愛の反対は憎しみではなく無関心なのだと言う
ならば愛の正体は、そのさらに反対で
関心なのだろうか?
だけど、関心にも いろいろある。
ワイドショー的好奇心や
ただのミーハー・野次馬を
愛だなんて呼びたくはない
ならば愛と呼べそうな“関心”とは一体何なのか?
きっと、それは“思いやり”だ
自分とは違う別の人間の、
立場や心や考えに
思いをめぐらせ“想像”することだ
目に見えるモノや結果だけで相手を評価したりせずに
目には見えない背景事情や、
その結果に至った“理由”に目を向けることだ
自分のミスには百も千も言い訳を並べるくせに、
自分の大切な人の失敗なら必死になって擁護するのに、
別の誰かに対しては一切の事情を考慮しないのだとしたら、
きっとそれが愛の有無による差なんだ
でも、だとすると今のこの時代は
他人に対する愛の無い人が
あふれ過ぎている気がする。
それとも実は昔からそうで、
現代は単にそれが表面化しやすいだけなのだろうか