斜に構えた人間には届かない言葉がある。
自分の方がひねくれているのに、
勝手に言葉にひねくれた解釈をつけて
非難する人たちはいる。
それはきっと、
突きつけられた真っ直ぐな言葉に、
ねじれ曲がった心が耐えられないからだ。
その言葉を受け入れたら、
ねじれ曲がった自分の方が
否定されてしまうと思うからだ。
だから、自分ではなく、
その真っ直ぐな言葉の方を否定することで
自分を守ろうとするんだ。
だけど、人が他人の何かを否定したくなる時、
きっとその時点で既に、
その人の“負け”は決まっているんだ。
わけもなく否定したくなる、
その“何か”に、
自分の心が無意識のうちに、
負けを認めてしまっているんだ。