第五章 花に祈 がう(5)
「……どういうことだ?」
「ひどいことをされたからと言って、ひどいことをし返したとしても、ほんの一時 、心の憂 さが晴れるだけです。そんなことのために自分の心を穢 してしまったら、きっと私は、自分 のことが嫌 いになってしまいます。だって、そんなことをしたら私、あの人達と同じになってしまいますもの。私を疎 ましがり、無下 に扱 ってきたあの人達と……」
「だが、何も祈りを捧 げる必要など無いのではないか?」
問うと、花夜は儚 い笑みを浮かべた。
「強がりくらい、させて下さい。本当は許せない気持ちや悔 しい気持ちもいっぱいありますけど、私、強くなりたいんです。恨 みや憎 しみさえ、慈 しみや優しさに変えて、『こんなことは何でもない』って笑えるくらいに、強い人間になりたいんです。だからこれが私の、私なりの、花蘇利に対する報復 なのです。自分を裏切り、棄 てた人達のためにさえ祈 れるような、そんな人間も世の中にいるのだということを、あの人達に思い知らせてやりたいんです。今はまだ、単なる強がりで自己満足に過ぎませんけど……」
言って、花夜はもう一度、目に焼きつけるように故郷を見つめた。
「もう、無理に母さまの真似 をするのはやめにします。ただ母さまの真似ばかりして『理想の巫女』を演じても、母さまのように愛してもらえるわけではないと、もう分かりましたから。私はきっと、頑張 り方を間違 えてしまったのでしょう。母さまのようになろうと自分をを磨 くことにばかり力を注 ぎ、私を取り巻く人々と向き合う努力をしてこなかったのです。頑張 って皆の望むような人間に変わったところで、人々とのふれ合いがなければ、その変化に気づいてももらえません。人間 はただでさえ、自分のことだけで精一杯 な生物 なのですもの。まして、親 しくもない相手の陰 の努力など、認めてくれるわけもなかったのです」
何もかもを悟 ったようなその言い方があまりに哀 しくて、俺は思わず口を開 いていた。
「国民の心を変えられなかったという意味では、確かにお前の努力は実を結ばなかったのかも知れん。だが、お前が自分を磨 いてきたことは決して無駄 ではない。今のお前だからこそ、俺は契 りを結ぼうと決めたのだ。俺は今まで数えきれぬほどの巫女や男巫 に会ってきた。だが、契 りを結んでも良いと思ったのは、お前が初めてだ」
「ヤト様……」
花夜は泣きそうな顔で無理矢理に微笑 んだ。
「ずるいです、ヤト様。そんなに優しくなさらないでください。そんな風にされたら、私、あなたのことを……」
「お前が俺を、何だ?」
聞き取れずに聞き返すと、花夜はハッと唇 を押さえ、誤魔化 すように別の言葉を口にした。
「ねぇ、ヤト様。覚 えていらっしゃいますか?初めて会った日のことを。ヤト様と出会えて私は、初めて自分がひとりではないと感じることができました。国の社首 として、姫として、形だけは多くの人々にかしづかれてきましたし、母さまの魂も見守って下さっています。でも、私は孤独 でした。寂 しくてたまりませんでした。そんな時にあなたと出会い、言葉を交 わして……私は初めて、誰かと共にいることの喜びを知ったのです」
言われて俺は思い出す。あの日の花夜のはにかんだ笑 みを。
「ヤト様が共にいてくださるなら、私、他に何も望みません。私はもう、あなたと一緒 にいられればそれだけで幸せなのです」
「……俺で良いのか?俺はお前を故郷に留 まらせてやることもできない、無力 な神だぞ」
「力の有無 など問題ではありません。あなただから 、そばにいて欲しいのです。これからも共に旅をしていきましょう。花蘇利 の外にもきっと、生きてきて良かったと思えるほどに美しい景色 が、たくさんあるはずですから。一緒 にそれを見つけていきましょう。美しい思い出をたくさん、積 み重 ねていきましょう」
全てを失 くし、未来 も分からぬ境遇 にあってなお、花夜は前を見つめていた。その強さが眩 しく見えて、俺を目を細めた。
昇 り始めた朝日を浴びて輝くその笑顔は、今でも手を伸 ばせば届きそうなほど鮮明 に胸に灼 きついている。
神と人間 とでは、生きる速さも生死の理 も、何もかもが違 っている。いづれ別れが訪 れることは、最初から分かっていた。だから、わずかの時間も惜 しむように、一つでも多くの記憶を刻 みつけるように、花夜のことを見つめ続けた。
忘れられぬその記憶が――触 れられそうに鮮 やかで、なのに決して触 れられぬ花夜の笑顔が、後 にどれほど俺の胸をえぐることになるかも知らずに。
「ひどいことをされたからと言って、ひどいことをし返したとしても、ほんの
「だが、何も祈りを
問うと、花夜は
「強がりくらい、させて下さい。本当は許せない気持ちや
言って、花夜はもう一度、目に焼きつけるように故郷を見つめた。
「もう、無理に母さまの
何もかもを
「国民の心を変えられなかったという意味では、確かにお前の努力は実を結ばなかったのかも知れん。だが、お前が自分を
「ヤト様……」
花夜は泣きそうな顔で無理矢理に
「ずるいです、ヤト様。そんなに優しくなさらないでください。そんな風にされたら、私、あなたのことを……」
「お前が俺を、何だ?」
聞き取れずに聞き返すと、花夜はハッと
「ねぇ、ヤト様。
言われて俺は思い出す。あの日の花夜のはにかんだ
「ヤト様が共にいてくださるなら、私、他に何も望みません。私はもう、あなたと
「……俺で良いのか?俺はお前を故郷に
「力の
全てを
神と
忘れられぬその記憶が――
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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