ギルフォード・ダドリー
【Guildford Dudley】

「9日女王」として有名なジェーン・グレイの夫。

生没年:?(1535年や1536年等、資料によって異なります。)〜1554年2月12日

ジョン・ダドリーの六男(実質上の四男)として生まれる。

(2人の兄が早世したため、資料では“実質上の”四男という表記がよくされている。)

祖父エドマンド・ダドリーはヘンリー7世の下で税の徴収に関わる仕事に就いていたが、その後王位に就いたヘンリー8世により大逆罪で処刑されている。

父ジョン・ダドリーはヘンリー8世の息子エドワード6世の時代に、政敵サマセット公エドワード・シーモアを処刑、国の実権を握り、ノーサンバーランド公の爵位も得る。

ギルフォードはジェーンやエリザベス1世などと同じく人文主義教育を受けて育ち、知人である印刷業者のリチャード・グラフトンからは「美男子で芸術を愛し、感じのよいジェントルマン」と評されている。

(資料によっては女好きで酒好きだったという記述もある。)

1553年の春にジェーン・グレイと婚約、その年の5月に結婚している。

結婚披露宴では料理人のミスにより一部の出席者が食中毒になっており、ギルフォードもその一人だったと言う。

(ちなみに結婚披露宴はノーサンバーランド公爵家のロンドンの居館である「ダラム・ハウス」にて2日間にわたり行われ、同時にジェーンの妹キャサリン・グレイとペンブルック伯爵家のヘンリー、ギルフォードの妹キャサリン・ダドリーとハンティンドン伯爵家のヘンリーの結婚式も行われている。披露宴の出し物としては、騎士の一騎討ち競技「ジョスト(Joste)」や当時ヨーロッパ宮廷の祝祭時の催し物としてメジャーだった「仮面劇(masque)」などが行われた。)

7月にエドワード6世が崩御すると、父ジョン・ダドリーの策略によりジェーン・グレイがその後継として王位を継ぐことになる。

(継承順では彼女の上にメアリー王女とエリザベス王女がいたが、カトリックのメアリーが王位に就くとプロテスタントのジョン・ダドリーは失脚する可能性が高かった。)

ジョン・ダドリーは息子ギルフォードも王に即位させ共同統治させようとするが、これをジェーンが拒否。

王位に就きたがったギルフォードとジェーンは長時間ケンカをしたと言われている。

その後、ジョン・ダドリーの策略を察知して逃げのびていたメアリー王女が王冠を要求する手紙を出し、ジェーン陣営とメアリー陣営との戦いが始まった。

当初はジェーンの父サフォーク公が大将となるはずだったが、ジェーンが引き留め、ギルフォードの父ジョン・ダドリーが進軍する。

その後、メアリー王女に寝返る貴族が後を絶たず、ジェーン陣営は敗北。

ジェーンとギルフォードは逮捕され、ジェーンはロンドン塔の看守用住居に、ギルフォードは同じくロンドン塔のビーチャム・タワー(※)の最上階の小部屋に入れられる。

(ロンドン塔の壁にはギルフォードが刻んだとされる「ジェーン」という文字が遺されている。)

ギルフォードの3人の兄ジョン・ダドリー(父と同姓同名)、アンブローズ・ダドリー、ロバート・ダドリーもロンドン塔に送られたが、彼らは処刑されることなく、ギルフォードたちの処刑後に釈放されている。

(このロバート・ダドリーはその後、エリザベス1世の寵愛を受け出世することになる。)

ギルフォードの父ジョン・ダドリーは8月に斬首されたが、ギルフォードとジェーンは2月になるまで処刑されなかった。

(メアリー1世が若い彼らの処刑をためらったためとされているが、縁談を進めていたスペインのフェリペ2世がジェーンの処刑を望んだことや、ジェーンの父が反乱を起こしたことなどもあり、死刑執行が決定した。)

ギルフォードはロンドン塔の外の刑場で公開処刑され、ジェーンも同じ日にロンドン塔内の広場で処刑された。

(※)この塔の名については、資料によって「ボーシャン・タワー」となっていたり「ベル・タワー」となっていたりで、どれが正式な名称かよく分かりません。
(ロンドン塔の英語地図に「Beauchamp Tower」というのがありますので、おそらくそれのことではないかと思いますが…。)

<参考資料:ジェーン・グレイ関連資料一覧&ウィキペディア>


 
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