“通”というものは、 そもそも“少数派”だから通と呼ばれるのだ。
だから、 その感覚が“多数派”に受け入れられないことがあるのは、 むしろ当たり前過ぎることなのだろう。
たとえ“自分”がどれほど賢くなれたとしても、 きっと「生きづらさ」は変わらない。
「生きづらさ」とは、 自分と他人との「違い」によって生じるものだから。
自分のステージが上がったとしても、 結局、今までとは別の苦脳に 囚われてしまうだけだ。