第八章 雨下の攻防(4)
そう言う花夜の横顔は、珍 しくひどく心許無 げに見えた。
「花夜、お前……迷っているのか?」
俺は軽い驚きを覚えながらその問いを口にした。悪事を正すためや誰 かを助けるためならば、俺に意見を求めることなどなしに行動を決めてしまうのがこれまでの彼女の常だった。こんな風に迷っているところなど、これまで見たことがなかったのだ。
「はい。何だか、恐 ろしくて……。水神様といえば祈形国 ではスサノヲノミコトに次いで力を持つとされる風火水土の四柱 のうちの一柱。その方が封じられてしまうほどの結界など、正直に言って私には考えも及びません。それに……」
そこで言葉を切り、花夜は何かを思い出そうとでもするように遠い目をした。
「泊瀬王子 様たちが嘘 をおっしゃっていたようには思えませんが、私には何かが引っかかるのです。何か、とても大きなことを見落としているような……」
「何か、か……。それはお前の恐 れから来る不安ではないのか?恐 いのであれば断って良いのだぞ」
「恐ろしさは確かにあります。けれど、このまま放っておくこともできません。そんなことをしたら、きっとこの先ずっと心にわだかまりが残ります。それに私、知りたいことがあるのです」
その『知りたいこと』が何なのか、俺には言われずとも分かる気がした。なぜなら俺も花夜と同様に、知りたい真実があったからだ。
「もしも……もしもあの時、水神様がご健在でいらっしゃったなら、花蘇利 が奪 われることも、私が国を追われることもなかったのかと……。今さら知ったところでどうにもならないことなのは分かっています。それでも、私……」
そこまで言って、花夜は辛 そうに言葉をつまらせた。先を続けようとする花夜を手で制し、俺は代わりに口を開 く。
「べつにおかしなことなどではない。それは大切なものを理不尽 に奪 われた者であれば、当然心に湧 く疑問だ。もしもあの時、少しでも何かが違 っていたならば、あの幸せは今もまだこの手にあったのではないか、と」
「ヤト様……?」
俺の言葉に何かを感じ取ったのか、花夜が不思議そうな顔で俺を見る。
「俺も、その思いを知っている。俺もかつて霧狭司 に大切なものを奪われたのだ」
花夜が小さく息を呑 む。
「俺はかつて神ではなく、大刀 に宿る精霊だった。戦の中で人の手を転々とし、ある時ひとりの鍛冶 に拾われた。不思議な男でな、巫 でもないのに俺の姿を視 、話すことまでできた。その男に鍛冶の郷 へと連れていかれ、俺はそこで久々に戦のない穏 やかな日々を味わうことができたのだ。だが、それも長くは続かなかった。その郷を治 めていた国が霧狭司に滅 ぼされ、鍛冶たちも一人残らず殺された。俺を拾い、心通 わせていたその鍛冶も、な……」
花夜に過去を語ったのは、これが初めてだった。花夜は真剣な眼差 しで俺を見つめていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「そうでしたか。ヤト様も……」
「花夜、お前は迷っていると言ったが、本当はもう心を決めているのではないのか?だが、その先に待ち構 えているものが恐ろしくて、足を踏 み出せずにいるのではないのか?」
真実を知りたくてたまらない――それは俺にとっても、花夜にとっても目を背 けられぬほどに大きな欲求だった。無理矢理目を逸 らしてこの国を去ったところで、きっと後々まで未練となって心に残り続ける、そういう類 のものだった。
だからどの道、水神の封印を知ってしまった時既 に、俺たちの運命は決まってしまっていたのだ。
「何にせよ、封印を破り水神と会わないことには何も分からない。そうだろう?」
「……そうですね。それに、水神様を解放することができれば、この先私たちと同じ悲しみを味わう人間 をなくせるかも知れませんし」
「ああ。だが無茶なことはするな。真実よりも何よりも、まずはお前の命が第一だ。俺も全力でお前を守るが、守りきれぬ時と場合もあるのだからな」
その言葉に、花夜がくすりと笑 みを零 す。
「そこで『何があっても必ず守りきる』とおっしゃらないところが、ヤト様らしいです」
「己の力量に見合わぬことを言うべきではないからな。頼 りない神でがっかりしたか?」
「いいえ。そんなこと、思うはずがありません」
「そうか。ならば、早く寝室に戻れ。眠りが浅いといざという時に頭が働かなくなるぞ」
言って、踵 を返そうとする俺の衣袖 をそっと花夜が指で引いた。
「あの……もう少しだけ、一緒 に星を見ていきませんか?」
「何だ?夜空を見ていると怖くなるのではなかったのか?」
「はい。ひとりで見ている時はそうでした。でも、ヤト様と一緒 だと不思議とそう感じないのです。星々の瞬 きも、夜の闇の深淵 さも、ただただ綺麗 なばかりで……。何故 なんでしょうね」
「……さぁ、な」
気のない返事をしながらも、俺もその星空を綺麗だと感じていた。単純に美しさだけを言うなら、冬の冴 えた星の輝きの方がよほど美しいと言うのに、この夜、花夜と並んで見上げた夜空は何故だか不思議に美しかった。
言葉も無くただ寄り添 ったまま、俺たちは星の瞬きを眺 め続けた。こんな風にふたりで見られる夜空が、もうあとわずかしか残されていないことも知らぬまま……。
「花夜、お前……迷っているのか?」
俺は軽い驚きを覚えながらその問いを口にした。悪事を正すためや
「はい。何だか、
そこで言葉を切り、花夜は何かを思い出そうとでもするように遠い目をした。
「
「何か、か……。それはお前の
「恐ろしさは確かにあります。けれど、このまま放っておくこともできません。そんなことをしたら、きっとこの先ずっと心にわだかまりが残ります。それに私、知りたいことがあるのです」
その『知りたいこと』が何なのか、俺には言われずとも分かる気がした。なぜなら俺も花夜と同様に、知りたい真実があったからだ。
「もしも……もしもあの時、水神様がご健在でいらっしゃったなら、
そこまで言って、花夜は
「べつにおかしなことなどではない。それは大切なものを
「ヤト様……?」
俺の言葉に何かを感じ取ったのか、花夜が不思議そうな顔で俺を見る。
「俺も、その思いを知っている。俺もかつて
花夜が小さく息を
「俺はかつて神ではなく、
花夜に過去を語ったのは、これが初めてだった。花夜は真剣な
「そうでしたか。ヤト様も……」
「花夜、お前は迷っていると言ったが、本当はもう心を決めているのではないのか?だが、その先に待ち
真実を知りたくてたまらない――それは俺にとっても、花夜にとっても目を
だからどの道、水神の封印を知ってしまった時
「何にせよ、封印を破り水神と会わないことには何も分からない。そうだろう?」
「……そうですね。それに、水神様を解放することができれば、この先私たちと同じ悲しみを味わう
「ああ。だが無茶なことはするな。真実よりも何よりも、まずはお前の命が第一だ。俺も全力でお前を守るが、守りきれぬ時と場合もあるのだからな」
その言葉に、花夜がくすりと
「そこで『何があっても必ず守りきる』とおっしゃらないところが、ヤト様らしいです」
「己の力量に見合わぬことを言うべきではないからな。
「いいえ。そんなこと、思うはずがありません」
「そうか。ならば、早く寝室に戻れ。眠りが浅いといざという時に頭が働かなくなるぞ」
言って、
「あの……もう少しだけ、
「何だ?夜空を見ていると怖くなるのではなかったのか?」
「はい。ひとりで見ている時はそうでした。でも、ヤト様と
「……さぁ、な」
気のない返事をしながらも、俺もその星空を綺麗だと感じていた。単純に美しさだけを言うなら、冬の
言葉も無くただ寄り
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