第八章 雨下の攻防(2)
「初めのうち、俺はその夢をただの夢だと思っていた。だが、あの方はそれからも毎晩のように俺の夢に現れた。いや、違 うな。あの方が『現れた』のではなく、実際は俺の方が眠っている間に魂 だけの存在となり、あの方の元へ通 っていたらしい。何でも神の加護を受けた国の王の血脈 には、時折 そういう霊力を持った人間が生まれるらしい」
「泊瀬様は霧狭司 の王室の中でもとりわけ強い霊力を持ってお生まれになりましたから」
海石 が誇 らしげな顔で説明を付け加 える。泊瀬は一瞬ひどく煩 わしげな顔になったが、すぐに気を取り直すように表情を改めた。
「とにかく、さすがに俺もおかしいと気づいた。いつも同じ場所、同じ方が出てくる夢など、普通の夢ではありえないからな。そのうちに俺は、あの方がこの国の鎮守神 であることを知った。……知ってしまった日は、なかなか眠りに就 くことができなかったな。あの方がふいに、手の届かないような遠くへ行ってしまったような気がして」
そう語る泊瀬の瞳は、ひどく悲しげな色をしていた。その心中を察してか、花夜 がちらりと俺の方を見てからつぶやく。
「神と人間とでは、立場も生きる理 も、あまりにも違 いますからね……」
「だがあの方はそれからも、神と人間との隔 たりなど無いかのように気安 く俺に接してくださった。宮殿の中しか知らなかった俺に世間の様々なことを教えてくださり、悲しい時には一緒 に泣いてくださった。その上、水を統 べる神であるあの方が俺に親 しく接してくださるおかげで、水に属する他の神々までが俺の祈 がいを聞き入れてくださるようになった。いつしか俺は水神に寵愛 された王子 と噂 されるようになっていった」
「けれど皮肉なことに、それゆえに泊瀬様は他の氏族から疎 まれるようになってしまったのです。宮殿をお出にならざるをえなくなったのも、元はと言えばそのことが原因なのですわ。鎮守神 様のご寵愛 篤 き泊瀬様が次の代の国王になられることは当然の成 り行 きですのに、そのことを他の氏族の方々はどうしてもお認めにならないのです」
海石 はそう言い、物憂 げにため息をついた。泊瀬はそのことには触 れず、話を続ける。
「あの方が閉じ込められているということに気づいたのは、俺が十一を過ぎてからだった。初めて収穫祭 の後の宴 に参加することを許 された俺は、はしゃいであの方に言ったんだ。『宴 の場でなら現実のあなたとお会いすることができますね』と。あの頃 の俺は、鎮守神 であれば国の大事な祭礼 や宴 には当然お出ましになるものと、何の疑問 もなく信じていたんだ。だがあの方は寂 しげに首を振 っておっしゃった。『いいや、それは叶 わぬ。祭礼や宴 の場では、魂 の宿 らぬ神坐 を妾 の代わりに祭るのだ。妾はここを出ることができぬからな』と。その時俺は初めて、あの夢の場所にあの方が囚 われていることを知った。あんな、暗く湿 った場所にお一人で……」
泊瀬は自分を責 めるかのように顔を覆 った。
「俺はすぐにあの方に言った。『俺があなたをここから出してさし上げる』と。だがあの方は悲しげに首を振るばかりで俺の言葉を受け入れてくださらなかった。それどころかあの方は『そのようなことを考えてはならない』『妾 のことは忘れ、人間として穏 やかに生きていって欲しい』などとおっしゃって、夢の中ですら会ってくださらなくなった」
泊瀬の声は悲痛な響きを帯 びていた。それは敬愛する女神に会えなくなったことを嘆 いているというより、まるで想い人に会えなくなったことを嘆いているかのような、切なく激しい熱情を感じさせるものだった。
「俺はあの方に再び会いたいと、毎日必死に祈 った。自分がそれまでどうやってあの方と会っていたのかなど分からなかったから、祈ることしかできなかった。そのうちに、不思議なことが起こるようになった。夢で会えない代わりに、日中、ふとした時にあの方の声が聴 こえるようになったんだ。それも、おひとりで嘆いているような声ばかりが、幻のように耳をかすめていくんだ。あの方はどうやら水を通して宮処 の様子を見守っていらっしゃるようで、水辺で悪事が行われるたびに、それにより傷ついた民のことを自分のことのように嘆かれ、お泣きになるんだ。だから俺は、あの方の御心 をわずかでも安 らげてさし上げたくて、宮処の揉 め事に首を突っ込むようになったんだ。俺にできるのは、もうそれくらいしかないから……」
それきり言葉を詰 まらせた泊瀬に代わるように、今度は海石が八乙女 として知り得 たことを語り始める。
「鎮守神様が封印されていることを知っているのは八乙女と国王だけです。鎮守神様はもう長い間、人間の前にお姿を顕 していらっしゃいませんから、そのことを怪 しむ人間もいるにはいるのですが、まさか封印されているなど誰も思いもしないのですわ」
「それはそうだろうな。神々の中でも風火水土 の神は別格だ。どんなに強き霊力を持っていたとしても、とても人間の敵 う相手とは思えん。一体その封印とはどうやって成 されたものなのだ?」
海石は静かに首を振る。
「分かりません。それはどの文書 にも口伝 にも残されていないことですので。けれど、何処に封印されているかなら存じておりますわ。八乙女は今でも月に一度、その場所へ参ります。結界に綻 びが生じていないことを確かめ、鎮魂 の儀により水神様をお慰 めするのです。もっとも、八乙女の長たる魂依姫 ですら鎮守神様に見 えたことはございませんので、本当に鎮守神様が御心を慰められておいでなのかどうかは知る由 もないのですが」
その時、それまで黙って話を聞いていた花夜がおそるおそる口を開いた。
「あの……そもそも何故、水神様が封印されているのですか?国を守るべき鎮守神を結界の内に封じ込めるなど、正気の沙汰 とも思えませんが」
「古き文書 には『大いなる災 いを防ぐため』だなどと、もっともらしくもあやふやな理由が語られております。けれど私にはその真の理由が容易に推測できますわ。霧狭司には鎮守神様より授 かりし『祈道 』と、神の霊力を秘めた数多くの神宝 がございます。それらがあれば鎮守神様の御力がなくとも霧狭司は充分に国を守っていけるのですわ。むしろ慈悲深く他国との戦を嫌われる鎮守神様の存在は、領土を求め戦を欲する方々にとっては邪魔だったのではないでしょうか」
「そんな……」
「神を神とも思えぬ所業 だな。霧狭司の国民はそこまで思い上がっていると言うのか」
「あくまでも私の憶測に過ぎません。けれど充分に有り得る話ですわ。霧狭司には己の地位のためならば平気で他人を踏 みつけにするような人間が山ほどおりますもの」
海石の言葉には妙に実感が籠 もっていた。まるでそうして踏みつけにされた人間のことを実際に見てきたかのような……。
「俺はどうしてもあの方を救い出したい。だが射魔 の氏族ですら、あの方が封じられていることを信じてはくれない。そもそも八乙女の結界に対抗しうる霊力など、誰も持ってはいないんだ。だから……」
泊瀬はそこで言葉を切り、真剣な眼差 しで俺と花夜を見た。
「霧狭司とは何の縁もないあなた方にこんなことを頼むのは筋違 いだし、ひどく勝手なことと承知している。それでも俺には他に方法が無いんだ。どうか、御力を貸してはいただけないだろうか」
その場に膝 をつきかねない勢いで泊瀬は懇願 してくる。花夜はそれをじっと見つめた後、小さな声で告げた。
「……少し、考えさせてはいただけませんか?」
俺はその返答に少なからず驚いた。花夜であれば二つ返事でうなずくものとばかり思っていたからだ。
「構 わない。そもそもが無理な頼 み事なんだ。考えてくれるだけでも充分 にありがたい」
「そうですわ。どうぞごゆっくりとお考えくださいませ。その間、大刀神 様と巫女様には我が家の客人として精一杯のおもてなしをさせていただきますわ」
花夜はその言葉にも、ただぎこちなくうなずくだけだった。
「泊瀬様は
「とにかく、さすがに俺もおかしいと気づいた。いつも同じ場所、同じ方が出てくる夢など、普通の夢ではありえないからな。そのうちに俺は、あの方がこの国の
そう語る泊瀬の瞳は、ひどく悲しげな色をしていた。その心中を察してか、
「神と人間とでは、立場も生きる
「だがあの方はそれからも、神と人間との
「けれど皮肉なことに、それゆえに泊瀬様は他の氏族から
「あの方が閉じ込められているということに気づいたのは、俺が十一を過ぎてからだった。初めて
泊瀬は自分を
「俺はすぐにあの方に言った。『俺があなたをここから出してさし上げる』と。だがあの方は悲しげに首を振るばかりで俺の言葉を受け入れてくださらなかった。それどころかあの方は『そのようなことを考えてはならない』『
泊瀬の声は悲痛な響きを
「俺はあの方に再び会いたいと、毎日必死に
それきり言葉を
「鎮守神様が封印されていることを知っているのは八乙女と国王だけです。鎮守神様はもう長い間、人間の前にお姿を
「それはそうだろうな。神々の中でも
海石は静かに首を振る。
「分かりません。それはどの
その時、それまで黙って話を聞いていた花夜がおそるおそる口を開いた。
「あの……そもそも何故、水神様が封印されているのですか?国を守るべき鎮守神を結界の内に封じ込めるなど、正気の
「古き
「そんな……」
「神を神とも思えぬ
「あくまでも私の憶測に過ぎません。けれど充分に有り得る話ですわ。霧狭司には己の地位のためならば平気で他人を
海石の言葉には妙に実感が
「俺はどうしてもあの方を救い出したい。だが
泊瀬はそこで言葉を切り、真剣な
「霧狭司とは何の縁もないあなた方にこんなことを頼むのは
その場に
「……少し、考えさせてはいただけませんか?」
俺はその返答に少なからず驚いた。花夜であれば二つ返事でうなずくものとばかり思っていたからだ。
「
「そうですわ。どうぞごゆっくりとお考えくださいませ。その間、
花夜はその言葉にも、ただぎこちなくうなずくだけだった。
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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