ファンタジーな豆知識

レースの価値は宝石並みだった!

レースはかつて「糸の宝石」と呼ばれ、まさに宝石と同じくらいの価値を持っていました。

レースを作るには様々な手法がありますが、ヨーロッパで王侯貴族たちに特に珍重されていたのは、針を使った「ニードルレース」とボビンと呼ばれる糸巻きを使った「ボビンレース」の二種類です。

産業革命で機械化される以前、レースの生産は全て人の手で行われており、それは途方もない手間のかかる作業でした。
たとえば無数のボビンを左右に動かして織り上げていくボビンレースは、熟練の職人でも一日に数センチしか織れなかったと言われています。

当然のことながら、それを身につけることができたのはごく一部の限られた人々だけでした。
レースは当時、上流階級のステータス・シンボルであり、女性だけでなく男性にもふんだんに身につけられてきたのです。

特に17世紀・バロックの時代は女性よりむしろ男性の方がファッションの主役となり、たくさんのレースを身につけていました。
「太陽王」と呼ばれたルイ14世のフランス宮廷では、重厚なレースのついた衿や袖口(カフス)、ラングラーヴ(=ズボンの裾を隠すスカート状のもの)などが流行し、レースを着けずに王宮に入ることができなかったほどだと言われています。

男性より女性の方がより多くのレースを身につけるようになったのは、18世紀・ロココの時代からです。
ルイ15世の寵姫・ポンパドゥール夫人がファッション・リーダーとなり、パニエによってふくらんだスカートとコルセットで締めつけた腰の細さとの曲線美が特徴的なフランス風ドレス(ローブ・ア・ラ・フランセーズ)が流行しました。
そして、胸元の肌とドレスの境界線や、袖口(カフス)に効果的にレースが使われたのです。

特に袖口のレースは三重・四重に重ねられ、中央が幅広く、後の方が長いエレガントな形をしていました。
またこの袖口のレースは高価だったため、取り外し可能となっており、様々なドレスに付け替えて楽しめました。
とあるアンティークレースの蒐集家(しゅうしゅうか)によると、その袖口のレース一組の価値は今の値段に換算すると「新築のマンションが買えるほど」だと言います。

当時のレースは現在とは感覚が異なり、まさに宝石と同じ「贅沢(ぜいたく)なアクセサリー」だったのです。


※このページは津籠 睦月によるオリジナル・ファンタジー小説「夢の降る島」の第1話「夢見の島の眠れる女神」夢見の島の眠れる女神(小説ロゴ)の本文ページ内に隠された、本編と関係がありそうで無さそうな細かなファンタジー雑学・豆知識をご紹介する「おまけコーナー」です。

ページ内の文字色の違う部分をクリックしていただくと、別のページへジャンプします。
ここでご紹介している雑学・豆知識は参考文献などを参考にして書いてはいますが、管理人はその道の専門家ではありませんので知識が不充分な場合もございます。
その辺りをご理解の上、ご覧ください。

 
inserted by FC2 system