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和風ファンタジー小説
花咲く夜に君の名を呼ぶ

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第一章 鳥追う少女(おとめ)(4)

 あまりに思いがけないその笑みに、俺は自分の立場も状況も何もかも忘れて呆けた。
 張り詰めていた気が抜け、何が何でも彼女を追い返そうと思っていた心が急速に()えていく。俺は再び変化し、人の姿に戻って溜め息をついた。
「どうした、お前。気でも触れたか?」
「いいえ。気は触れておりません。笑いたいから笑っただけです」
何故(なぜ)笑う?笑うような場面ではないだろう」
「いいえ、笑う場面です。だって、ここで(おび)えたり泣いたりしたら私の負けでしょう?」
(何なのだ、この娘は。聡明かと思えば変わり者で、負けず嫌いで、妙に肝が()わっている)
 先ほどとは別種の笑いがこみ上げてくる。それは数百年ぶりに覚えた感情だった。最早(もはや)忘れかけていた、愉快という名の感情。
「娘よ、もし俺がお前の国と鎮守となるなら、お前は俺に何をよこす?」
 胸に()いた気まぐれのままに、俺は問いを口にしていた。それは、いつもならば誘いを断る口実とするための問いかけだった。今までどんな巫も、俺の望む答えを返した例はない。だがこの娘ならばもしかして、他の巫達とは全く違う何かを――俺の心を動かす答えを返してくれるのではないか、そんな予感がした。
 彼女はしばし考え込み、ほんの少し困ったような顔をした後で口を開いた。
「……では、花かんむりを」
「何?」
「春には花かんむりを、夏には(さと)で最も美しく涼やかな水辺を、秋には色鮮やかに紅葉した木の葉を、冬には(やしろ)から見上げる満天の星を。――私が好きなもの、綺麗だと思ってきたものを全て、あなた様に捧げます。私がこの先、幸せだと思う何かに出会ったなら、それをあなた様と分かち合いたいと思います。美しい景色を共に見て、楽しいことを共にして、幸せな思い出を重ねていきましょう。微力ながら、私にできる限りの力で、あなた様に『(さいわい)』を捧げます」
 それは今まで俺が考えつきもしなかった答え。今まで示されてきたどんな見返りとも種類の違うものだった。
「……宝でも(やしろ)でも、馳走(ちそう)でもないのだな」
 貴重な財宝や、(ぜい)()らした(やしろ)(ころも)、味わい尽くせぬほどの山海の珍味――今まで訪れた巫達が口にしたのはそのようなものばかりだった。呆然として思わず呟くと、花夜は苦笑して言った。
「父に言えば、そういうものも差し上げられるとは思います。でもそれは『花蘇利国(かそりのくに)から』あなた様への捧げ物であって、『私が』あなたに捧げるものとは違う気がしますから。私が自らの力だけであなた様に捧げられるものなど、先ほど言ったものくらいしか無いと思いますし……」
 それは単純で他愛もない、人によっては一笑に付すに違いない、ささやかな捧げ物。しかしそれは国の姫としてでなく、最高位の巫女としてでなく、力無き一人の人間として、それでも俺のために精一杯捧げられる、心からの贈り物。
 俺は思わず笑い出していた。やはり、この娘は他の人間とは違う。
「面白い。良いだろう。花夜お前の(・・・)神となってやる。今からお前は俺の(・・)巫女だ」
 笑ったまま俺は手を差し出す。花夜はその手に、微笑みながら小さな指を(から)めてきた。
「はい!心を込めてお(つか)(いた)します」
 こうして俺は、俺の生涯ただ一人の巫女となる少女と(ちぎ)()わした。ここから始まる日々が、俺にとってどんな意味を持つことになるのかも知らず、どんな幸福と苦しみを味わうことになるのかも知らずに……。

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