ファンタジーな豆知識

ルートヴィッヒ2世

ルートヴィッヒ2世とは、ドイツ南東部の州バイエルンにかつて存在していた「バイエルン王国」の王で、中世騎士物語に心酔し、その生涯に夢のように美しい3つの城を築いたことで「メルヘン王」とも呼ばれています。

彼は18歳にして国王となり、「バイエルンで最も若く美しい王」と言われました。
ところが次第に政治に興味をなくし、自分の夢の世界を再現した城造りにより財政を傾けたことからやがて「狂王」と呼ばれることになります。

王が夢中になったものの一つが中世の騎士物語を描いたワーグナーの歌劇や楽劇です。
彼はミュンヘンで歌劇「ローエングリン」を観て以来、ワーグナーに傾倒し、即位から5年後にワーグナーの作品のモチーフをあちらこちらに散りばめた中世ドイツ風の城「ノイシュヴァンシュタイン城」の建設を命じます。

また、フランスのルイ14世にも憧れ、フランスの小トリアノン宮殿を模した「リンダーホーフ城」、ヴェルサイユ宮殿を模した「ヘレンキームゼー城」など、自らの夢見る城の建設に次々と莫大な費用を投じていきます。

王は昼夜逆転の生活を送り、自らの造らせた夢の城に引きこもったり、真夜中にきらびやかな馬車やそりで散歩したり、テーブル自体を下の配膳室まで上下させることにより給仕の人間とすら顔を合わせる必要のない「魔法の食卓」を使って食事をするなど、人を避け自分だけの夢の世界に浸るような生活を送っていました。

王の行った城の建設は一種の公共工事であり、また人間嫌いと言われながらも庶民に対しては気さくだったという王に国民人気は高かったのですが、度重なる城の建設により王室財政は傾き、ついに政府は彼を退位させようと考えます。

そして「心の病」という診断書により、彼は半ば強制的にベルク城に幽閉されてしまいました。
この診断を下した精神医学の権威グッデン博士は、王を一度も診察することなくこの診断書を書いたと言われています。

そして幽閉された翌日、王とグッデン博士は護衛を連れずに散歩に出かけた後、ともに城の近くのシュタルンベルク湖で遺体となって発見されます。
彼らがどういう経緯で亡くなったのかは、今も謎のままです。

孤独と狂気に満ちたルートヴィッヒ2世の生涯ですが、そんな中で唯一の理解者となったと言われているのがバイエルン王国出身でオーストリア・ハプスブルク家の皇妃となったエリザベートだと言われています。
エリザベートはかつて自然豊かなバイエルンでのびのびした少女時代を過ごしていましたが、16歳でオーストリアに嫁いでからは、名家ハプスブルク家の伝統ある宮殿暮らしに馴染めず、姑との対立により子どもを取り上げられるなど、苦労の多い人生を送っていました。
彼らはお互いを「ワシ」「カモメ」と呼び合い手紙を交換していたと言います。
また、ふたりの会っていた薔薇島にある王家の別荘では、一方がいない時にはもう一方が自分の書いた手紙や詩を建物のどこかに隠し、それを互いに探すのを楽しみにしていたと言います。

ルートヴィッヒ2世の死後、エリザベートもまた波乱の生涯を送ります。
エリザベートが51歳の時、息子ルドルフが30歳の若さで自ら命を断ち、それ以来彼女は喪服を身にまとい、あてのない旅を繰り返しました。
そして60歳の時、スイス・レマン湖で、特権階級を憎んでいた男によって刺殺されてしまうのです。

<参考資料>


※このページは津籠 睦月によるオリジナル・ファンタジー小説「夢の降る島」の第1話「夢見の島の眠れる女神」夢見の島の眠れる女神(小説ロゴ)の「おまけコーナー」で、ファンタジーな雑学や豆知識をご紹介しています。

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