の内容を知らされ、抵抗するも周囲の説得に抗いきれず女王に即位。

メアリー王女はこの策略を素早く察知して逃げおおせ、ジェーン側に王冠を要求。
両陣営の間で戦いが始まった。

当初、ジョン・ダドリーや外国の大使らは、カトリック教徒であるメアリーはプロテスタントを国教とする当時のイングランドで支持を集められないと踏んでいたが、国民は知名度の低いジェーンよりメアリーを支持、廷臣たちの寝返りも相次ぎ、ジェーン陣営は敗北する。

メアリー王女は即位し、メアリー1世となったが、これが後にプロテスタントへの弾圧で女子どもを含む300人もの人間を処刑し「ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)」と呼ばれることになる女王である。

その後ジョン・ダドリーは処刑されたが、ジェーンの父サフォーク公爵は釈放され、ジェーンの母とジェーンの妹キャサリンはメアリーの侍女となる。

(キャサリン・グレイは姉と同日にペンブルック伯爵家のヘンリーと結婚していたが、一連の事件の影響で結婚を無効にされ実家に戻っていた。彼女が後に二度目の結婚をする相手が、ジェーン・グレイの元婚約者エドワード・シーモアである。)

ジェーンとギルフォードはロンドン塔に囚われたが、ジェーンは看守用住居に、ギルフォードはビーチャム・タワー(※)の最上階の小部屋に入れられた。

王族であるジェーンには、二人の次女と一人の小姓を使うことが許され、国庫から食費と宿泊費も出された。

メアリー1世は当初、ジェーンを処刑するつもりはなかったと言われているが、その後メアリー1世がスペインのフェリペ1世との縁談を進めたことに対し3つの反乱が起き、そのうちの1つがジェーンの父サフォーク公爵が弟たちと共に起こしたものだった。

乱はただちに平定され、サフォーク公は自身の荘園に逃げ込むも管理人に裏切られ捕らわれる。

この乱に危機感を覚えたメアリー1世はジェーンとギルフォードの死刑執行令状にサインした。

メアリー1世は一旦取り決めた刑の執行日を延期し、ジェーンに改宗すれば命を助けることを伝えたが、ジェーンは拒否。

2月12日の同日、先にギルフォードが処刑され、その死の1時間後にジェーンもロンドン塔の広場「タワー・グリーン」(「タワー」と名が付くが広場である。)で処刑された。

(当時はまだギロチンが存在せず、斧による執行で、頭を台の上に置き身を横たえて行われた。(アン・ブーリンの処刑などで用いられた顔を前に向けたまま行われる「フランス方式」は執行人の技量が要求されるため、この方が失敗が少なかったとされる。ただしスコットランド女王メアリー・ステュアートの時にはそれでも失敗があったとされている。)

ジェーンは家族への形見分けを行っていたが、妹キャサリンにはギリシャ語の聖書を、後に処刑される運命である父にはジェーンが処刑場まで持って行った祈祷書を、それぞれ余白にメッセージを入れた上で遺している。

(この祈祷書の余白にはギルフォードのメッセージも遺されている。)

ジェーン・グレイは実質的にイングランド史上初の女王であるが、彼女を正統な王として歴代国王の一人に数えるかどうかについては意見が分かれている。

(※)この塔の名については、資料によって「ボーシャン・タワー」となっていたり「ベル・タワー」となっていたりで、どれが正式な名称かよく分かりません。
(ロンドン塔の英語地図に「Beauchamp Tower」というのがありますので、おそらくそれのことではないかと思いますが…。)

<参考資料:ジェーン・グレイ関連資料一覧&ウィキペディア>

 
ファンタジー小説サイト|言ノ葉ノ森
inserted by FC2 system