第八章 雨下の攻防(6)
別宮『
荒水宮』は丘の林の中にひっそりと、
隠れるように建っていた。人が踏み固めたような細い道がかろうじて通ってはいるものの、行き
交う人間もまるで無く、ふいに林が
途切れて
塀と門が現れるまでは話を聞いていた俺でさえ宮の存在を疑ったほどだ。
「私は
霊河の大宮より
遣わされました
采女の
生井児と申します。別宮に祭られし神に
贖物を持って参りました。どうかお通し下さいませ」
偽名を名乗り、用意した割符を見せ、
海石は門前に立つ
衛士達へ向けてにっこりと
微笑みかけた。海石が言うには名の後ろに『
児』を付けるのが宮に
仕える女のならわしなのだそうだ。
衛士達は割符を
矯めつ眇めつして確かめた後、海石の背後に
控える
花夜と
泊瀬をちらりと
一瞥した。
ぎこちないながらも笑みを浮かべる
花夜とは対照的に、
泊瀬はぎくりとした表情で海石の後ろに身を隠す。あからさまに視線を
避けようとするその態度に、衛士の一人が
眉をひそめた。
「そこの采女、
何故顔を隠される」
「え……っ、その……」
あわてて弁解を
図ろうとする泊瀬を手で制し、海石は
動揺する様子もなく、ただその笑みにほんの少し苦笑の色を混ぜた。
「申し
訳ありません。その子は
郷から出てきたばかりで、まだこういう場に
慣れておりませんの。采女の中には多いのですわ。家の奥深くで大切に育てられ過ぎたために、
他人に顔を見られることさえ
恥ずかしがってしまう
少女が」
その言葉と表情は演技とはとても思えぬほどに自然で、衛士達も
納得したようにうなずいた。
「なるほど、一人だけやけに
垢抜けない娘がいると思ったが、そういうことか」
「ばか、言葉を
慎め。相手は氏族の姫君なのだぞ。聞こえたらどうする」
衛士達のささやきが耳に入り、泊瀬は顔をひきつらせた。
「
垢抜けない娘って……。いや、べつに
綺麗と思われたかったわけではないが……」
複雑な思いで肩を落とす泊瀬に、花夜がひそめた声で
慰めの言葉をかける。
「仕方がありませんよ。綺麗に着飾る技術というのは、本物の
少女でさえ毎日苦労するものなんですから。それに、私は
素朴で
可愛らしいと思いますよ、そのお姿」
「いや、だから
褒められてもうれしくないんだが」
すっかり海石を本物の使者と信じた衛士達は道を開けるように左右に分かれ、深々と頭を下げた。
「失礼
致しました。どうぞお通りください」
しかし海石は歩み出そうとはせず、手に持っていた
漆塗りの箱の
蓋を開け、衛士達に向け差し出した。
「これは衛士の皆様へ大宮からの差し入れですわ。いつも別宮の
警護をご苦労様です。今日もずっと立ち通しでお疲れでしょう。どうぞお
召し上がり下さいな」
箱の中に入っているのは、ここへ来る前に花夜と海石が
調理場で
こしらえた唐菓子だった。ふわりと甘い香りが辺りに広がり、衛士達はごくりと
唾を
呑んだ。
「なんという
芳しい香りだ。今までに見たこともない……。何ですか、これは?」
問いかけに海石はとびきりの笑みを返す。
「
唐菓子ですわ。どうか
冷めないうちにお召し上がりください」
「これが唐菓子か!まさかこの目で見られる日が来るとは……。しかし、我らは今はまだ勤務の最中。勝手に
休憩をとって物を食べるなど……」
「ならばこの場で立ったまま召し上がればよろしいではありませんの。ここには
滅多に人など来ませんし、お
行儀が悪くても
咎める者などおりませんわ」
「それもそうだな。我々がここを守るようになって
大分経つが、
采女と
八乙女以外に
訪れる人間など見たことがない」
「それに、
唐菓子など、こんな機会でもなければ一生口には入らぬぞ」
衛士達は顔を見合わせうなずき合うと、満面の笑みで礼を言い、箱を受け取った。
「おお……、何と甘く
柔らかいのだ」
衛士達は
相好を崩し、
奪い合うような勢いで唐菓子を
頬張る。
「このような味、初めてだ。何だ、この
不思議な風味は……」
衛士達は互いに味の感想を言い合いながら
唐菓子を口に運び続けていたが、その言葉は
次第に
間延びし
呂律が回らなくなっていった。動作もだんだんと
緩慢になっていき、やがて衛士達は糸が切れたように
突然その場に
くずおれた。
「え……っ!?一体何が!?まさか、毒でも盛ったのですか!?」
何も知らされていなかった花夜はぎょっとして衛士達に
駆け寄り、おそるおそるその顔をのぞき
込む。
「毒ではありません。眠り薬です。この唐菓子に
仕込んだ量でしたら、まず半日は目を覚まさないはずですわ。この別宮は八乙女が強力な結界を張っておりますので、かえって
人間の
警備は
手薄です。おそらく衛士はこの門番達だけですわ。さ、
参りましょう」
海石は地に
転がっていた箱を拾い上げ、倒れ
伏した衛士達には目もくれずに歩き出す。花夜と泊瀬はあわててその後を追った。
「すごいですね、海石姫は。あのように堂々とした
振舞、私にはとてもできません」
先ほどまでの海石の演技に花夜が素直に
賞賛を
贈る。だが海石はそんな花夜の瞳の輝きから目をそらすかのようにうつむき、
自嘲の笑みを
零した。
「すごくなどありませんわ。大宮ではこのくらい
肝が
据わっていなければ、とても生き残ってこられなかったというだけの話です。それに、私のように
小賢しく立ち回れる人間より、他人を
騙すこともできないくらいに真っ
直ぐで不器用な
方の方が、私は
人間として
好ましいと思いますわ」
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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