第六章 幸有 の花(8)
「あ……」
花夜が小さく声を上げた。気づけば俺達は岐路 にさしかかっていた。東の霧狭司 へ通じる道と、南の峻流河 へ向かう道だ。俺が何かを言うより早く、花夜が決意を秘めた眼差 しで口を開 いた。
「あの……霧狭司へ行ってはいけませんか?」
それは邑 での酒宴 の時から、何となく予想のできていた言葉だった。
「霧狭司 、か。お前、今まであの国を避 けてきたのではなかったのか?」
「はい。私にとってあの国は、あまり良い気持ちを持てる国ではありませんから。けれど、そうして避 けながらも、いつも心のどこかで、霧狭司国 のことをもっと知りたいと思っていました。どうしてあの国は、花蘇利 を奪 ったのか、どうして、他と比べられないほど華 やかに栄 えてなお、他国に手を出そうとするのか。そして、水神 様ともあろう御方 が、それを見過ごされていらっしゃるのはどうしてなのかを」
「霧狭司へ行ったからと言って、それが分かるとは限らぬぞ」
「分かっています。それでも、一目 見ておきたいのです」
花夜が何故 、霧狭司国へ行きたがるのか、俺には分かるような気がしていた。
俺達はどちらも、霧狭司によって大切なものを奪 われ、心に深い傷を負 わされた身の上だ。この傷をつけた相手と、もう関 わりたくない、名も聞きたくないという思いは確かにある。だがそれと同じくらいに強く、ある思いを抱 えていた。
俺達はなぜ、大切なものを奪われ、傷つかねばならなかったのか……相手が何を思い、何故 あのような行為 に及 んだのか、その理由を知りたい、と。
問いただしたところで、満足な答えが返って来ないことなど百も承知 だ。それでも、わずかな手がかりでも良いから理由が欲しかった。自分達の運命が、何の理由もなくただ無意味に狂わされたなどと思いたくはないのだ。
俺は深々と吐息 した。
「行くぞ、花夜」
言いながら、峻流河の方角へ と足を踏 み出す。花夜はそれを見てがっかりしたようにうなだれた。
「やはり、霧狭司 へ行ってはいけませんか。そうですよね……」
「いや、いけないとは言っていないが」
「え?でも、そちらの方角 は……」
「お前、わざわざ道も無い千々峰 の山を行く気だったのか?ここは一旦 、道の開 けた峻流河 へと南下 し、湊 から海路 で霧狭司へ向かった方が楽ではないか」
「ヤト様……」
花夜の顔が明るく輝く。
「見たいと言うならば気の済 むまで見ればいい。ただし見る だけだ。宮処 を見たら、すぐにでも引き返すぞ。あの国に長居 するのは危険だからな」
この時、俺は本当に、霧狭司国 の宮処 をほんの少し見て、すぐに引き返すつもりでいた。元々、宮処 へ行っただけで花夜の欲しがる答えが得 られるなどと本気で考えてはいなかった。ただ、わずかでも花夜の心のわだかまりが晴れればそれで良いと、そのくらいの気持ちでいたのだ。
どれほど悔 やんでも、時間 が戻ることはない。そのことは痛いほど承知 している。だが俺は、この時間 に戻ってやり直したいと何度祈 がったか分からない。
俺達は、何があっても霧狭司 に足を踏 み入 れるべきではなかった。そして俺は、花夜の想いに対する答えを、先延 ばしになどするべきではなかった。延 ばした先に時間が残されているかどうかなど、誰 にも分からないと言うのに……。
花夜が小さく声を上げた。気づけば俺達は
「あの……霧狭司へ行ってはいけませんか?」
それは
「
「はい。私にとってあの国は、あまり良い気持ちを持てる国ではありませんから。けれど、そうして
「霧狭司へ行ったからと言って、それが分かるとは限らぬぞ」
「分かっています。それでも、
花夜が
俺達はどちらも、霧狭司によって大切なものを
俺達はなぜ、大切なものを奪われ、傷つかねばならなかったのか……相手が何を思い、
問いただしたところで、満足な答えが返って来ないことなど百も
俺は深々と
「行くぞ、花夜」
言いながら、
「やはり、
「いや、いけないとは言っていないが」
「え?でも、そちらの
「お前、わざわざ道も無い
「ヤト様……」
花夜の顔が明るく輝く。
「見たいと言うならば気の
この時、俺は本当に、
どれほど
俺達は、何があっても
※このページは津籠 睦月によるオリジナル和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のモバイル版本文ページです。
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