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目的が何であれ、手段は選ばなければいけないのに

分けて考えなくちゃいけないことを
 分けずに“一緒くた”にして
 それが「良いのか・悪いのか」
 無理矢理な二者択一を()いるのは
 分けて考えてしまったら、
 不都合な真実が露見してしまうからだろうか

たとえ、どんな理由や大義があろうと
 それが「手段を選ばない」ことの言い(わけ)にはならないのに。

“動機や目的”と、そのために用いる“手段”とは、
 分けて考えなくてはいけない「別物」で、
 たとえそれが、どんな良い結果をもたらすものだとしても
 そのために()る手段は、
ちゃんと「選ばなきゃいけない」ものなのに。

人類は何故なのか、
 目的が立派なら、
 どんな(ひど)い手段を使っても「仕方ない」とばかりに
 「正義のため」だとか「戦争を終わらせるため」だとか言って
 大勢の人が死ぬことになる“手段”を平気で採用してきた。

そして、その“手段”が本当に正しかったのか、
 他に“手段”は無かったのかを検討することもロクにせずに
 「〇〇のためだったのだから」と“目的”ばかりを肯定(こうてい)する。

そんなの結局、
 人類自らの手で、
 人類の“命の価値”を軽くするばかりなのにね。

何らかの正当な目的があれば
 人間がいくら死んでも良いなんて、
 そんなことを人間自ら受け入れて、
どうすると言うのだろう。

いい加減、人間の命の価値が
 歴史のために軽んじられるのなんて、たくさんだ

せめて、少しでも人死にを減らせる“手段”を
 そろそろ考え始めても良いんじゃないかな

 

  

 
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