第八章 雨下の攻防(7)
門をくぐり抜けると、塀の内側にはさらに三重の垣根 がめぐらされていた。慎重 な足取りでそこを抜けると、やっと別宮そのものが姿を現す。
だがそれは、俺達の思いもよらない姿をしていた。
「これが……別宮 なのですか?」
花夜が呆然 とつぶやく。それは神社などによくある白木 造りの高床式建築などではなく、それどころか建物ですらなかった。
土を高く盛 り、その表面を石で葺 いて整えたその姿は、まるで古 の王の墓所 のように見えた。
「ええ。この古墳 が荒水宮です。この中に水神様がいらっしゃるのですわ」
言いながら、海石はてきぱきと持ってきた荷物 を解 いていく。取り出したものは奇妙 な形の松明 だった。
「なるほど、古墳の中に入るから松明 が必要だったのか。だが、何故 そんな妙な形をしているんだ?」
「これは『うなぎ松明 』ですわ。よく乾 かしてから何度も油を塗 った蒲 の穂の上にうなぎの皮を巻くと、雨の日でも火が消えないのです」
「雨?何を言っているんだ、海石姫。空はこんなに晴れているのに」
泊瀬が采女装束 を脱 ぎ捨て、下に着ていた衣服を整えながら問う。
「水に対する準備は、しておくに越 したことがないのです。八乙女の結界に現れるものは、おそらく水の霊力を持つ精霊か神なのですから」
海石は神妙 な顔で古墳 の方を指差す。
「花夜姫、古墳の周りに四つの柱と、その間を結ぶ注連縄 が見えますわね?あれが八乙女の手による結界です。あの結界より一歩でも中に踏 み込 めば、八乙女の召喚 した精霊か神が襲 いかかってくるはずです」
「……花蘇利の神社を守っていたのは水霊 でした。鎮守神 のいらっしゃる別宮を守るものであれば、きっとそれ以上のものなのでしょうね」
花夜は衣袖 をタスキでたくし上げ、額 には緋色 の鉢巻 状の布を締 める。靴 は脱 ぎ捨て、首や手足には何重にも珠 を巻きつける。神事にあたる巫女の正装だ。
花夜は大刀 姿の俺を両手で掲 げ持つと、双眸 を閉じ、俺だけに聞こえる声でそっとささやきかけた。
「ヤト様。お祈 がい致 します。どうか私に力をお貸しください」
『ああ、無論 だ。共 に闘 おう、俺の巫女よ』
「はい!」
花夜はうなずき、泊瀬と海石を振り返った。
「では、参 ります。お二人はどうか安全な場所に隠 れていてください」
花夜は俺の柄 を強く握 りしめ、結界を踏 み越 えた。
途端 、にわかに辺りが暗くなった。つい先刻まで晴れていたはずの空はいつの間 にか雲に覆 われ、突如 として滝のように雨が降 り注 ぐ。
「痛……ッ!何ですか、これ!?」
小石の塊 のような大粒 の雨が俺の刀身 を、花夜の肌 を叩 きつける。それは単なる雨というよりも、まるで上から巨大な何かに押し潰 されようとしているかのような感覚だった。
目を開けても、息を吸っても、容赦 なく水が入ってくる。花夜は俺を握 りそこに立っているのがやっとだった。
『花夜、風だ。剣風 を起こし、雨を切り裂 くのだ!』
「……はい……っ!」
花夜は呼吸もままならず、雨に視界を奪 われながらも無我夢中で俺を振り回す。
刀身から巻き起こった真空の刃が周りの雨を吹き飛ばし、一瞬身が軽くなる。だが、それはほんの刹那 のことだった。
切り裂いても切り裂いても、絶 え間 なく降りしきる雨はすぐに再び俺達を捕 え、全身にまとわりつく。まるで雨の檻 の中で無駄 に踊 らされ続けているかのように、一歩もそこを動くことができない。
『相手が雨では、いくら切り裂いても無駄ということか……。ならば、雲だ!花夜、空へ向けて俺を振れ!雨雲 を吹き飛ばすのだ!』
「はい……っ!」
花夜はすぐさま俺を振る手を高く掲 げ、空へ向けて一閃 した。だが、風の刃は雲までは届 かず空中に儚 く消えてしまう。
『く……っ、俺の霊力では届 かないのか……。どうすれば良いんだ』
「いいえ、ヤト様。雲を切り裂くというお考え自体は間違 っていないと思います。届かぬのなら、届くようにすれば良いのです」
言うなり花夜は俺を握ったまま、その場で円を描 くように踊 りだした。
拍子 をとって足を踏 み、くるくると回りながら大きく俺を振り回す。
やがて、刀身から生 れた風が花夜の周りで渦 を巻き始めた。それは徐々 に大きくなり、雨粒 を巻き込みながら上へ上へと高く立ち昇 っていく。それはまるで、天へ駆 け昇 る竜のようだった。
『竜巻 か……!なるほど、これなら雲にも届く!』
竜巻は見る間にその高さを増 し、やがて雲の底に達した。黒雲に矛先 で突 き割 いたのように穴が開く。それはどんどん大きく広がり、やがて俺達の頭上にはぽっかりと青空が顔を出した。
花夜は全身濡 れそぼち、肩 で息をしながら口を開 く。
「……何だったのでしょうか。今の雨が八乙女の召 び出した『何か』なのでしょうか?」
『分からん。だが、鎮守神 を守る結界がこれで終わるとは思えん。油断するな花夜。古墳 の中に入るまでは何があるか……』
言い終わらぬうちに、再び空がかき曇 る。墨色 の雲は雷光を帯 び、獣 の唸 りのような雷の音を轟 かせた。
『何故に神域を侵 すのだ。大刀の姿持つ神よ、そしてその巫女たる人の子よ』
だがそれは、俺達の思いもよらない姿をしていた。
「これが……
花夜が
土を高く
「ええ。この
言いながら、海石はてきぱきと持ってきた
「なるほど、古墳の中に入るから
「これは『うなぎ
「雨?何を言っているんだ、海石姫。空はこんなに晴れているのに」
泊瀬が
「水に対する準備は、しておくに
海石は
「花夜姫、古墳の周りに四つの柱と、その間を結ぶ
「……花蘇利の神社を守っていたのは
花夜は
花夜は
「ヤト様。お
『ああ、
「はい!」
花夜はうなずき、泊瀬と海石を振り返った。
「では、
花夜は俺の
「痛……ッ!何ですか、これ!?」
小石の
目を開けても、息を吸っても、
『花夜、風だ。
「……はい……っ!」
花夜は呼吸もままならず、雨に視界を
刀身から巻き起こった真空の刃が周りの雨を吹き飛ばし、一瞬身が軽くなる。だが、それはほんの
切り裂いても切り裂いても、
『相手が雨では、いくら切り裂いても無駄ということか……。ならば、雲だ!花夜、空へ向けて俺を振れ!
「はい……っ!」
花夜はすぐさま俺を振る手を高く
『く……っ、俺の霊力では
「いいえ、ヤト様。雲を切り裂くというお考え自体は
言うなり花夜は俺を握ったまま、その場で円を
やがて、刀身から
『
竜巻は見る間にその高さを
花夜は全身
「……何だったのでしょうか。今の雨が八乙女の
『分からん。だが、
言い終わらぬうちに、再び空がかき
『何故に神域を
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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