(初代ハートフォード伯)エドワード・シーモア
【Edward Seymour】

「9日女王」として有名なジェーン・グレイの元婚約者。

(「婚約」には至らず「縁談」で終わったとする資料もある。)

生没年:1539年5月22日〜1621年4月6日

父はヘンリー8世の3番目の妃ジェーン・シーモアの兄にしてエドワード6世の伯父であるサマセット公エドワード・シーモア(同姓同名)。

父が公爵位を手に入れたのは、妹ジェーン・シーモアが国王ヘンリー8世と結ばれるよう手を回し(まだアン・ブーリンが王妃だった頃から、王とジェーンの部屋の間に秘密の階段を造るなどして妹が王のお手付きとなるよう画策したとされている。)、後に王妃となったジェーンが唯一の王子をもたらしたことによる。

ヘンリー8世の死後、サマセット公は「顧問団に集団で補佐させるように」という遺言を無視し、自らが幼い新王エドワード6世の摂政となり、実質的な最高権力者となる。

この頃エドワード・シーモアはジェーンと婚約するも、父サマセット公がジョン・ダドリーの罠にはまり大逆の罪で処刑されてしまう。

シーモア家は爵位を没収され、エドワード・シーモアとジェーン・グレイの婚約も破棄される。

その後、ジョン・ダドリーはジェーン・グレイを新女王の座に就けるも後のメアリー1世に敗れ逮捕、処刑される。

エドワード・シーモアはその後、1559年にハートフォード伯・ビーチャム男爵となる。

だがその翌年、子のなかったエリザベス1世の後継者とも目されていたキャサリン・グレイ(ジェーン・グレイの妹)と秘密結婚したことで女王の怒りを買い、キャサリンと共にロンドン塔に投獄される。

だがエドワードは獄中にも関わらず妻の下を訪れ、長男エドワード・シーモア(同姓同名)、次男トマスと2人の子が生まれている。

(その2人の息子は「庶子」として扱われ王位継承権も無いものとされた。)

投獄から8年後にキャサリンが死亡するとエドワード・シーモアは釈放された。

その後、2度の結婚をし(2人目の妻とも死別)、1621年に死去。

長男エドワードに先立たれていたため孫のウィリアムがハートフォード伯位を継承。
ウィリアムが72歳の時(チャールズ2世の時代)、サマセット公家も復権した。

王位継承の可能性を持つ女性との秘密結婚で捕らわれたエドワードだが、孫であるウィリアムも似た過ちを犯している。

次男だったため、まだハートフォード伯位を継げるかどうかも分からない頃に国王ジェームズ1世のいとこであるアラベラ・ステュアートと秘密結婚し、ウィリアムはロンドン塔に送られてしまう。

ウィリアムもまたアラベラが先に死去したことで釈放され、兄の死を受けハートフォード伯位を継承。
後にサマセット公爵の座にも就くが、公位復権後わずか32日で死去している。

<参考資料:イギリス史・関連資料一覧&ウィキペディア>


 
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