宮処には東西に一つずつ
市が
設けられている。
正午、
太鼓の合図とともに門が
開くと、
市にはどっと人が流れ込む。市に店を構える
市人に、
諸国を旅する商人、広場で見せ物をする大道芸人まで、通りには人の活気が満ち
溢れていく。
「さて、と。行きますか」
花夜は
荷物の中から鈴や
珠、
領巾などの
装身具を取り出すと、
手早く手首や足首に巻きつけた。髪に花を
飾り、
衣裳をきれいに整えると、花夜は広場の中心に進み出て
舞を舞い始めた。
それは花夜が巫女として習得してきた
古の
祭祀の
踊りを、
見世物として楽しめるよう
見映え良く編成し直した独自の舞だった。
音を
奏でるものは花夜が見につけた鈴と珠、そして花夜自身が
刻む足音と
衣擦れの音のみ。それはあまりに
素朴で
簡素な、しかしどこか
懐かしく、見る者の心を
昂揚させる
楽の
音だった。そしてその音に合わせ、花夜が手に持った
領巾を優美に振り動かす。
蝶の
羽ばたきのように
軽やかに、あるいはそよ風に
揺れる一輪の花のようにゆるやかに。
市を行き
交う人々が、一人、また一人と足を止めて花夜の舞に見入っていく。やがてそこには
人垣ができ、少しずつ
喝采が広がっていった。
他国へ初めて足を
踏み入れる際、俺たちはまずこうしてその国の広場で大道芸の
真似事をするのが
常だった。戦乱の世にあって、国々の中には
余所者への
警戒心が強いところも多い。そうした場所へ
怪しまれることなく
紛れ
込むには、こうするのが一番良いと旅の中で
悟ったからだ。こうして舞を
披露すれば、いくらかの
旅費を
稼ぐこともできるし、もう一つ、
利点がある。
「あんた、どこから来たの?見たことのない舞だったけど、すっごく
綺麗だったわぁ」
花夜が舞を終え一休みしていると、先ほど人垣から花夜の舞を
眺めていた女が話しかけてきた。
「ありがとうございます。実は私、
故郷を
戦で
失くしてしまって、旅をしながら生きてきましたので、どこから来たというわけでもないのですけど……」
「あらまぁ、それはお気の毒に……。こんな世の中だものねぇ……。この国だっていつ何が起こることか……」
花夜が簡単に身の上を説明すると、女の目はあからさまに同情を
帯びる。これもいつものことだった。
珍しいもの、美しいものを
披露すれば、それは話の種となり
他人との会話を生み出しやすい。その上そこで花夜の身の上を語れば、相手の
憐れみを
誘い、警戒心を
解く助けともなるのだ。
「あの……この国にもやはり、戦の
兆候などあるのでしょうか?今はとても
平穏に栄えているように見えますが……」
憐れみの中にもどこか
不穏さを宿した女の声音におそるおそる花夜が問うと、女は苦く
微笑んだ。
「兆候なんて大層なもんは無いさ。でもいつ起こっても不思議ではないね。宮殿にいらっしゃる方々は何かにつけて戦をしたがるから。戦で
手柄を立てればそれだけ自分達の地位が上がるからねぇ」
「……そんな。自分の地位のために他国に戦を
仕掛けるのですか?」
花夜が『信じられない』と言いたげに目を
見開く。
「他国だけじゃないさ。
内輪でも相当にもめてるって話だよ。何でも去年の春に前の
魂依姫と、その
後継者として有力視されていた
八乙女のお一人が
相次いで亡くなられたのも、敵対する氏族の
謀略だと
専らの
噂だしね。全く、嫌な世の中だよ」
「え?
魂依姫って、八乙女の長――つまりは、この国で最も
位の高い巫女ですよね?そんな方が殺されたのですか?」
花夜が信じられないという顔で問う。
「ああ。
罰当たりにもほどがあるけどねぇ。氏族の方々にとっては
魂依姫も八乙女も、己の
権力をより高めるための道具でしかないのさ。自分の氏族の姫君を次々と神宮に送り込んでは地位を
競わせているんだから。宮にいらっしゃる方々は、もうとても
真っ
当な考えを持ってはいらっしゃらないんだ。この国でまともな方は、今やもうハツセノミコ様くらいのものだよ」
「ハツセノミコ様?」
「ああ、あんたはよそから来たから知らないんだね。ハツセノミコ様は水神様のご
寵愛深きミコ様だよ。とても強い霊力をお持ちで、ご身分も高くていらっしゃるのに、気さくに
市井を出歩かれて、私らみたいな者にまでお声をかけてくださるんだ」
「ミコ!?ミコとはまさか、
巫女のことか!?
市井をふらふら出歩くような巫女がこの国にはいるのか!?」
思わず、女には聞こえないと知りつつ叫ぶと、横で花夜も
焦ったように表情を
硬くする。
「……本当にいらっしゃるんですね、そのようなミコ様が。それで、その方はどういった時にここへいらっしゃるのですか?」
「さぁねぇ。あの方はとても気まぐれでいらっしゃるから。いつ来るかは分からないよ」
「……そうですか」
花夜は女との会話を
適当に切り上げると、
手早く
荷物をまとめ門の方へ向け歩き出した。
「……まずいですね」
強張った顔のままささやく花夜に、俺も
苦い顔でうなずく。
「ああ。まずいな。広い
宮処の中、そんないつ現れるとも知れないミコと出くわす可能性は低いかも知れんが、万が一出くわしてしまえば終わりだ。……花夜、ひとまず
人目のつかない場所へ身を
潜めろ」
「え?なぜですか?身を
潜めたところで、霊力の強い
巫ならば神の気配などすぐに
察知してしまうと思いますが……」
きょとんとした顔で問う花夜に、俺は首を横に
振って説明を加える。
「そういうことではない。万が一見つけられた時に
備えて
大刀に
変化しておくのだ。『神を連れた巫女』よりは、『神の宿る大刀を
偶然手にした
常人』としておいた方がもしもの時も少しは
言い
訳が立つかも知れん」
「……確かに。神そのものを連れていたのでは、普通の人間だなどと言い
逃れしようがありませんからね」
花夜は
納得したようにうなずき、そのまま
物陰へと身を
潜めた。
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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